セントクリストファー・ネイビス 単語


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セントクリストファーネイビス

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基本データ
正式名称 セントクリストファー・ネイビス連邦
Federation of Saint Christopher and Nevis
国旗
国歌 おお美しき国よ!
公用語 英語
首都 バセテール(Basseterre)
面積 262km²(世界第188位)
人口 約4万人(世界第187位)
通貨 東カリブ・ドル(XEC, EC$)

セントクリストファー・ネイビスFederation of Saint Christopher and Nevis)とは、中米カリブ海に浮かぶ西インド諸島に属する小アンティル諸島内にあるセントクリストファー島とネイビス島からなる立憲君主国である。セントキッツ・ネービス(Saint Kitts and Nevis)という通称が広く用いられており、同国政府も通称を正式名称の一つであるとしている(後述)。

インターネット普及率86.96%で世界第二位(2004年、ITU調べ)という驚異的な数字を叩き出した知られざるIT大国である。そのためか、海外の反応シリーズの一部動画でやたらと日本のアニメに詳しかったりする。

概要

国土であるクリストファー島とネイビス島は1493年にコロンブスが上陸した際に名づけられた。欧州からの本格的な入植があった1624年以後、イギリスとフランスが領有権を巡って対立したが、ヴェルサイユ条約で英領が確定し、イギリス自治領を経て1983年9月19日に独立を果たした。

象徴的国家元首に英国女王エリザベス二世を戴く英王国連邦の一国であり、イギリス連邦の加盟国である。また、カリブ共同体(CARICOM)と東カリブ諸国機構(OECS)に加盟している。外交姿勢は親米親英の穏健路線。台湾承認国でもある。地域安全保障システムに参加しており、独自の軍隊は持っていない。日本の大使館は設置されておらず、在トリニダード・トバゴ大使館が同国を兼轄している。

植民地時代はサトウキビ栽培が主要産業の農業島国だったが、ハリケーンの被害や砂糖価格の変動により利益が出なくなり、2005年7月をもって砂糖の生産を中止した。現在は観光、砂糖以外の農産品、オフショア金融の振興に努めている。また、電気機械の組み立てでアメリカ合衆国との取り引きが多い。2001年の米国同時多発テロで一時は観光業が減少したものの、堅強な経済成長と低い失業率を維持している。

世界遺産「ブリムストーン・ヒル要塞」

セントクリストファー島の首都から北の海岸線に沿った丘陵地にあるブリムストーン・ヒル(硫黄の丘)要塞は17世紀から18世紀にかけて建設され、当時のイギリスの西インド諸島攻略の拠点地として「西インド諸島のジブラルタル」と呼ばれた。1782年のフランス軍の侵攻では激戦地となった。イギリスの覇権が確立した19世紀にハリケーンの被害を受けそのまま放棄されていたが、1965年に国立公園なったことで修復された。現在はブリムストーン・ヒル要塞国立公園としてユネスコ世界遺産に登録されている。

島名の由来

セントクリストファー島(セントキッツ島)

アジアへの西航路を探索していたクリストファー・コロンブスが1493年11月12日に発見、上陸した島。自身の名前の由来である聖クリストファーを島名にしたのが始まり。クリストファー(人名)の愛称がキッツであることから、セントキッツ島の通称で呼ばれるようになった。また、島民はキティシャンとも呼ばれる。

ネイビス島

コロンブスらが島を見た時、最高峰の山の頂が雲で覆われており、それを雪と勘違いしたことから雪を意味するスペイン語のニエベ(Nieve)を捩ってネイビス島と名づけられた。島民はニビシャンとも呼ばれる。

地理

カリブ海の西インド諸島に属する小アンティル諸島内のリーワード諸島に位置する小さな島国。セントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島の2島からなり、総面積は高知県高知市とほぼ同じである。どちらも火山島であり、山岳地帯には標高1000m前後の休火山がある。島の周囲は珊瑚礁が多い。両島とも平地のほとんどが植民地時代に開墾されサトウキビ畑になっている。

歴史

1493年、クリストファー・コロンブスが島を発見、上陸する。
1624年、英国貴族トーマス・ワーナー卿の入植者団がセントキッツ島に本格的な入植を開始。
1625年、フランスの入植者団が入植開始。以後、両者の対立が続く。入植者たちによって先住民が虐殺され殆どいなくなる。
1627年、英入植者が島中央、仏入植者が島北部と南部とする分割条約が締結される。
1628年、英入植者がネイビス島にも入植する。
1664年~、イギリスとフランスの間でセントキッツ島の争奪戦が激化する。
1713年、ユトレヒト条約でイギリスの領有権が確定する。
1782年、フランスがセントキッツ島に侵攻。激戦の末、フランスが勝利する。
1783年、ヴェルサイユ条約で島がイギリスに返還される。
1861年~、セントキッツ島、ネイビス島、近隣のアンギラ島が一つの植民地として管理されるようになる。
1932年、セントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党(SKNLP)が独立キャンペーンを行う。
1956年、セントキッツ島、ネイビス島、アンギラ島が別々の植民地になる。
1958年、イギリス領西インド連邦に加盟。
1967年、セントキッツ・ネイビス・アンギラとしてイギリス自治領になる。アンギラがこの枠組みに反対し、単独で独立宣言した。
1669年、アンギラ島政府がアンギラ共和国の成立を宣言する。ただし、派遣されたイギリス武装警官隊に無血投降し植民地統治下に復帰。
1980年、アンギラ島がセントキッツ・ネイビスから分離。アンギラ自治領になる。
1983年、セントキッツ島とネイビス島がセントクリストファー・ネイビスとしてイギリスから独立。
1989年、大型ハリケーン「ヒューゴ」により深刻な被害が出る。
1998年、ネイビス島の分離独立を問う住民投票。賛成票数が2/3に僅かに届かず分離は否決される。

モーフィアス・グロクスター事件(米国P2P規制裁判)

2001年にP2PソフトMorpheus、KaZaA、Groksterに対して米映画業協会・全米レコード協会が起こした著作権侵害裁判のこと。被告になったグロクスター社(Grokster)は、クリストファー・ネイビスに本拠を置くソフトウェア企業であった。当初、米連邦地裁は2度にわたりP2Pソフトのそのものに違法性は無くネットワーク上で発生する著作権侵害に対しサービス運営企業は責任を負わないとする判決を出していたのだが、2005年に米最高裁で「P2Pソフト製作側にもユーザーの違法行為に対する法的責任がある」と主張する映画・レコード会社が勝訴した。この判決によりP2P企業は著作権を侵害するファイルの交換の責任を問われることになり、P2Pソフトの配布と運用の停止が相次いだ。なお、グロクスター社は現在閉鎖されている。

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関連項目

  • インターネット普及率世界二位
  • カリブ海
  • 英王国連邦
  • イギリス連邦
  • 世界遺産
  • 国の一覧
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