森本稀哲(もりもと ひちょり)とは、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(外野手)。
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スキンヘッドがトレードマーク。俊足と鉄砲肩で、球界屈指の守備力を誇る外野の名手でもある。ファンからは苗字より名前で呼ばれることが多い。父が在日韓国人(本人は日本国籍)で、名前の読みは「稀哲」の韓国語読みにちなむ。
小学生の時、髪の毛などの体毛全てが、突然抜け落ちて生えなくなってしまう「汎発性円形脱毛症」にかかった。これは髪の毛などの体毛全てが、突然抜け落ちて生えなくなってしまう病気で、現在はほぼ克服しているが、「当時の苦労を忘れないように」「同じ病気で苦しむ人に勇気を与えるために」と、毎日自分で剃刀を当ててスキンヘッドにし続けている。
ファンサービスに熱心で、ベイスターズファンや古巣のファイターズファンのみならず、球界全体で人気がある。
日ハム時代、同時期に二軍生活をしていた小谷野栄一と仲が良い。
松坂世代のひとり。帝京高校時代は甲子園で和田毅から本塁打を打ったりした。1998年のドラフト4位で日本ハムファイターズに入団。一軍半の守備・代走要員としての期間が長かったが、2006年途中から1番レフトとしてレギュラーに定着。SHINJO(新庄剛志)、稲葉篤紀と鉄壁の外野陣を形勢、日本ハムの日本一に大きく貢献した。
特に新庄からは弟分として可愛がられ、新庄の引退後は背番号1の後継者に指名される。1番センターとしてレギュラーを務めるとともに、数々のパフォーマンスでファンを沸かせた新庄に倣って、自らも積極的にパフォーマンスを敢行。しかし天性のスター気質だった新庄と違い、どこか一所懸命な感が漂うあたりが微笑ましさでもある。
2008年に死球による骨折で戦線離脱して以降は成績が下降気味となり、レギュラーの座も危うくなったことでパフォーマンスを見せることは少なくなった。2009年からは糸井嘉男の台頭でレフトに回り、2番・レフトとして2年連続の最多犠打を記録、打線の繋ぎ役に徹した。
2010年オフにFA宣言し、横浜ベイスターズに移籍。入団会見では横浜中華街にラーメンマンのコスプレで現れるなど、横浜でもパフォーマンスは継続していく様子。
しかし2011年は5月に扁桃腺炎、7月に自打球を当てるなど、故障に泣かされたシーズンとなった。
2012年も開幕戦に6番左翼で出場、しばらく打撃好調を維持するが、ラミレスの加入で左翼は固定、更に荒波の台頭によりスタメン出場が漸減、主に守備固めでの途中出場がメインになった。シーズン終盤に左手有鈎骨骨折で離脱するが最終的に108試合に出場、その堅守でチームを支えた。雨天中断時にパフォーマンスを披露したりHRを打った際に全力疾走したりと持ち前の明るさも発揮した。
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最終更新:2025/12/07(日) 07:00
最終更新:2025/12/07(日) 07:00
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