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横浜ベイスターズとは、日本プロ野球セントラルリーグの一球団である。
球団創設した1950年時の名前は大洋ホエールズ。松竹ロビンスと合併して大洋松竹ロビンスになった後再び大洋ホエールズに戻り、1978年に横浜大洋ホエールズに、1992年に市民球団を目指し現在の横浜ベイスターズに改称。
決して強くはない。むしろ弱い。大洋ホエールズ時代から数えても、優勝回数はたったの2回(三原脩監督時の1960年、権藤博監督時の1998年)。でも、日本一の回数も2回。日本シリーズには強い。優勝した1998年以降から低迷が始まり、現在でもBクラス+最下位の常連という有様である。
基本的に打高投底のチームであり、98年の優勝時にはマシンガン打線として怖れられた。マシンガン打線のイメージが今でも存在するのか、現在でも打高投底のチームと思っているファンは多い。村田修一や内川聖一など打撃タイトルを得た選手はいるものの、チームの打撃成績でも常に最下位争いをしているのが現実である(投手成績は言わずもがな)。常に投手不足に悩まされ続けており、低迷の原因になっている(フロントの方針がコロコロ変わることも原因だが)。
親会社は東京放送ホールディングス(TBSHD)。ベイスターズは、本社の楽天による買収の防波堤・抵抗の口実として、野球協約の関係上、その価値は高かった(楽天がTBSHDを買収するとイーグルスとベイスターズの二つを保有することになり、これは野球協約違反)のだが、諸般の事情により楽天のTBSHD買収が不可能になり、そういった意味での存在価値は最早無い。そのため現在、12球団中でも身売り候補の筆頭であり、2010年には実際に身売り騒動が巻き起こった。結局2011年以降もTBSHDが球団を保有することになったが、相変わらず厳しい状況にあることに変わりはない。
TBSの経営状況が悪化していることもあり、2011年の現在でも身売り先を探している。
あまりの弱小ぶりにTBSが親会社となった時よりも50億近く(正確には半減)資産価値が下がったことも有名。
ちなみに2011年時点で消滅の可能性がある唯一の球団である。
『TBSが横浜ベイスターズを手放すが売却先が無い→やむを得ずNPB(球団を持つほどの十分な余裕など当然無い)が横浜ベイスターズを保有→経費削減のため、高年俸選手(主力選手)を全てリストラ→売却前より更に成績低迷→どうしようもなくなる→不良債権化→消滅』という可能性が常に残っている。
果たして球団の資産価値を上げ、新たな企業(親会社)が保有したくなるだけの成績を今後残すことができるだろうか。
コクドが45%出資して西武グループだったことがあった。これ、豆知識な。手放したのは1978年であり、コクドがクラウンライターライオンズを買収した年である。
現在、谷繁元信(中日ドラゴンズ)、相川亮二(東京ヤクルトスワローズ)、鶴岡一成(読売ジャイアンツ)とセの他球団の主力捕手に元横浜が多い。捕手育成には定評のある球団である。問題は出て行かれてしまうこと(鶴岡はトレードでの放出だが)。そして中村武志や野口寿浩のように他球団の捕手を獲ってくると(ry まあ若菜とか昔はいたけど。
選手がFAやトレードで移籍する度に球団のあり方について苦言を呈す、あるいは批判することも多い球団である。
最近ではFAでソフトバンクに移籍した内川聖一が言った批判が原因で少し騒動になった。
更にはソフトバンクが内川からベイスターズの現状を聞き、チーム体質の改善に使うと球団自らが表明。
「横浜ベイスターズを出て行った方が幸せ」と言う選手が異常に多いことや、体質の改善に使われるほどのチームの酷い有様が最下位という順位に露骨に反映されているのではなかろうか。
本拠地が横浜という大都市にありながら、ヤクルトと並び地元での人気がない球団としても知られている。1998年には横浜スタジアムがファンでいっぱいだったのに…。
この年から牛島和彦に代わり大矢明彦が10年ぶりに監督に就任。トレードで仁志敏久と寺原隼人、門倉健のFAによる人的補償で工藤公康を獲得。開幕戦で三浦大輔が高橋由伸に開幕戦初球先頭打者本塁打を浴びるというスタートを切ったものの、そこから勝ち負けを12試合続けて交互に繰り返す珍記録を作ったりしつつ、一時は首位にも立った。交流戦では、オリックス・バファローズ戦において椎野茂が毒舌実況を繰り広げる。
前半戦を3位で折り返したものの、夏場から失速。それでも三浦大輔が35イニング連続無失点の記録を作ったりもして、終盤には失速した阪神の背中が見えるところまではつけた。結局最終戦に敗れてシーズン勝ち越しは逃したものの、71勝72敗1分、前年最下位から4位に躍進した。
しかしオフには、守護神クルーンが巨人に移籍することとなる……。
結局クルーンの抜けた穴を埋められる気配のないまま、目立った補強もなく開幕を迎える。開幕カードは阪神だったが、阪神キラーの三浦が出遅れ開幕投手は寺原が務めることに。この3連戦であっさり3連敗すると、その後は浮上のきっかけすら掴めないままぶっちぎりの最下位に低迷する。
内川聖一が最終的に右打者の歴代最高打率となる.378を記録、村田修一が2年連続本塁打王になるなど中軸は奮闘したものの、投手陣が出れば打たれる壊滅状態に陥り、継投の拙さ、裏目に出続ける采配によるあまりの負けっぷりに大矢監督は「やる大矢」として2ちゃんねる野球ch屈指の人気キャラにまでなってしまった。何とかシーズン100敗は免れたものの、内川の打率を下回る勝率.338という2リーグ制以来初の珍記録も作ってしまう。
そしてこれだけの惨敗を喫したにも関わらず、大矢監督は3年契約だからと続投が決定する。さらに正捕手・相川亮二がFA宣言しヤクルトに移籍。シーズン中に2番手捕手・鶴岡一成をトレードで巨人に放出していたため、阪神からFA宣言した野口寿浩を獲得する。また石井琢朗が戦力外となり広島に移籍した。
WBCで故障した村田を欠いたまま開幕を迎える羽目になると、案の定と言うべき開幕6連敗を喫して開幕一週間にしてシーズンが終了する。ちなみに正捕手として獲得した野口は完全に劣化しており早々に二軍落ちした。
5月18日には大矢明彦監督の休養(要するに解任)が決定。何のための続投だったのか、とファンは頭を抱えた。その後は二軍監督の田代富雄が監督代行を務め、打撃重視の選手起用で建て直しを図るも機能せず、またしてもシーズン90敗を超え5位争いすら出来ず断トツの最下位に沈んだ。
2年連続のお荷物っぷりに、オフにはフロントが刷新され、新監督にはダイエー・ソフトバンク・巨人などで投手コーチとして抜群の実績を誇る尾花高夫の就任が決定。さらにはロッテから清水直行と早川大輔をトレードで、橋本将をFAで獲得。日本ハムからはターメル・スレッジ、稲田直人、坂元弥太郎らを獲得と、稀に見る大補強を敢行。例年巨人・阪神が盛り上げるストーブリーグにおいて一躍主役に躍り出た。ついにチーム再建なるかと期待されたが……。
監督に尾花髙夫、ヘッドコーチに島田誠と、福岡ダイエーホークスの黄金期を支えたコーチ陣が満を持しての指揮。開幕直後は黒星先行ではあったものの、広島とヤクルトがそれ以上に惨憺たる状況だったため、2年ぶりに最下位を脱出し一時は4位にもなった。
しかしそれも交流戦まで。交流戦で最下位に沈むと、あとはいつものベイスターズだった。エース三浦大輔が故障で絶不調、昨年ローテの救世主となったランドルフは全く勝てず、改名した寺原早人は名前の通り早々に戦線離脱。4番の村田修一も故障で不振に陥り、吉村裕基は前年以上の大不振で僅か49試合3本塁打、FAで獲得した橋本将も怪我で正捕手とはなれずと、主力となるべき選手に故障、不調が相次ぐ。
ルーキーの加賀繁が惨憺たるムエンゴながらローテとして奮闘、途中入団のブレット・ハーパーがクルーンから逆転サヨナラ満塁弾を放つなど大活躍、石川雄洋や藤田一也らが成長を見せる(でも藤田はホセ・カスティーヨとのポジションの兼ね合いであまり使われず)などの明るい材料もあるにはあったが、もはや負け癖が完全に染みついてしまっているというレベルで勝てず。絶望的な投壊状態だった広島からさらに10ゲーム差以上離される最下位をひた走ることに。最終的に3年連続の最下位、しかも史上初の3年連続90敗という不名誉な記録を打ち立ててしまった。
チームが最下位に沈む中、期待のルーキー筒香嘉智が初安打初ホームランを放つ、加賀繁が防御率トップ10に入る、石川雄洋が梵英心と盗塁王争いを繰り広げるなど来シーズンへの明るい話題があった。
しかしシーズン終了後に球団売却騒動が巻き起こり、前述の明るい話題が吹き飛んでしまう。
売却騒動は住生活グループが買収を断念したために2011年もTBSHDが球団を保有することが決定。
内川聖一がFA宣言して福岡ソフトバンクホークスに移籍。入れ替わりに北海道日本ハムファイターズからFAで森本稀哲を獲得。トレードでは寺原早人、高宮和也、野中信吾、桑原謙太朗をオリックスに放出し、山本省吾、喜田剛、一輝を、楽天からは金銭で渡辺直人を、そして西武からは弥太郎を放出して総帥大沼幸二を獲得した。
2010年のドラフトでは1位で須田幸太、2位で加賀美希昇カロカロミを獲得。
2009年のドラフト時とは異なり、育成よりも即戦力(特に投手)を重視したドラフトとなった。
2010年オフに先発投手を多数獲得したため、先発投手であった加賀繁をキャンプ中に再度中継ぎに転向させる。
オープン戦初日に巨人に勝利。幸先のよいスタートを切る。
が、よかったのは序盤だけであった。
2010年オフに移籍し、更に開幕投手を任された山本省吾が悉く炎上、清水直行や大家友和の不調など、先発投手が序盤でKOされる試合が続出。
このため中継ぎを大量にほぼ毎試合投入するはめに。
江尻慎太郎や加賀繁(この時は中継ぎ)に至っては阪神タイガース所属の久保田智之の持つ90試合登板の記録を更新できるペースで登板させられていた(当然両者とも故障したが)。
去年に続いて村田修一が不振に陥るが、スレッジ、ハーパーの活躍もあって球団の総得点が両リーグ一位になったことがあるなど打線は好調であった。
が、打線が好調だったのはシーズン序盤までで、シーズン後半になると最下位が確定したこと等の影響か、打線が低調になり、球団別の打撃成績でも中日とワーストを争う程に。
投手成績でも全球団最下位の成績という有様に加えて、6回3失点(QS)できる先発投手がほぼいない状況では、去年に続いて最下位になるのも当然の結果であった。
一方で崩壊していた投手陣の中で高崎健太郎がムエンゴに悩まされながらも先発ローテを守る、野手では期待のルーキー筒香嘉智がスタメン入りしHRを打ち、活躍するなど最下位に低迷する中でも明るい話題もあった。
そして何より4年連続90敗の記録をストップしたのが大きい。
しかし2011年秋に再度身売り問題が再燃焼。
2012年もTBSがとりあえず保有することが決まったと思いきや、モバゲーで有名なDeNAに売却することが報道される。果たして横浜ベイスターズの運命はいかに?
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最終更新:2025/12/14(日) 06:00
最終更新:2025/12/14(日) 06:00
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