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キヨフジ

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キヨフジKiyofuji)とは、1948年生まれの日本の競走馬。栗毛の牝馬。

ロジータから遡ること38年前、最初に川崎競馬場の脳を焼いた、地方出身初のクラシックホース。

主な勝ち鞍
1951年:優駿牝馬
1952年:開設記念

概要

父クモハタ、母リガーユートピア、母父ミラクルユートピアという血統。
父は1939年のダービー馬で、メイヂヒカリ、ニユーフオード、ヤシマドオター、クインナルビーなど八大競走馬8頭を輩出し、内国産馬として初のリーディングサイアーに輝いた名馬。キヨフジは6年目の産駒。
母は7戦1勝。キヨフジは第3仔。
母父はデビュー3戦全てレコード勝ちし1934年の日本ダービーの大本命だったが、当日の怪我で出走取消、そのまま引退になってしまった「幻のダービー馬」。実の姉と母を孕ませたことでも知られるが、リガーユートピアはちゃんと余所のお嫁さんとの仔である。
1歳上の半兄に中山記念(春)を勝ったトサホマレ(父月友)、3歳下の半妹にオークス2着のシマタカラ(父大鵬)がいる。

1948年5月28日、浦河町の浜田亀蔵牧場で誕生。川崎競馬を開催することになった神奈川県にセリで買われ、抽籤馬として山口春哉オーナーの所有となり(のちに山口茂治に引き継ぎ)、川崎競馬場の八木正雄厩舎に預けられた。購買価格は45万円で、当時の抽籤馬としては高い方だったそうである。

※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

川崎より清き富士を望む

1950年、川崎競馬場での競馬開催が始まった。キヨフジはその年の8月にデビューした、いわば川崎競馬場1期生である。騎手を兼任していた八木正雄を鞍上に、抽籤馬限定戦でデビュー勝ちを飾ると、その後も船橋の平和賞2着など、圧倒的に無双するわけではないが安定した走りを見せ、下級条件で古馬に勝利するなど、3歳時は13戦6勝[6-5-2-0]で終えた。

明け4歳もD級戦で3連勝など2月までに8戦4勝[4-1-2-1]の成績を挙げて、キヨフジは中央へと乗りこんだ。かつてはクモハタやセントライトを手掛け、このときはトキノミノルがいた東京の名門・田中和一郎厩舎の預かりとなったキヨフジは、野平祐二を鞍上に4月2日、阪神・芝1600mの条件戦で転入初戦を見事勝利。これで果敢に桜花賞へと駒を進めたが、遠藤誠一が騎乗したここはあまり見せ場なくツキカワの6着に敗れる。

当時のオークスは秋開催だったので牝馬の有力馬は桜花賞から東京優駿へ向かうことも珍しくはなかったが(実際桜花賞1番人気3着のハツピーウネビはダービーに出ている)、キヨフジは同じ厩舎にトキノミノルがいたからか、あるいは桜花賞に続いて東京に戻って厩舎の主戦・阿部正太郎が騎乗した4歳牝馬特別も6着に敗れたことで単に家賃が高いと思われたか、ダービーは目指さず、阿部騎手を主戦として条件戦をコツコツ走ることになった。結局その後の春の戦績は条件戦とオープンを6戦して1勝、2着3回と、さほど目立った存在ではなかった。

夏休みを挟み、秋は初戦の4歳特別を勝利。その後3戦のうち2戦はダービー3着馬ミツハタに敗れたが、10月の中山の条件戦を勝ち、東京のオープンで当時の古馬最強格・ハタカゼと戦い7馬身ちぎられての2着(3頭立て)という戦績で、11月18日の優駿牝馬へと乗りこんだ。
この年のオークスは7頭立て。単勝支持率44.4%と断然人気に支持されていたのは、夏場に北海道で菊花賞馬トラツクオーとバチバチにやりあっていたフオードライト。キヨフジはそれに次ぐ22.1%の2番人気に支持される。レースは先行した3番人気ミスローズを好位で追走し、それをかわして先頭に立つとそのまま後続を突き放し、4番人気ミスメイヂの猛追を半馬身振り切ってゴール。見事キヨフジは地方出身馬初のクラシックホースの栄冠を手にした。

続く特ハンは7着に敗れたが、12月の中山牝馬特別を勝利。当時まだ牝馬の重賞体系なんて中央でも整備されておらず、このレースがどうやら当時の古馬を含めた牝馬最強決定戦だったようで、見事キヨフジは女王の座に輝いたのだった。

当時古馬牝馬に中央でやることなど特になかったので、翌年からキヨフジは古巣の川崎競馬場・八木正雄厩舎へと戻った。復帰初戦の開設記念――すなわち現在の川崎記念で凱旋勝利を飾ると、以降も7歳の始めまでコツコツと、まだ重賞体系もほとんど整備されていなかった南関東で走り続けた。5歳時は一時期惨敗が続いたりもしたものの、6歳では立ち直って4勝を挙げるなど、古馬以降のキヨフジの南関東での戦績は45戦7勝という数字が残る。
7歳で引退するまでの通算成績は地方・中央を合わせて84戦23勝。おそらく牝馬クラシックホースの最多出走記録ではないかと思われるが未確定(1949年のオークス馬キングナイトが地方での戦績不詳だが中央26戦、地方で13勝以上らしいのでもっと走ってる可能性はある)

彼女の引退後まもなく、川崎競馬場の重賞体系の整備とともに、その功績を称えて牝馬限定重賞・キヨフジ記念が創設。現在はエンプレス杯と名を変え、交流重賞として春のダート女王決定戦に位置づけられており、「キヨフジ記念」はその副題として残っている。

キヨフジ自身は、引退後は青森県で繁殖入り。12頭の産駒を残し、1971年に24歳で死亡した。
直仔に目立った活躍馬は出なかったものの、曾孫世代でスターライヒ・ガールライヒ姉妹が1981年と1985年のキヨフジ記念を制し、自身の名を冠したレースの歴代勝利馬の血統にキヨフジの名が刻まれた。現在はキヨフジの牝系は途絶えてしまったが、母リガーユートピアの牝系は辛うじて残存している。

血統表

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関連リンク

関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • 1951年クラシック世代
    • トキノミノル
    • ツキカワ
  • 川崎競馬場
    • ロジータ
  • クモハタ / ミラクルユートピア
  • エンプレス杯
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