内閣総理大臣とは、日本一の貧乏くじ日本の内閣における首長である。単に総理(大臣)、首相とも。任期は一年。
内閣総理大臣とは行政府の首長である。
日本国憲法第67条に基づき、国会議員の中から国会の議決により指名され、第6条に基づき天皇により任命される。
内閣総理大臣になることのできる年齢は特に定められていないため、最低年齢としては公職選挙法第10条に定められている衆議院議員の被選挙権が与えられる最低年齢の満25歳であるが、25歳で内閣総理大臣になる可能性は現実的には皆無と言ってよい。
就任時の最年少記録は伊藤博文(初代)の44歳であり、現在もその記録は破られていない。また、日本国憲法下における最年少記録は安倍晋三の51歳(第90代)である。逆に最長年齢での就任は鈴木貫太郎(第46代)の77歳、最年長での在任は大隈重信の78歳(第17代)、戦後の就任年齢では幣原喜重郎(第44代)の73歳、現行憲法下では石橋湛山(第55代)の72歳である。
略称は「総理」。また通称として内閣における首席の大臣を意味する「首相」という言葉も用いられる(漢語の「相」は「大臣」の意味を表す。外相=外務大臣・国交相=国土交通大臣など)。
正式名の「内閣総理大臣」は、日本出自の固有呼称である。
| 代 | 政府首班 | 在職期間(日数) | 出身地 | 所属党派・団体等 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 明 治 | |||||
| 1 | 伊藤博文![]() (1) |
1885年12月22日 ~ 1888年4月30日 (明治18年12月22日 ~ 明治21年4月30日) |
861日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 |
| 内閣制度の始まり。憲法作成。鹿鳴館外交。 | |||||
| 2 | 黒田清隆 | 1888年4月30日 ~ 1889年10月25日 (明治21年4月30日 ~ 明治22年10月25日) |
544日 | 薩摩藩 (鹿児島県) |
薩摩閥 |
| 大日本帝国憲法発布。 | |||||
| × | 三条実美 (暫定) |
1889年10月25日 ~ 12月24日 (明治22年10月25日 ~ 12月24日) |
(61日) | 京都 (京都府) |
公卿 |
| 三条内大臣に総理兼任が下命され、2ヶ月間放置。 | |||||
| 3 | 山縣有朋 (1) |
1889年12月24日 ~ 1891年5月6日 (明治22年12月24日 ~ 明治24年5月6日) |
499日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 陸軍 |
| 第1回帝国議会開会。 | |||||
| 4 | 松方正義 (1) |
1891年5月6日 ~ 1892年8月8日 (明治24年5月6日 ~ 明治25年8月8日) |
461日 | 薩摩藩 (鹿児島県) |
薩摩閥 |
| 大津事件で司法・外交問題。 | |||||
| 5 | 伊藤博文![]() (2) |
1892年8月8日 ~ 1896年8月31日 (明治25年8月8日 ~ 明治29年8月31日) |
1485日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 |
| 不平等条約改正問題のうち治外法権の撤廃に成功。日清戦争。 | |||||
| 6 | 松方正義 (2) |
1896年9月18日 ~ 1898年1月12日 (明治29年9月18日 ~ 明治31年1月12日) |
482日 | 薩摩藩 (鹿児島県) |
薩摩閥 |
| 金本位制導入。 | |||||
| 7 | 伊藤博文![]() (3) |
1898年1月12日 ~ 6月30日 (明治31年1月12日 ~ 6月30日) |
170日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 |
| 年内2度の衆議院総選挙に大敗。 | |||||
| 8 | 大隈重信 (1) |
1898年6月30日 ~ 11月8日 (明治31年6月30日 ~ 11月8日) |
132日 | 佐賀藩 (佐賀県) |
肥前閥 憲政党 |
| 板垣退助との連立政権『隈板内閣』。最初の政党内閣。 | |||||
| 9 | 山縣有朋 (2) |
1898年11月8日 ~ 1900年10月19日 (明治31年11月8日 ~ 明治33年10月19日) |
711日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 陸軍 |
| 治安警察法導入。軍部大臣現役武官制成立。 | |||||
| 10 | 伊藤博文![]() (4) |
1900年10月19日 ~ 1901年5月10日 (明治33年5月10日 ~ 明治34年5月10日) |
204日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 立憲政友会 |
| 立憲政友会結党。事実上の政党内閣。 | |||||
| 11 | 桂太郎![]() (1) |
1901年6月2日 ~ 1906年1月7日 (明治34年6月2日 ~ 明治39年1月7日) |
1681日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 陸軍 |
| 日英同盟成立。日露戦争。 | |||||
| 12 | 西園寺公望 (1) |
1906年1月7日 ~ 1908年7月14日 (明治39年1月7日 ~ 明治41年7月14日) |
920日 | 京都 (京都府) |
公卿 立憲政友会 |
| 桂からの禅譲。『桂園内閣』時代の初例。 | |||||
| 13 | 桂太郎![]() (2) |
1908年7月14日 ~ 1911年8月30日 (明治41年7月14日 ~ 明治44年8月30日) |
1143日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 陸軍 |
| 関税自主権の回復。韓国併合。 | |||||
| 大 正 | |||||
| 14 | 西園寺公望 (2) |
1911年8月30日 ~ 1912年12月21日 (明治44年8月30日 ~ 大正元年12月21日) |
480日 | 京都 (京都府) |
公卿 立憲政友会 |
| 1912年(明治45年)7月30日に明治天皇崩御。大正天皇即位。陸軍2個師団増設問題。 | |||||
| 15 | 桂太郎![]() (3) |
1912年12月21日 ~ 1913年2月20日 (大正元年12月21日 ~ 大正2年2月20日) |
62日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 (桂派官僚) |
| 第1次憲政擁護運動(大正デモクラシー)により倒閣。 | |||||
| 16 | 山本権兵衛 (1) |
1913年2月20日 ~ 1914年4月16日 (大正2年2月20日 ~ 大正3年4月16日) |
421日 | 薩摩藩 (鹿児島県) |
薩摩閥 海軍 |
| 実質的政党内閣(政友会)。軍部大臣現役武官制の緩和。シーメンス事件を理由に退陣。 | |||||
| 17 | 大隈重信 (2) |
1914年4月16日 ~ 1916年10月9日 (大正3年4月16日 ~ 大正5年10月9日) |
908日 | 佐賀藩 (佐賀県) |
肥前閥 (立憲同志会) |
| 第1次世界大戦参戦(連合国側)。対華21カ条要求。 | |||||
| 18 | 寺内正毅 | 1916年10月9日 ~ 1918年9月29日 (大正5年10月9日 ~ 大正7年9月29日) |
721日 | 長州藩 (山口県) |
長州閥 陸軍 |
| シベリア出兵。米騒動の発生を理由に退陣。 | |||||
| 19 | 原敬 | 1918年9月29日 ~ 1921年11月4日 (大正7年9月29日 ~ 大正10年11月4日) |
1133日 | 陸奥・盛岡藩 (岩手県) |
立憲政友会 |
| 本格的政党内閣。ワシントン海軍軍縮会議。首相在任中に東京駅で暗殺される。 | |||||
| 20 | 高橋是清
|
1921年11月13日 ~ 1922年6月12日 (大正10年11月13日 ~ 大正11年6月12日) |
212日 | 江戸 (東京都) 【岩手県】 |
立憲政友会 |
| 原敬暗殺により急遽組閣。閣内不一致で早々に瓦解。 | |||||
| 21 | 加藤友三郎 | 1922年6月12日 ~ 1923年8月24日 (大正11年6月12日 ~ 大正12年8月24日) |
439日 | 広島藩 (広島県) |
海軍 |
| 陸海軍軍縮時代。シベリア出兵からの撤退。首相在任中に死去。 | |||||
| 22 | 山本権兵衛 (2) |
1923年9月2日 ~ 1924年1月7日 (大正12年9月2日 ~ 大正13年1月7日) |
128日 | 薩摩藩 (鹿児島県) |
薩摩閥 海軍 |
| 組閣前日に関東大震災。摂政宮(のちの昭和天皇)狙撃事件で総辞職(虎ノ門事件)。 | |||||
| 23 | 清浦奎吾 | 1924年1月7日 ~ 1924年6月11日 (大正13年1月7日 ~ 6月11日) |
157日 | 熊本藩 (熊本県) |
貴族院 |
| 非政党・超然内閣。第2次憲政擁護運動に敗北し退陣。 | |||||
| 24 | 加藤高明 | 1924年6月11日 ~ 1926年1月28日 (大正13年6月11日 ~ 大正15年1月28日) |
597日 | 尾張藩 (愛知県) |
憲政会 |
| 護憲三派連立(1年後に瓦解し憲政会単独政権)。普通選挙法と治安維持法の成立。 | |||||
| 昭 和 ( 戦 前 ) | |||||
| 25 | 若槻礼次郎 (1) |
1926年1月30日 ~ 1927年4月20日 (大正15年1月30日 ~ 昭和2年4月20日) |
446日 | 松江藩 (島根県) |
憲政会 |
| 1926年(大正15年)12月25日に大正天皇崩御。昭和天皇即位。昭和金融恐慌。 | |||||
| 26 | 田中義一 | 1927年4月20日 ~ 1929年7月2日 (昭和2年4月20日 ~ 昭和4年7月2日) |
805日 | 長州藩 (山口県) |
立憲政友会 長州閥 |
| 最初の男子普通選挙。張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)。 | |||||
| 27 | 浜口雄幸 | 1929年7月2日 ~ 1931年4月14日 (昭和4年7月2日 ~ 昭和6年4月14日) |
652日 | 土佐藩 (高知県) |
立憲民政党 |
| 金解禁。ロンドン海軍軍縮条約で統帥権干犯問題。首相在任中に暴漢に襲われ、その際の怪我が理由で退陣。 | |||||
| 28 | 若槻礼次郎 (2) |
1931年4月14日 ~ 12月13日 (昭和6年4月14日 ~ 12月13日) |
244日 | 松江藩 (島根県) |
立憲民政党 |
| 満洲事変発生。拡大路線に反対をしてきたが、支持が得られず閣内不一致で総辞職。 | |||||
| 29 | 犬養毅 | 1931年12月13日 ~ 1932年5月16日 (昭和6年12月13日 ~ 昭和7年5月16日) |
156日 | 備中・庭瀬藩 (岡山県) |
立憲政友会 |
| 戦前最後の政党内閣。五・一五事件で暗殺。 | |||||
| 30 | 斎藤実 | 1932年5月26日 ~ 1934年7月8日 (昭和7年5月26日 ~ 昭和9年7月8日) |
774日 | 陸奥・仙台藩 (岩手県水沢) |
海軍 |
| 『挙国一致内閣』。国際連盟より脱退。帝人事件。 | |||||
| 31 | 岡田啓介 | 1934年7月8日 ~ 1936年3月9日 (昭和9年7月8日 ~ 昭和11年3月9日) |
611日 | 越前藩 (福井県) |
海軍 |
| 天皇機関説問題。二・二六事件発生の責任をとり辞任。一時は二・二六事件で死亡したとされた。 | |||||
| 32 | 広田弘毅 | 1936年3月9日 ~ 1937年2月2日 (昭和11年3月9日 ~ 昭和12年2月2日) |
331日 | 福岡県 | 外務省官僚 |
| 日独防共協定締結。軍部大臣現役武官制の復活。 | |||||
| 33 | 林銑十郎 | 1937年2月2日 ~ 6月4日 (昭和12年2月2日 ~ 6月4日) |
123日 | 石川県 | 陸軍 |
| 食い逃げ解散をし、野党より議席を下回ったにも関わらず退陣をしなかったため、倒閣運動が拡大し、やむなく退陣。 | |||||
| 34 | 近衛文麿![]() (1) |
1937年6月4日 ~ 1939年1月5日 (昭和12年6月4日 ~ 昭和14年1月5日) |
581日 | 東京府 (東京都) |
貴族院 |
| 盧溝橋事件・第二次上海事変により『日中戦争』勃発。国家総動員法が成立。 | |||||
| 35 | 平沼騏一郎 | 1939年1月5日 ~ 8月30日 (昭和14年1月5日 ~ 8月30日) |
238日 | 美作・津山藩 (岡山県) |
枢密院 司法省官僚 |
| 独ソ不可侵条約締結により「欧州情勢複雑怪奇」声明を出し退陣。 | |||||
| 36 | 阿部信行 | 1939年8月30日 ~ 1940年1月16日 (昭和14年8月30日 ~ 昭和15年1月16日) |
140日 | 石川県 | 陸軍 |
| 第2次世界大戦勃発。日中戦争対策に尽力。価格等統制法など国民生活の規制が拡大。 | |||||
| 37 | 米内光政 | 1940年1月16日 ~ 7月22日 (昭和15年1月16日 ~ 7月22日) |
189日 | 岩手県 | 海軍 |
| 三国同盟に反対したため引きずり降ろされる。斎藤隆夫代議士の「反軍演説」。 | |||||
| 38 | 近衛文麿![]() (2) |
1940年7月22日 - 1941年7月18日 (昭和15年7月22日 ~ 昭和16年7月18日) |
362日 | 東京府 (東京都) |
貴族院 大政翼賛会 |
| 日独伊三国同盟締結。「大東亜新秩序建設」宣言。大政翼賛会成立。 | |||||
| 39 | 近衛文麿![]() (3) |
1941年7月18日 ~ 10月18日 (昭和16年7月8日 ~ 10月18日) |
93日 | 東京府 (東京都) |
貴族院 大政翼賛会 |
| 松岡洋右外相を追放し日米交渉に努力。行き詰り退陣。 | |||||
| 40 | 東條英機
|
1941年10月18日 ~ 1944年7月22日 (昭和16年10月18日 ~ 昭和19年7月22日) |
1009日 | 東京府 (東京都) |
陸軍 大政翼賛会 |
| 太平洋戦争開戦。太平洋と大陸での泥沼の戦い。絶対国防圏。サイパン島陥落の責任を執り辞任。 | |||||
| 41 | 小磯国昭 | 1944年7月22日 ~ 1945年4月7日 (昭和19年7月22日 ~ 昭和20年4月7日) |
260日 | 栃木県 | 陸軍 大政翼賛会 |
| 日中和平工作を画策するも頓挫。陸軍大臣人事の混乱により総辞職を余儀なくされる。 | |||||
| 42 | 鈴木貫太郎
|
1945年4月7日 ~ 8月17日 (昭和20年4月7日 ~ 8月17日) |
133日 | 下総・関宿藩 (和泉国内 飛び地領地) |
海軍 大政翼賛会 |
| 昭和天皇の推薦で陸軍の反対を押し切って首相就任。原爆投下。ポツダム宣言受諾。宮城事件。敗戦。 | |||||
| 昭 和 ( 戦 後 ) | |||||
| 43 | 東久邇宮稔彦王 | 1945年8月17日 ~ 10月9日 (昭和20年8月17日 ~ 10月9日) |
54日 | 京都府 | 皇族 |
| 降伏文書調印。GHQによる占領体制のはじまり。 | |||||
| 44 | 幣原喜重郎 | 1945年10月9日 ~ 1946年5月22日 (昭和20年10月9日 ~ 昭和21年5月22日) |
226日 | 大阪府 | 外務省官僚 進歩党 |
| 日本国憲法公布。女性参政権成立。 | |||||
| 45 | 吉田茂![]() (1) |
1946年5月22日 ~ 1947年5月24日 (昭和21年5月22日 ~ 昭和22年5月24日) |
368日 | 東京府 (東京都) 【高知県】 |
外務省官僚 日本自由党 |
| 大日本帝国憲法による最後の内閣。日本国憲法施行。 | |||||
| 46 | 片山哲 | 1947年5月24日 ~ 1948年3月10日 (昭和22年5月24日 ~ 昭和23年3月10日) |
292日 | 和歌山県 【神奈川県】 |
日本社会党 |
| 史上初の社会党政権(民主党・国民協同党と連立)。農地解放。党内対立で瓦解。 | |||||
| 47 | 芦田均 | 1948年3月10日 ~ 10月15日 (昭和23年3月10日 ~ 10月15日) |
220日 | 京都府 | 民主党(昭和) |
| 民主党・社会党・国民協同党連立。昭和電工事件で退陣。 | |||||
| 48 | 51 |
吉田茂![]() (2)~(5) |
1948年10月15日 ~ 1954年12月10日 (昭和23年10月15日 ~ 昭和29年12月10日) |
2248日 | 東京府 (東京都) 【高知県】 |
民主自由党 ↓ 自由党(昭和) |
| サンフランシスコ講和条約により独立回復。旧日米安保条約締結。戦後政治モデルの形成。 | |||||
| 52 | 54 |
鳩山一郎![]() (1)~(3) |
1954年12月10日 ~ 1956年12月23日 (昭和29年12月10日 ~ 昭和31年12月23日) |
745日 | 東京府 (東京都) |
日本民主党 ↓ 自由民主党 |
| 保守合同(自民党結党)と左右社会党の統一により『55年体制』成立。日ソ共同宣言。国際連合加盟。 | |||||
| 55 | 石橋湛山
|
1956年12月23日 ~ 1957年2月25日 (昭和31年12月23日 ~ 昭和32年2月25日) |
65日 | 東京府 (東京都) 【静岡県】 |
自由民主党 |
| 元新聞記者としての経験を生かした政治が期待されたが、就任1か月で脳梗塞を発症し退陣。 | |||||
| 56 | 57 |
岸信介![]() (1)~(2) |
1957年2月25日 ~ 1960年7月19日 (昭和32年2月25日 ~ 昭和35年7月19日) |
1241日 | 山口県 | 自由民主党 |
| 新日米安保条約締結と安保闘争。皇太子御成婚。 | |||||
| 58 | 60 |
池田勇人![]() (1)~(3) |
1960年7月19日 ~ 1964年11月9日 (昭和35年7月19日 ~ 昭和39年11月9日) |
1575日 | 広島県 | 自由民主党 |
| 高度経済成長時代の到来。東京オリンピック開催。 | |||||
| 61 | 63 |
佐藤栄作 (1)~(3) |
1964年11月9日 ~ 1972年7月7日 (昭和39年11月9日 ~ 昭和47年7月7日) |
2798日 | 山口県 | 自由民主党 |
| 沖縄諸島・小笠原諸島の返還。「非核三原則」声明。札幌オリンピック開催。 | |||||
| 64 | 65 |
田中角栄![]() (1)~(2) |
1972年7月7日 ~ 1974年12月9日 (昭和47年7月7日 ~ 昭和49年12月9日) |
886日 | 新潟県 | 自由民主党 |
| 日本列島改造論。日中国交正常化。第一次オイルショック。 | |||||
| 66 | 三木武夫 | 1974年12月9日 - 1976年12月24日 (昭和49年12月9日 ~ 昭和51年12月24日) |
747日 | 徳島県 | 自由民主党 |
| ロッキード事件と「三木おろし」で派閥抗争激化。 | |||||
| 67 | 福田赳夫 | 1976年12月24日 - 1978年12月7日 (昭和51年12月24日 ~ 昭和53年12月7日) |
714日 | 群馬県 | 自由民主党 |
| 「ダッカ事件」で超法規的措置(「人命は地球より重い」声明)。日中平和友好条約締結。 | |||||
| 68 | 69 |
大平正芳![]() (1)~(2) |
1978年12月7日 ~ 1980年6月12日 (昭和53年12月7日 ~ 昭和55年6月12日) |
554日 | 香川県 | 自由民主党 |
| ソ連のアフガニスタン侵攻でモスクワ五輪ボイコット。「四十日抗争」などで派閥対立頂点に。選挙中に急死。 | |||||
| 70 | 鈴木善幸 | 1980年7月17日 ~ 1982年11月27日 (昭和55年7月17日 ~ 昭和57年11月27日) |
864日 | 岩手県 | 自由民主党 |
| 『土光臨調』による行政改革。中国・韓国との歴史教科書問題。 | |||||
| 71 | 73 |
中曽根康弘![]() (1)~(3) |
1982年11月27日 ~ 1987年11月6日 (昭和57年11月27日 ~ 昭和62年11月6日) |
1806日 | 群馬県 | 自由民主党 |
| 「戦後政治の総決算」を標榜(教育基本法、戦後歴史教育見直し、靖国神社公式参拝、防衛費1%枠撤廃)。行革と国鉄・日本電電・専売公社民営化。日本航空完全民営化。「田中曽根」内閣と揶揄される。トップダウン型の政策展開。プラザ合意。ロンヤス外交。「不沈空母」発言。ウィリアムズバーグ・サミット。衆参同日選挙で大勝(死んだふり解散)。三原山噴火。 | |||||
| 平 成 | |||||
| 74 | 竹下登
|
1987年11月6日 ~ 1989年6月3日 (昭和62年11月6日 ~ 平成元年6月3日) |
576日 | 島根県 | 自由民主党 |
| 1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇崩御。今上天皇即位。昭和最後の総理大臣。ふるさと創生事業。バブル景気。牛肉・オレンジ輸入自由化。3%の消費税導入。石橋湛山以来の靖国神社不参拝。リクルート事件。 | |||||
| 75 | 宇野宗佑
|
1989年6月3日 ~ 8月10日 (平成元年6月3日 ~ 8月10日) |
69日 | 滋賀県 | 自由民主党 |
| 首相の女性問題に加え3点セット(リクルート問題・消費税問題・オレンジ輸入自由化問題)などが争点になった参議院選挙大敗(以後自民党は参院過半数を回復できず)。土井ブーム。中国で六四天安門事件。 | |||||
| 76 | 77 |
海部俊樹![]() (1)~(2) |
1989年8月10日 ~ 1991年11月5日 (平成元年8月10日 ~ 平成3年11月5日) |
818日 | 愛知県 | 自由民主党 |
| バブル崩壊。湾岸戦争(資金提供・「一国平和主義」批判。PKO法案・自衛隊ペルシャ湾派遣。秋篠宮文仁親王結婚の儀、今上天皇即位の礼・大嘗祭。 | |||||
| 78 | 宮澤喜一
|
1991年11月5日 ~ 1993年8月9日 (平成3年11月5日 ~ 平成5年8月9日) |
644日 | 東京府 (東京都) 【広島県】 |
自由民主党 |
| PKO法成立、自衛隊カンボジア派遣。河野談話。金丸事件。リクルート事件。不信任案と総選挙敗北で自民党初の下野。 | |||||
| 79 | 細川護煕
|
1993年8月9日 ~ 1994年4月28日 (平成5年8月9日 ~ 平成6年4月28日) |
263日 | 東京府 (東京都) 【熊本県】 |
日本新党 |
| 非自民・非共産8党連立政権。政治改革4法成立(公職選挙法改正、政治資金規正法改正、政党助成法、小選挙区比例代表並立制導入)。国民福祉税構想。コメ市場部分開放、ブレンド米輸入。佐川急便事件で退陣。 | |||||
| 80 | 羽田孜
|
1994年4月28日 ~ 6月30日 (平成6年4月28日 ~ 6月30日) |
64日 | 東京府 (東京都) 【長野県】 |
新生党 |
| 与党内紛で社会党が連立離脱し少数与党政権。史上三番目の短命政権。 | |||||
| 81 | 村山富市
|
1994年6月30日 ~ 1996年1月11日 (平成6年6月30日 ~ 平成8年1月11日) |
561日 | 大分県 | 日本社会党 |
| 自社さ連立政権(自民党・社会党・新党さきがけ)、自民党からの政権交代。「人にやさしい政治」。小選挙区比例代表並立制。消費税率アップ。阪神大震災。地下鉄サリン事件。村山談話。「女性のためのアジア平和国民基金」設立。宗教法人法改正(創価学会との対立)。官邸機能強化と政治主導。 | |||||
| 82 | 83 |
橋本龍太郎![]() (1)~(2) |
1996年1月11日 ~ 1998年7月30日 (平成8年1月11日 ~ 平成10年7月30日) |
932日 | 東京府 (東京都) 【岡山県】 |
自由民主党 |
| 「橋龍人気」。行政改革会議。日露首脳外交。消費税を5%に増税。住専公的資金処理問題。ペルー日本大使館人質事件。96年11月より自民単独政権。普天間飛行場返還合意。靖国神社私的参拝。民主党(現)結党。長野オリンピック開催。 | |||||
| 84 | 小渕恵三
|
1998年7月30日 ~ 2000年4月5日 (平成10年7月30日 ~ 平成12年4月5日) |
616日 | 群馬県 | 自由民主党 |
| 金融国会。自民単独→自自連立→自自公連立政権。「冷めたピザ」記事。周辺事態法(日米ガイドライン)・通信傍受法・国旗国歌法・「国民総背番号制」。「日本一の借金王」。ITバブル。地域振興券。「ブッチホン」。有珠山噴火。自由党連立離脱問題の最中に急死。 | |||||
| 85 | 86 |
森喜朗![]() (1)~(2) |
2000年4月5日 ~ 2001年4月26日 (平成12年4月5日 ~ 平成13年4月26日) |
387日 | 石川県 | 自由民主党 |
| 自公保連立政権。「五人組」。九州・沖縄サミット。神の国発言。加藤の乱。えひめ丸事件。 | |||||
| 87 | 89 |
小泉純一郎![]() (1)~(3) |
2001年4月26日 ~ 2006年9月26日 (平成13年4月26日 ~ 平成18年9月26日) |
1980日 | 神奈川県 | 自由民主党 |
| 戦後3位の長期政権。「聖域なき構造改革」、抵抗勢力、官邸主導。アメリカ同時多発テロ事件。イラク派遣。北朝鮮拉致問題。親米路線、東アジア「政冷経熱」(靖国神社参拝問題)。郵政(恫喝)解散――参院の否決に対抗して衆院を解散した。不良債権処理・財政再建・医療費抑制。女系天皇容認発言。「ポピュリズム劇場型」政治。 | |||||
| 90 | 安倍晋三![]() (1) |
2006年9月26日 ~ 2007年9月26日 (平成18年9月26日 ~ 平成19年9月26日) |
366日 | 東京都 【山口県】 |
自由民主党 |
| 「戦後レジームからの脱却」を標榜(美しい国)。再チャレンジ。年金記録問題。教育基本法改正・防衛省昇格。新潟県中越地震。参議院選挙で大敗。その後も暫く辞職を拒むが、衆参ねじれによる施政行き詰まりのほか、持病であった潰瘍性大腸炎の悪化により解散。 | |||||
| 91 | 福田康夫
|
2007年9月26日 ~ 2008年9月24日 (平成19年9月26日 ~ 平成20年9月24日) |
365日 | 東京府 (東京都) 【群馬県】 |
自由民主党 |
| ねじれ国会。大連立構想。「背水の陣内閣」。自衛隊インド洋派遣。防衛省不祥事。道路特定財源の一般財源化。消費者庁創設。北海道洞爺湖サミット。国立公文書館の制度確立。クールアース推進構想。岩手・宮城内陸地震。鳥インフルエンザ。全方位型・対中融和型外交(福田ドクトリン)。「あなたとは違うんです」チンパン辞任。 | |||||
| 92 | 麻生太郎
|
2008年9月24日 ~ 2009年9月16日 (平成20年9月24日 ~ 平成21年9月16日) |
358日 | 福岡県 | 自由民主党 |
| リーマンショックと世界金融危機。価値観外交=「自由と繁栄の孤」構想。定額給付金、エコカー減税・エコポイント、高速道路土休日1000円上限制。「アニメの殿堂」(国立メディア芸術総合センター)問題。「漢字の読み間違い」・「カップラーメンの値段」問題。党内抗争(麻生下ろし)と「政権交代」熱の高まりで総選挙に敗北し、自民党は下野。 | |||||
| 93 | 鳩山由紀夫
|
2009年9月16日 ~ 2010年6月8日 (平成21年9月16日 ~ 平成22年6月8日) |
266日 | 東京都 【北海道】 |
民主党 |
| 民社国連立政権(民主党・社民党・国民新党)。友愛政治。政治主導。事業仕分け。新しい公共。東アジア共同体構想。地球温暖化防止の為の提言(鳩山イニシアチブ)。外国人参政権を巡る発言問題。自身を巡る政治資金問題。対等な日米関係(普天間基地移設)提言、鳩山論文問題。天皇の政治利用問題。自身や小沢一郎幹事長の政治資金問題、普天間基地移設問題を巡る混乱などを受けた「鳩山おろし」に遭い、退陣。 | |||||
| 94 | 菅直人
|
2010年6月8日 ~ 2011年9月2日 (平成22年6月8日 ~ 平成23年9月2日) |
451日 | 山口県 【東京都】 |
民主党 |
| 民国連立政権(社民は離脱)。「騎兵隊内閣」。「第三の道」提言。「カンジアン・エコノミクス」。「小沢外し」。ねじれ国会。尖閣諸島中国漁船衝突事件。警視庁国際テロ捜査情報流出事件。東日本大震災。「脱原発」政策。前原外務大臣・自身の政治献金問題。震災対応の遅れなどを巡る混乱を受けた「菅おろし」に遭い、退陣。 | |||||
| 95 | 野田佳彦
|
2011年9月2日 ~ 2012年12月26日 (平成23年9月2日 ~ 平成24年12月26日) |
482日 | 千葉県 |
民主党 |
| 松下政経塾銘柄。民国連立政権→亀井静香決別。当初の「ノーサイドにしましょう」発言も、事後の民主党分裂。「あぜ道内閣」。財務省意向の色濃い反映・消費税率引き上げ。大隈講堂における早稲田應援團の熱烈応援。これでいい野田解散。 | |||||
| 96 | 98 |
安倍晋三![]() (2)~(4) |
2012年12月26日 ~ 2020年9月16日 (平成24年12月26日 ~ 令和2年9月16日) |
2822日 | 東京都 【山口県】 |
自由民主党 |
| 自民党・公明党の政権復帰。日本国憲法下では初の総理大臣返り咲き。「アベノミクス」。TPP参加・署名。消費税8%増税と税率引き上げの先送り。東京オリンピック(2020)招致。福島第一原発事故をめぐる発言(アンダーコントロール)。マイナンバー制度制定。ISISによる邦人殺害事件に対する非難声明、国際テロリズムとの対決姿勢。西川公也農水大臣、下村博文文科大臣の政治資金問題。ロシアのクリミア併合への非難。普天間基地移設問題にかかる菅義偉官房長官の翁長雄志県知事との会談。特定秘密保護法の成立。選挙権年齢を18歳に引き下げ。自民党総裁選無投票当選。集団的自衛権の限定容認を含む平和安全法制制定(アベ政治を許さない、なんか自民感じ悪いよね)。「一億総活躍社会」。従軍慰安婦への支援事業に対する10億円拠出、朴槿恵大統領との電話会談。甘利明経産大臣違法献金問題で辞任。中谷元防衛大臣、北朝鮮ミサイルへの破壊措置命令、北朝鮮への非難。マイナス金利導入。全国を8つの圏に分割する国土形成計画素案策定。NHK平成28年度予算了承をめぐる問題。自民党議員の不倫辞職。米オバマ大統領広島訪問。民進党など野党4党による内閣不信任案提出。沖縄県議会選挙での自民党敗北。ダッカでのテロによる邦人死亡。第24回参議院議員選挙での勝利、与党での改憲ライン確保。2016年東京都知事選挙での自民党公認候補敗北。天皇の生前退位会見。沖縄県名護市沿岸部でのオスプレイ墜落事故。山口県長門市での露プーチン大統領との会談。高速増殖炉もんじゅ廃炉決定。文科省の天下りをめぐり、前川喜平事務次官辞任。新・米トランプ大統領との会談。浦添市長選挙での自公推薦候補勝利。待機児童ゼロ目標達成を順延。森友学園問題・加計学園問題(モリカケ)。総裁任期を3期へ延長。民泊新法。南スーダン自衛隊派遣をめぐる稲田朋美防衛大臣の発言・日報破棄問題。今村雅弘復興担当大臣失言問題による辞任。今上天皇の退位を認める皇室典範改正特例法制定。都民ファーストの会、希望の党設立を巡り、若狭勝・福田峰之自民党離党。2017年7月東京都議会議員選挙敗北。2017年10月の衆議院選に勝利し第四次安倍内閣を組閣。2019年平成天皇退位と新天皇即位に関する儀式や祝賀などに出席。7月の参院選では与党で過半数は確保したが、自民単独での過半数は失った。11月、総理大臣在任期間が通算で2887日になり、憲政史上最長となった。2020年は新型コロナウイルス対策に追われる。8月に持病悪化により辞職会見を開き、翌9月に辞職。総理大臣在任期間は通算3188日だった。 | |||||
| 令 和 | |||||
| 99 | 菅義偉
|
2020年9月16日 ~ 2021年10月4日 (令和2年9月16日 ~ 令和3年10月4日) |
384日 | 秋田県 【神奈川県】 |
自由民主党 |
| 安倍晋三の持病悪化による安倍内閣退陣の後を受けて、自民党総裁選を経て成立。安倍内閣からの続投大臣も多く、政策を継承するとみられる。安倍内閣から引き続き、新型コロナ対策に追われる。携帯電話料金の値下げにも力を尽くした。2021年は東京オリンピック(2020年)が開催されるも、夏には新型コロナウイルスの感染者が爆発的に増加。緊急事態宣言を出すなどするも歯止めがかからず、支持率は下降。9月には次期自民党総裁選に不出馬の意向を示し、10月に総理大臣職も辞職した。 | |||||
| 100 | 101 |
岸田文雄
|
2021年10月4日 ~ 2024年10月1日 (令和3年10月4日 ~ 令和6年10月1日) |
1094日 | 東京都 【広島県】 |
自由民主党 |
| 菅内閣の総辞職に伴い、自民党の新総裁となった岸田文雄による新内閣が成立。9月半ばごろから新型コロナウイルスの猛威が縮小する中の組閣となった。引き続きのコロナ対策とコロナで弱った経済の立て直しが期待される。組閣直後に任期満了間近だった衆議院を解散し、10月31日投開票の衆議院議員総選挙を実施。与党による過半数を維持し、政権の安定運営を確定させ、11月には第101代総理大臣に選出された。2022年7月には安部晋三襲撃事件が発生し、安倍晋三元首相がなくなったため、岸田が葬儀委員長を務め、国葬儀を9月に行った。2023年1月には「異次元の少子化対策」に触れた。3月にはロシアによるウクライナ侵攻が続く中のウクライナを訪問した。4月には演説中にパイプ爆弾を投げ込まれる襲撃を受けるも、負傷などはなかった。9月には第二次改造内閣を発足させた。2024年8月には次期自民党総裁選に不出馬の意向を示し、9月末に総理大臣職を辞職した。 | |||||
| 102 | 103 |
石破茂
|
2024年10月1日 ~ 2025年10月21日 (令和6年10月1日 ~ 令和7年10月21日) |
386日 | 鳥取県 |
自由民主党 |
| (未記入) | |||||
| 104 | 高市早苗
|
2025年10月21日 ~ (令和7年10月21日 ~) |
(現職) | 奈良県 |
自由民主党 |
| (未記入) | |||||
※三条暫定内閣以外の、日数の短い臨時代理内閣は掲載せず。
※出身地と選挙区が異なる場合は【 】内に選挙区の都道府県名を掲載。
※加藤高明内閣は第1次と第2次で分けないとするのが公式見解。
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最終更新:2025/12/06(土) 22:00
最終更新:2025/12/06(土) 21:00
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