ダイナアクトレスとは、日本の元競走馬・繁殖牝馬である。
エアグルーヴ以前の女傑の代名詞であり、牡馬混合重賞5勝と大活躍した名牝。
馬名の由来は社台レースホースが当時使用していた冠名ダイナ+母から連想して女優(Actress)から。
この馬の一口馬主に女優の南田洋子がいた事からも来ている。
(以下、馬齢表記は断りがない場合旧馬齢表記)
父は言わずと知れた大種牡馬ノーザンテースト、母はクラシック未出走ながら古馬相手に活躍し、1978年の最優秀四歳牝馬を受賞したモデルスポート、
母の父はトムフール系の種牡馬モデルスポートで、母は遡るとアメリカの名繁殖牝馬ラトロワンヌがいる良血である。
牧場時代からすばらしいバネと荒い気性を見せており、走る馬と話題になっていた。
1985年の夏、北海道でデビューすると卓越したスピードで3連勝。つけた着差が合計16馬身、重賞の函館三歳ステークスも軽くぶっこ抜きダービー挑戦すら視野に入れられる程であった。
しかしその後脚に不安が出て春まで長期の休養を強いられる。その間にメジロラモーヌという黒い女傑が出現。彼女の打倒を第一目標に据えることとなった。
というわけで、桜花賞へ向けてのギリギリのタイミングである3月22日のすみれステークスで復帰。しかしここでゲート入りを嫌って大暴れ。
ゲートを壊さんばかりに暴れてパニック状態となってしまいレースどころではなくなったが馬体に異常がなかったため出走。
もちろん最下位大敗。勝ったら逆になんなんだというryこのご乱行で出走停止一ヶ月と調教再審査の罰則が適用され、桜花賞への道は絶たれた。
なんとかオークスへ出走するべく四歳牝馬特別(東)へ向かったが、嫌いなゲート調教続きでストレスがかかっていたとも言われ、
メジロラモーヌの前にいいところなく2着、オークスでも出遅れたラモーヌはおろかユウミロクにも差され3着とクラシックはいいところなく終了。
秋はローズステークスから始動し三度ラモーヌとの対決、そしてエリザベス女王杯での三冠阻止を目標にしていたがローズステークス前に股関節を痛め、4歳シーズンはここで終了となってしまう。
こうして、4歳一杯で引退したメジロラモーヌとの対決は2戦2敗で終わってしまった。万全の状態での対決が見たかったものである。
5歳春は京王杯スプリングカップから始動、人気薄ながらニッポーテイオーの2着と奮闘。安田記念でも得意ではない重馬場ながら5着。
しかし当時春開催だった重賞阪急杯では折り合いを欠き大敗。休養に入る。
秋は京王杯オータムハンデから復帰。このレースから名手岡部幸雄に乗り替わると、56キロを背負いながら当時の世界レコードタイの1:32:2で駆け抜け圧勝。
その後、毎日王冠でニッポーテイオーら牡馬も一蹴。天皇賞(秋)でも二番人気に推されるが、重馬場が応えたか8着に完敗。
しかし次走のジャパンカップでは前走富士ステークスで脅威の末脚を見せ、断然の人気に推されたトリプティクに先着してみせ、日本馬最先着の3着に善戦する。
この結果に当時の社台総帥吉田善哉は大いに喜び、「あの!世界のトリプティクに先着した!ダイナアクトレス!」とアクトレスを紹介するのが常になったという。ウザい。
そして有馬記念に向かったが荒れ馬場やメリーナイス落馬、サクラスターオー散華など荒れた展開になったのが応えたか7着に終わる。
しかし年間通じて牡馬と戦い、互角以上に戦った実績が認められ最優秀5歳以上牝馬に選出された。
6歳になっても現役続行。当時府中の春開催だったスプリンターズステークスを勝ち、京王杯スプリングカップでは
ニッポーテイオーを下し連覇達成。意気揚々と安田記念に向かったがニッポーテイオーにやり返され2着に敗れる。
秋は毎日王冠連覇を目指したがシリウスシンボリに蹴り飛ばされてしまった影響か5着、秋の天皇賞ではタマモとオグリの前に完敗し4着に終わる。
このあと、ジャパンカップ出走を予定していたが疲労が上手く取れなかったことからこのまま引退。繁殖入りとなった。通算成績19戦7勝。結局GⅠは取れずじまいであった。
繁殖牝馬としても優秀さを発揮し、初仔からステージチャンプを輩出。第二子のプライムステージも活躍。末っ子のベストロケーションもそこそこ活躍した。
孫からもトレアンサンブルからマルカラスカル(中山大障害など)、ランニングヒロインからスクリーンヒーロー(ジャパンカップなど)、プライムステージからアブソリュート(東京新聞杯など)が出ており
現役時代全敗だったメジロラモーヌや、GⅠ制覇を阻んだニッポーテイオーを遥かに超える実績を残した。
競走馬としての評価は才気溢れるスピードと旺盛な闘争心を備えていたが、何かが一歩足りなかった馬と言えるであろう。
吉田善哉も「ノーザンテースト最大の大物になる」と言っていたが、その期待に十全に応えたとは言いがたい。
岡部幸雄は「世界クラスの牝馬なのは間違いない」と前置きしつつ、「何か些細なきっかけで明暗が別れてしまう難しい馬」とも述べており
「3歳の頃に力を見せつけて勝つだけじゃなく、折り合いだとか色々教え込んでおけば、良かったと思う。アクトレスは教育に応える頭の良さを持っていた」と、その才能を惜しんでいた。
もし最初から先を見据えた騎乗が出来る騎手を乗せていたら、どうなっていたか…今となっては永遠の謎であるが。
しかし、当時としては卓越した牝馬であることは間違いない。間違いないのだが…
70年代のトウメイ、90年代のエアグルーヴ、00年代のウオッカやダイワスカーレット、ブエナビスタらを見ると物足りない感が出てしまうのは仕方のない事だとは思う。
今となっては、なかなか評価の難しい馬である。
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最終更新:2025/12/14(日) 01:00
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