小早川毅彦とは、広島東洋カープの打撃コーチで、元広島、ヤクルトのプロ野球選手である。右投げ左打ち。ポジションは一塁手。
1961年生まれ。広島県広島市出身。PL学園、子供のころに難病を発症し、親に運動を許可されていなかったが、野球始め、自分の身を鍛えている。法政大学を経て1983年ドラフト2位で広島東洋カープに入団。背番号は『6』。
1984年のルーキーイヤーからクリーンナップで活躍するも、足の遅さから機動力打線の広島では併殺打をよく打つ方だった。
1987年シーズンでは、江川卓を引退に追い込むホームランを放ったとして、このホームランが伝説として語り継がれている。
しかし、90年代に入ると、前田智徳や野村謙二郎など、長距離で俊足のバッターが相次いで育ち、次第に出場機会が減り始め、1996年オフに自由契約、その後ヤクルトスワローズに移籍する。背番号は『7』。
1997年シーズンでは、90年代の読売ジャイアンツエース、斎藤雅樹から3打席連続ホームランを放つなど活躍し、野村克也監督(当時)の下で復活してチームの優勝・日本一に貢献する。
1999年シーズンを持って13年間の野球生活に引退を告げた。
生涯成績は出場試合1431、打率.273、出塁率.362、本塁打171、安打1093、打点624、四球502、盗塁34。
残念ながら打数が3打数足りない(3997打数)ので、生涯打率ランキングの規定打数『4000打数』に届かなかった。
2006年より、古巣・広島東洋カープの打撃コーチに就任。2008年にはジェフ・リブジー監督代行(レオ・マーティ・ブラウン監督は母親の葬儀にて一時帰国。)が退場した際に『代理監督代行』として指揮を執った。長い球界の歴史の中で、珍しい出来事である。
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最終更新:2025/12/13(土) 09:00
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