一条兼良 単語

イチジョウカネヨシ

これはリビジョン 2462452 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる

一条兼良(いちじょう・かねよし/かねら 1402~1481)とは、関白・太政大臣・学者である。一条家9代当主。一条経嗣の六男。歌人で連歌を大成した関白・太政大臣である二条良基の孫。桃華叟三関老人後成恩寺などと称した。

名門として公卿に

兄・一条経輔の隠居により11歳で元服する。翌年の1413年に従三位に叙せられて公卿に列した。

1429年に左大臣に任じられるが従兄弟の二条持基に実権を握られた。

その後公卿としては不遇の生活を送った。

学者になる

しかし、学者としての名声は高まり、将軍家の歌道などに参与した。

1455~57年ごろに『日本書記』の注釈書である『日本書紀纂疏』(全6巻)を著す。

応仁の乱においては一条室町の邸宅と書庫「桃花坊文庫」を焼失する。

1468年には戦火から逃れるために、子・尋尊がいる興福寺大乗院に身を寄せる。奈良では『源氏物語』の注釈書『花鳥余情』を完成させる。

父や祖父を超える

学者ということもあり、色々な分野の学問を研究していただけに、対象も広く有職故実から和歌・連歌・能楽にも詳しかった。

当時の人々からは、「日本無双の才人」と評され、兼良自身「菅原道真以上の学者である」と豪語するほどであった。

一条兼良の子供たち

兼良は正室・側室の5人の女性を娶った。

判明してるだけでも10男10女の精力家でもあった。

  • 長男:一条教房(1423~1480)土佐に下向。土佐中村を小京都に発展させる。父より早く先立ち死去。
  • 三男:尋尊(1430~1508)興福寺大乗院の僧で一時兼良を匿う。
  • 五男:良鎮(?~1516)父の養子となる。
  • 九男:一条冬良(1464~1514)兼良の第二十三子。のちの関白。京一条氏の系譜を継ぐ。長兄・教房の孫・一条房通を婿養子に迎える。

関連項目

  • 二条良基
  • 一条経嗣
  • 一条教房
  • 一条政房
  • 一条房家
  • 一条兼定
  • 土佐一条氏
  • 戦国時代の人物の一覧

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
紲星あかり[単語]

提供: 核砂糖入り紅茶

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/11(木) 20:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/11(木) 20:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP