ジャワ沖海戦とは、大東亜戦争中の1942年2月4日に生起した日本海軍第11航空艦隊vs連合軍艦隊の戦闘で、日本側が勝利した。アメリカ軍側の呼称はマカッサル海峡海戦。
開戦と同時に開始された南方作戦により、帝國陸海軍は破竹の快進撃を見せていた。マレー沖海戦でイギリスの二大戦艦を撃沈されて以降、連合軍の水上戦力は小型艦による散発的な反撃しか出来ていなかった。そうしている間にも日本の電撃的侵攻は進み、セレベス島マカッサルを攻略するための輸送船団がバリクパパンより出撃した。マカッサルはセレベス島の要港であり、ここを占領されればオランダ軍の本拠地ジャワ周辺の制海権喪失を意味していた。連合軍艦隊を束ねるカレル・ドールマン少将は輸送船団攻撃を決意し、残っていた戦力を全て投入した。
1942年1月31日、旗艦デ・ロイテル、蘭軽巡トロンプ、米重巡ヒューストン、マーブルヘッド、駆逐艦7隻を率いてスラバヤを出撃。計11隻の艦艇が船団を撃滅せんと勇んで海を漕ぎ出す。ところが艦隊の背後にも日本の輸送船団が出現し、護衛の艦艇に挟撃される事を恐れたドールマン少将は航路変更し、迂回ルートを取った。2月4日、バリ島北方で日本軍の偵察機が連合軍艦隊を発見。セレベス島ケンダリー基地に進出していた第11航空艦隊所属の一式陸攻36機と九六式陸攻24機が迎撃に向かった。
午前9時49分、第一波の一式陸攻隊が到着。急降下爆撃が出来ないので緩降下爆撃で250kg爆弾を投下、マーブルヘッドに2発の命中弾と4発の至近弾を与えた。続いて第二波の九六式陸攻隊が到着。ヒューストンに命中弾1発、デ・ロイテルに1発の至近弾を与えた。60機による攻撃にしては戦果が乏しかったが、ドールマン少将の戦意を挫く事には成功。船団攻撃を諦め、スラバヤへと引き返した。船団が壊滅したバリクパパン沖海戦の二の舞だけは避けられた。
その後、日本軍は2月8日にマカッサルへ上陸。2日後にはバンジェルマシンに上陸し、連合軍にとって更に厳しい戦況となっていく。
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最終更新:2025/12/11(木) 14:00
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