国定信用貨幣論とは、貨幣(いわゆるお金)の成り立ちに関する学説の1つである。
現代貨幣理論(MMT)が採用する貨幣論として有名である。
商品貨幣論とはあらゆる面で正反対の主張をしている。国定信用貨幣論と商品貨幣論の論争は1000年以上も続いてきた。
商品貨幣論は金属主義(Metallism)とも呼ばれる。それに対して、国定信用貨幣論は表券主義(Chartalism)と呼ばれる。
国定信用貨幣論を包括するのが信用貨幣論である。国定信用貨幣論は「国家権力の負債が貨幣」と論じるのに対し、信用貨幣論は「民間人の負債も貨幣になり得る」と説く。
政府は、債務を測る尺度として貨幣を法律で定め、国民へ一方的に強制する。
そして政府は、民間人の貢献に対する報酬として、貨幣で支払う。政府用の建築物の材料となる木材を民間人から徴収したとき、その対価として貨幣を払う。政府用の建築物を建設した労働者に対して、その対価として貨幣を払う。政府に所属する公務員(軍人、官吏)に対して、給料として貨幣を払う。こうして、貨幣が国民経済にばらまかれる。
そして、貨幣で計算された納税義務を法律で定め、国民へ一方的に強制する。市場が開かれていたら商人達に「貨幣で売り上げに応じて税金を払いなさい」と要求し、関所を通る通行人に「貨幣で税金を払いなさい」と要求する。そうすることで、国民の間でその通貨を必要とするようになり、国民の皆が通貨を貯蓄しようとする。政府の徴税権力により、貨幣に対する需要が高まり、誰もが貨幣を尊重するようになる。
国民の皆が通貨を所有しているので、民間の商取引の交換手段としても使われるようになる。どこの家庭でも貨幣があるので、貨幣を仲立ちにして商売することができる。
貨幣となるのは、「民間人に偽造されにくい」という条件を満たしていれば何でも構わない。紙切れでも瓦礫でも、何でも構わない。
政府が徴税権力を強めると、貨幣の需要と価値が高まってデフレになる。
政府が徴税権力を弱めると、誰もが「貨幣なんて持っていてもしょうがない、他の商品と交換してしまおう」と考えるようになり、貨幣価値が減ってインフレになる。
政府の意思で通貨価値を上げたり下げたりすることができ、政府の徴税権力が健在ならばインフレを止めることができる。内乱などで無政府状態になり政府の徴税権力が失われると、ハイパーインフレになる。
以上が国定信用貨幣論のあらましとなる。
商品貨幣論とはあらゆる面で対極に位置しており、まさに水と油である。商品貨幣論と国定信用貨幣論の比較表は、以下のようになっている。
| 商品貨幣論 | 国定信用貨幣論 | |
| 貨幣の定義 | 利用する皆が一様に価値があると信認しているもの | 政府が納税の手段として一方的に強制しているもの |
| 貨幣を支える主体 | 市場に参加する皆 | 政府の徴税権力 |
| 不換紙幣の時代の通貨 | 大衆心理・共同幻想によって通貨が成り立っている | 強大で確実な政府権力によって通貨が成り立っている |
| 貨幣とは | 皆が価値を信認していて欲しがる | 皆が納税のため貯蓄している |
| 暴落が始まるのはいつか | 皆の貨幣に対する信認が失われたとき | 政府が徴税権力を失ったとき |
| 貨幣は本質的にどういうものか | 「貨幣とは、本質的に財産である」 | 「貨幣とは、本質的に債務である」 |
| 分かりやすい表現 | 「貨幣とは、皆が大事に思っている宝物」 | 「貨幣とは、偉い人向けに差し出す貢ぎ物」 |
国定信用貨幣論は、信用貨幣論の一部であり、両者はよく似ている。
信用貨幣論は「貨幣とは負債である」と定義しており、民間人が発行する小切手や手形といった負債証明書も貨幣となり得る、と論じている。ここでの負債は「所有権を放棄する義務、相手に支払いをする義務」といった意味である。
国定信用貨幣論は、「貨幣とは政府の負債である」という考えである。どういう負債かというと、「徴税権を放棄する義務、相手を納税義務から解放する義務」となる。
とにかく浪漫がない、というのが欠点である。
商品貨幣論は「貨幣とは、市場に参加する全員によってその価値を認められており、皆が追い求める夢のような宝物である」と、まことにロマンチックな説明をする。
国定信用貨幣論は、「貨幣とは、権力者がばらまき、権力者が徴税することで成立する。権力者の、権力者による、権力者のための道具である」と、身も蓋もない言い方をする。ロマンチックだとか、甘美さだとか、そんなものは一切ない。
現代貨幣理論(MMT)を信奉したり理解を示したりする学者に支持者が多い。米国のランダル・レイ、ステファニー・ケルトン、日本の松尾匡など。
国定信用貨幣論と酷似した考えを示した歴史上の人物というと、日本の江戸時代の荻原重秀である。元禄時代に勘定奉行を務め、貨幣の改鋳を行って貨幣量を増やし、経済をインフレに導いた。「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」という有名な言葉を言い、国家の権力の後押しがあればどのような素材であろうと貨幣になりうるという国定信用貨幣論そのものの考えを示した。
国定信用貨幣論は「貨幣価値は徴税権力によって決まる」と論ずる理論である。
このため、物価の安定(インフレやデフレの調整)は、立法府(日本でいうと国会)が先頭に立って行うべきである、という結論に到達する。日本国憲法第41条で「国会が唯一の立法機関」と定め、日本国憲法第84条で「租税は法律で決める」と定めてある。アメリカ合衆国憲法第1条第8節でも「議会が税を決める」と書いてある。インフレ・デフレの調整役は国会議員なのだという考えになる。
そして、そういう考えは「中央銀行の独立性」を尊重したがる勢力にとって否定すべきものとなる。アメリカの経済学者が現代貨幣理論(MMT)を罵倒する姿は、多く見られる。それはなぜかというと、現代貨幣理論(MMT)は国定信用貨幣論を採用していて、中央銀行の役割を否定しているからである。
「いつの日かFRB(アメリカ版中央銀行)の議長になり、物価調整の大役を担う権力者になって、皆から尊敬の眼差しで見つめられたい」と思うタイプの経済学者は、FRBから物価調整という仕事を奪い取る国定信用貨幣論や現代貨幣理論(MMT)が大嫌いなのである。
ちなみに、アメリカの民主党左派に現代貨幣理論(MMT)の信奉者が多い。民主党左派はリーマンショックを引き起こしたFRBを嫌っており、FRBとかいうエリート集団は信用ならない、FRBから権力を剥ぎ取りたい、と思っている。そのためFRBを弱体化させる国定信用貨幣論や現代貨幣理論(MMT)が大好きなのである。
ちょっとややこしいので、表にして簡潔にまとめたい。
| 現代貨幣理論(MMT)反対者 | 現代貨幣理論(MMT)支持者 | |
| 貨幣論 | 国定信用貨幣論を受け入れたくない | 国定信用貨幣論の支持者 |
| 物価調整 | 中央銀行が物価を決める | 徴税権力を決める議会が物価を決める |
| 物価調整の担い手 | 中央銀行のエリート学者 | 泥臭い国会議員 |
| 物価調整の理屈 | 頭の良いエリートの金融理論 | 国会議員が国民から吸い上げた民意 |
| 中央銀行の独立性 | 断固として死守すべき。政府や議会の要求をはねのけ、経済学説を体現したい | 中央銀行の独立などどうでもいい。中央銀行は政府に従属した存在になるべきだ |
※この項の資料・・・中野剛志『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』332~335ページ、東洋経済記事4~5ページ
国定信用貨幣論の一大特徴は、政府の通貨発行権を認める点である。「通貨とは、権力者(政府)が作り出したものである」というのだから、もちろん通貨発行権を認めることになる。
その一方で、商品貨幣論は政府の通貨発行権を積極的に認めない。商品貨幣論の信奉者は政府に通貨発行権があることをすぐ忘れてしまう。商品貨幣論は「通貨とは、民間人が自発的に作り出したものである。政府は、民間人が作り出した通貨に寄生しているだけである」という考え方をする。それゆえ、「政府に通貨発行権なんてないんじゃないか?」と考える傾向がある。
国定信用貨幣論は通貨発行権を認めるから、「政府は通貨発行権を使って予算を作るのが普通である。税収というのにとらわれる必要は無い」と論ずる。「政府と中央銀行というのは通貨発行権を持っている。政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を発行して、それを民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。民間に出回る金が増えすぎるとインフレになるので、インフレを抑えるため税金を掛けている」と松尾匡がこの記事で説明しているが、これこそが国定信用貨幣論に基づく考え方である。
一方で、商品貨幣論の信奉者は通貨発行権というものをさっぱり理解できず、通貨発行権が頭の中に入っていない。このため財政均衡主義をとる。「税収と歳出は一致しなければならない。政府は、税収よりも上回る歳出をしてはいけない」と論じ、基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化を強く主張し、常に財政再建という名の緊縮財政を採用することになる。
ここで表を作って、整理しておきたい。
| 商品貨幣論(金属主義) | 国定信用貨幣論(表券主義) |
| 通貨発行権を理解できない。政府は、民間が作り出した貨幣に寄生しているだけ | 通貨発行権を認める。貨幣は政府が作り出したものである |
| どんなときも財政均衡主義。財政再建という名の緊縮財政が大好き | 税収よりも多い歳出をしても構わない。特にデフレの時はそうしてよい |
| 税金は財源そのもの | 税金はインフレ防止のために掛けているだけ |
| デフレ志向 | インフレ容認 |
政府の通貨発行権を認めるのか認めないのか。人類の歴史では、前者と後者で何度も揺れ動いてきた。
19世紀や20世紀前半の各国経済は、管理通貨制度と金本位制の2つの間で揺れ動いた。管理通貨制度は、政府は好きなだけ紙幣を発行できると考える。一方で金本位制は、政府の保有している金塊のぶんだけ紙幣を発行でき、金塊が少なくなれば紙幣を発行できない、という考えであり、通貨発行権を大きく制限するものである。その当時に管理通貨制度を志向する人は「国家主権を維持しようとする人」とされ、金本位制はグローバリズムだった。
20世紀終盤にはEU(欧州連合)というものが作られ、1999年に統合通貨のユーロが発行されるようになり、加盟各国の通貨を廃止した。統合通貨のユーロは、グローバリズムの体現であるともてはやされたのだが、その一方で、加盟各国は国家主権の重要な一部分である通貨発行権を剥奪されたのである。近年ではEU離脱を主張する政治家が多く現れるようになったが、その人たちの主張は「国家主権を取り戻せ、通貨発行権を取り戻せ、自由に政府予算を組めるようにしよう」である。
グローバリズムというのは国家主権を剥奪して、カネの移動を自由にしようという考えであり、新自由主義と言われる。19世紀~20世紀前半のグローバリズムは「すべての国が金本位制を採用し、それぞれの国との通貨決済を容易にするべきだ」と主張し、20世紀終盤~21世紀のグローバリズムは統合通貨ユーロを作り出した。
そうしたグローバリズムの根っこにあるのが、「政府は通貨発行権を持っていない」という考えであり、商品貨幣論と極めて高い親和性がある。
ここで表にして簡潔にまとめておきたい。
| グローバリズム | 反・グローバリズム(ナショナリズム) |
| 各国の通貨発行権を認めない。あるいは、強く制限する | 各国の通貨発行権を認める |
| 金本位制にして、金塊を事実上の世界統合通貨にする | 管理通貨制度にして、各国がそれぞれ好きなように紙幣発行してよいとする |
| 統合通貨ユーロを支持 | 統合通貨ユーロに反対。EU加盟各国は通貨発行権を取り戻すべき |
| EU加盟各国は財政均衡主義をとり、緊縮財政で我慢する運命にある。通貨発行権を放棄しているんだからそれが当然だ | EU加盟各国は通貨発行権を取り戻し、通貨発行権を行使して積極財政をして景気回復すべき |
| 商品貨幣論と高い親和性がある | 国定信用貨幣論と高い親和性がある |
| 商品貨幣論、信用貨幣論、国定信用貨幣論という用語を使って貨幣論を分類している。54~67ページに貨幣論についての文章がある。 | |
| 『富国と強兵』とはうって変わって平易で親しみやすい文体になっている。106~109ページ、151~154ページで国定信用貨幣論を説いている。ただし、国定信用貨幣論という用語を使わず、現代貨幣理論という用語を使っている。 | |
| こちらも平易で親しみやすい文体になっている。42~45ページに現代貨幣理論の貨幣論についての文章がある。 | |
| 奈良時代から江戸時代まで、日本で流通してきた貨幣について紹介する。「この貨幣を発行したときの政府の狙いはどうだったか」ということを入念に論じている。 国定信用貨幣論の考えを随所にちりばめており、「貨幣は政府の負債」という紹介が多い。 |
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最終更新:2025/12/08(月) 22:00
最終更新:2025/12/08(月) 22:00
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