オレたちひょうきん族とは、1981年~1989年にフジテレビ系で放送された伝説のお笑い番組である。通称「ひょうきん族」「ひょうきん」。
1981年、当時「お化け番組」とまで言われた裏番組「8時だョ!全員集合」を放送していた土曜夜8時に、プロ野球のナイター中継の無い日や雨天中止時の穴埋め番組「決定!土曜特集 オレたちひょうきん族」として放送開始。
雨傘番組時代の視聴率は当初8~10%前後と低迷したが、第7回目の放送で13.4%と一定の成果を出したことを受けて、同年10月からのレギュラー番組化が決定。
当時到来していた漫才ブームで登場したビートたけし、明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎、山田邦子らを集め、それまでご法度だった内輪ネタやパロディーを積極的に取り入れて、「NGでも面白ければ流す」というハプニング性を重視した番組として、生放送・完全台本の「全員集合」に対抗した。
漫才ブームに引き続き、東京のフジテレビ制作の番組ながら関西芸人(主に吉本興業所属の芸人)も積極的に出演させ、それまで「一地方の方言」というマイナーなイメージが強かった関西弁が全国的に広く認知されるきっかけとなった番組のひとつでもある(ちなみに番組初期の頃に大阪のうめだ花月で公開収録が行われたことが1度あった)。
当初はまったく相手にならなかったが、番組後半のコント「タケちゃんマン」のヒットで状況が一変。次第にお互いがいい勝負をするようになり、「土8戦争」(両番組の放送時間が由来)と呼ばれる伝説の戦争が1980年代前半に繰り広げられた(両番組の年別平均視聴率は「全員集合」の記事を参照)。結果、1985年にはついにライバル「全員集合」を終了に追い込み、名実ともに1980年代のお笑い番組の頂点まで登り詰めた。
しかし、翌1986年12月に大黒柱のビートたけしがフライデー襲撃事件を起こし芸能活動を自粛したために歯車が狂い始める。止むを得ずもう一人の大黒柱となった明石家さんまが番組の中心となるが、番組の雰囲気がギクシャクし始めていく。同時期に脚光を浴びたとんねるずが1988年に「とんねるずのみなさんのおかげです」(フジテレビ)を始める頃になると、それまでこの番組を支えていた子供の人気もそちらへ傾き始めるようになる。さらには番組に復帰したたけしも番組に対する情熱を失い収録を頻繁に休むようになり、番組は空中分解していった。
「全員集合」亡き後にドリフの志村けんと加藤茶を選抜して始めた裏番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBSテレビ)にも人気を奪われたため、1989年に番組終了。最終回最後のコントでは第1回のオープニングコントを当時の映像を交えながら最終回時点のメンバーでリメイクするという粋な演出をして、番組の幕を閉じた。
「東西人気若手お笑い芸人合同のお笑い番組」(それまでのキャスティングは「東は東、西は西」で固める傾向があった)、「NGでも面白ければそのまま流す」「裏方のスタッフも積極的に出演する」といった要素を取り入れた番組の嚆矢であると言っても過言ではなく、この番組から現在のお笑い番組のフォーマットが数多く作られていった。
2008年の「27時間テレビ」では、「ひょうきん族」の名物ディレクター(1987年9月より横澤彪の後を継いでプロデューサー兼任となる)だった三宅恵介の定年退職記念(として、三宅氏が27時間テレビのプロデュースを務める。しかし放送後も役員待遇としてフジテレビに残留している)の意味を込めて「ひょうきん族」出演者が多く出演し、「ひょうきん懺悔室」が復活したり、たけしやさんまが当時のキャラクターを演じるなど、大々的に「ひょうきん族」を意識した内容となり話題となった。
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最終更新:2025/12/13(土) 23:00
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