カイリー・ミノーグとは、オーストラリア生まれの女性歌手である。
カイリーミノーグはオーストラリアのメルボルンで生まれた。
1980年代前半からオーストラリアの有名子役として活躍していたカイリーは1987年7月に "Loco Motion"で歌手デビューを果たす。 (後にストック・エイトキン・ウォーターマンによって再度レコーディングしなおし"The Loco-Motion"と改題して再リリース)
同年、12月にはストック・エイトキン・ウォーターマン (PWL)の元で"I Should Be So Lucky"を発表、この曲は世界的に大ヒット。彼女はポップ・アイドルとして地位を確立することとなる。
その後も"Got To Be Certain"や元彼であるジェイソン・ドノヴァンとの"Especially For You" など大ヒット曲を数多く生み出す。
1990年代ごろからは「大人の女」路線へと切り替わる。中でも1990年に発表した3rdアルバム"Rhythm Of Love"は今でも評価が高い。
1992年からはPWLを離れデコンストラクションで先鋭的なクラブミュージックやインディー・ロックなど今までとはジャンルの違う音楽に取り組むがいまいち受けが悪く低迷期を迎えてしまう。それでも1994年に発表された"Kylie Minogue"からの"Confide In Me"はオーストラリアで1位、イギリスで2位の大ヒットを収めている。
1995年、カイリー・マニアを公言するニック・ケイヴとの"Where The Wild Roses Grow"を発表。
2000年、パーロフォンへ移籍したカイリーはアルバム"Light Years"(2000)を発表、リードシングルの"Spinning Around"(2000)がイギリスとオーストラリアでナンバーワンに輝き完全復活を果たす。ミュージック・ビデオで見せたゴールドのホットパンツやお尻も話題となった。
2001年、アルバム"Fever"を発表、このアルバムはイギリスでナンバーワン、全米で3位に輝くだけでなく世界中で大ヒット!。さらにファースト・シングルの"Can't Get You Out Of My Head"は14カ国でナンバーワンに輝く爆発的なヒットを記録する。2004年にはこのアルバムから最終シングルとしてカットされ、ミシェル・ゴンドリーによるビデオが話題となった"Come Into My World"でカイリーにとって念願のグラミー賞 (Best Dance Recording)を受賞する。
2005年、"Showgirl Tour"の真っ只中、カイリーは乳がんと診断され療養へ。闘病生活の末見事に復活、中断したツアーを"Showgirl:Homecoming Tour"と名前を変え、衣装やセットリストなども変更した上で再開し見事に大成功を収めた。
2010年、アルバム"Aphrodite"を発表、このアルバムが全英でナンバーワンを獲得したことで、カイリーは80年代、90年代、00年代、10年代の4世代に渡り全英でナンバーワンを獲得するという前人未到の記録を達成!
2011年には"Aphrodite Les Folies Tour"をスタートさせる。このツアーで20年ぶりの来日公演を果たした。(しかも震災が起こってから1ヶ月足らずで来日するという親日家らしい一面を見せた。)
2012年、歌手デビュー25周年(K25)を迎えた。
高く可愛らしい声が魅力、その歌唱力も絶賛されておりコンサートでは全ての歌で生歌を聞かせてくれる。
個性的かつ芸術的なステージ衣装やミュージック・ビデオで話題を集める。
歌手活動のほかにも、女優としても「ムーラン・ルージュ」などに出演、香水のプロデュースやブランドを手かげたりしてる。
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最終更新:2025/12/13(土) 01:00
最終更新:2025/12/13(土) 00:00
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