横浜DeNAベイスターズ 単語


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ヨコハマディーエヌエーベイスターズ

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横浜DeNAベイスターズ(よこはまディーエヌエーベイスターズ)とは、日本プロ野球セントラル・リーグの一球団である。

本拠地は横浜スタジアム。現在の監督は中畑清(2012年~)。

概要

セントラル・リーグ
横浜DeNAベイスターズ
基本情報
創設 1950年
本拠地 横浜スタジアム
優勝回数
リーグ優勝 2回
日本一 2回
セ・パ交流戦 0回
アジアチャンピオン 0回
経歴
  • 大洋ホエールズ(1950年-1952年)
  • 大洋松竹ロビンス(1953年)
  • 洋松ロビンス(1954年)
  • 大洋ホエールズ(1955年-1977年)
  • 横浜大洋ホエールズ(1978年-1992年)
  • 横浜ベイスターズ(1993年-2011年)
  • 横浜DeNAベイスターズ(2012年-)
プロ野球球団テンプレート

2リーグ制の開始と共に創設されセ・リーグに加入。初年度(1950年)の名前は大洋ホエールズ。創設時のフランチャイズは山口県下関市、本拠地は下関市営球場であった。
当時7球団で日程の組みにくかったセ・リーグ側の要望もあり、1953年に松竹ロビンスと合併して大洋松竹ロビンス(洋松ロビンス)となる。大阪に移転し、大阪球場を南海ホークス、近鉄パールスと共用した。
1954年限りで松竹が球団経営から撤退したため、球団名を再び大洋ホエールズに戻し、本拠地を神奈川県川崎市(現在の同市川崎区)の川崎球場へ移転した。
1978年、同県横浜市中区に竣工した横浜スタジアムへ本拠地を移転し、球団名を横浜大洋ホエールズに改称。1992年、親会社・マルハの社名改称およびCIに伴って横浜ベイスターズに改称。2002年春、球団の筆頭株主がマルハからTBSグループとなったが、この際には球団名の変更等は無かった。そして2011年秋、筆頭株主がDeNAとなり、翌2012年シーズンから現在の横浜DeNAベイスターズとなった。

決して強くはない。むしろ弱い。大洋ホエールズ時代から数えても、優勝回数はたったの2回(三原脩監督時の1960年、権藤博監督時の1998年)。でも、日本一の回数も2回。日本シリーズには強い。2002年から本格的な低迷が始まり、現状、21世紀になってから14年間でBクラス12回、うち最下位9回という底の見えない暗黒期に突入している。2014年シーズン終了時の通算4676敗は12球団最多の負け数である。

基本的に打高投底のチームであり、1998年の優勝時にはマシンガン打線として怖れられた。マシンガン打線のイメージが今でも存在するのか、現在でも打高投底のチームと思っているファンは多い。村田修一や内川聖一など打撃タイトルを得た選手はいるものの、チームの打撃成績でも常に最下位争いをしているのが現実である(投手成績は言わずもがな)。常に投手不足に悩まされ続けており、低迷の原因になっている(フロントの方針がコロコロ変わることも原因だが)。

現在、谷繁元信、相川亮二とセの他球団の主力捕手に元横浜が多い。捕手育成には定評のある球団である。問題は出て行かれてしまうこと。そして中村武志や野口寿浩や橋本将のように他球団の捕手を獲ってくると(ry まあ若菜とか昔はいたけど。

選手がFAやトレードで移籍する度に球団のあり方について苦言を呈す、あるいは批判することも多い球団である。
最近ではFAでソフトバンクに移籍した内川聖一が言った批判が原因で少し騒動になった。
更にはソフトバンクが内川からベイスターズの現状を聞き、チーム体質の改善に使うと球団自らが表明。
「横浜ベイスターズを出て行った方が幸せ」と言う選手が異常に多かったことや、当時の親会社でもあるTBSの度重なる不祥事、体質改善に使われるほどのチームの酷い有様が最下位という順位に露骨に反映されていたのではなかろうか。

2012年から、セ・リーグの球団としては初めてニコニコ生放送でホームゲーム全試合の無料配信を行っている。
2015年現在、ニコ生のNPB中継枠は他にも東北楽天ゴールデンイーグルス枠(2009年8月開始)、福岡ソフトバンクホークス枠(2012年開幕時開始)、オリックス・バファローズ枠(2014年開始)があるが、これら3枠がCS放送向けの映像・音声をそのまま放送するのに対し、DeNA枠では、映像はTBSと球団が制作した共同映像(TBSグループの中継映像と、各局に配信する映像として使用。中継用の各種テロップはTBSグループの中継映像で使用しているものを一部使用)を使用するが、音声はニコニコ独自制作で、フリーのスポーツアナウンサーが実況を担当している(石原敬士、節丸裕一、加藤暁ら)。

親会社の変遷

親会社は、球団創設の1950年から1992年までは大洋漁業で、球団名の「大洋ホエールズ」および「横浜大洋ホエールズ」は、かつて大洋漁業の基幹事業だった捕鯨に因むものだった。大洋漁業は1993年の商号変更に伴ってマルハとなり、この際に球団名も前述の「横浜ベイスターズ」に改称した。市民球団化という側面も若干あったとはいえ、実際のところはマルハの社名改称とCIによるところが大きかった。蛇足だが、当時マルハ社内では単に社名を省いた「横浜ホエールズ」を改称候補としていたものの、1980年代半ばに商業捕鯨が事実上禁止された背景もあって、結局球団名も全面的に改称されるに至った。

かつて大洋ホエールズには、当時西武グループの中核企業だったコクドが45%出資していたが、1978年に全株式をニッポン放送と東京放送(TBS)に売却している。これは、同年にコクドがクラウンライターライオンズを買収するにあたって、野球協約で定められている「球団株式の二重保有の禁止」に抵触するのを回避するための措置であった。同年開場した横浜スタジアムの建設事業にはコクドも深く関わっており、ホエールズの横浜移転にコクドの強い影響があったことは想像に難くない。

しかしマルハはバブル経済崩壊以降、深刻な経営不振に陥り、合理化策の一環として球団経営から撤退。保有する全株式が2002年春、TBSとBS-i(現在のBS-TBS)に譲渡され、2009年のTBSグループの持ち株制移行により、TBS保有の球団株式は、TBSの商号変更により発足した放送持株会社の東京放送ホールディングス(TBSHD)が継続保有することになった。

このマルハからTBSグループへの球団譲渡の際、マルハは全株式を第2位株主のニッポン放送に売却する方向で一度は話がまとまったものの、当時ニッポン放送の子会社であったフジテレビがヤクルトスワローズの大株主でもあり、フジサンケイグループ傘下の2社が複数球団の経営に関わる可能性が生じることから、球団株式の二重保有に抵触することが問題となり、結局第3位株主のTBSグループに売却されることとなった。

また2005年秋には楽天がTBSの株式を大量に取得して筆頭株主となり、TBS側に経営統合を申し入れた。だが楽天は同年シーズンから東北楽天ゴールデンイーグルスを保有してNPBに新規参入しており、これも球団株式の二重保有に抵触する可能性が生じた。のちに楽天側は経営統合提案を撤回して業務提携の申し入れに切り替えたものの、その後も株主から賛同を得られなかったのに加え、TBSグループの持ち株制移行などもあって、楽天側はTBSグループへの出資を断念し、この問題は収束を見ている。

そんなTBSグループも2000年代後半から業績が悪化、2010年オフには住生活グループ(現在のLIXILグループ)と球団株式の売却交渉を行うも、他都市への本拠地移転を主張する住生活G側との溝が埋まらず、交渉は決裂。加えて本拠地である横浜スタジアムも2010年で契約が切れたにも関わらず契約を更新せずに違法に使用を続けるという始末。

結局2年越しのすったもんだの末、2011年秋にDeNAへの球団株式譲渡が決定。12月1日のオーナー会議及び実行委員会の承認を経て、12月2日にDeNAがTBSグループから株式を取得し「横浜DeNAベイスターズ」が発足した。同時に横浜スタジアム使用契約も晴れて更新した。

戦績

横浜ベイスターズ時代

1993年(57勝73敗、5位) 監督:近藤昭仁

ベイスターズ1年目となった1993年。監督には1960年の優勝時のメンバーでもあった近藤昭仁を監督に据えるも、成績は振るわず大洋時代から3年連続の5位に終わる。

この年から始まったFA制度により、巨人の駒田徳広を獲得し、ドラフト会議では波留敏夫を獲得。
一方で、300盗塁を達成した高木豊や屋鋪要などの主力選手の解雇も行った。 

1994年(61勝69敗、6位) 監督:近藤昭仁

チームの若返り策の最中であった横浜は若手中心の起用を行っていき、序盤・中盤は3・4位を行き来するような成績であったが、終盤で脱落し、ゲーム差9.0の最下位となってしまった。

ドラフト会議で福盛和男を獲得。

1995年(66勝64敗、4位) 監督:近藤昭仁

16.0ゲーム差の4位に沈むも、12年ぶりの勝率5割復帰を果たす。しかし、近藤監督は任期満了で監督辞任となり、後任にはバッテリーコーチであった大矢明彦が就任。

ドラフト会議では鶴岡一成を獲得。また、ヤクルトから荒木大輔が移籍。

1996年(55勝75敗、5位) 監督:大矢明彦

シーズン序盤は首位だったが、徐々に順位を落としていってしまい、結果的にセリーグ全球団から負け越してしまい、最下位阪神とは1ゲーム差の5位となり6年連続Bクラス。

また、この年斎藤隆が自身初の2桁勝利である10勝を達成。

1997年(72勝63敗、2位) 監督:大矢明彦

一時は首位ヤクルトを脅かす追随を見せるも失速し、結果的には首位と11.0ゲーム差の2位となる。しかし1990年以来7年ぶりのAクラス復帰を果たした。オフにコーチ人事を巡るフロントとの対立で、大矢明彦監督が退任し、後任にはこの年から横浜に加わっていた権藤博が就任。

また、この年の9月2日にヤクルトの石井一久が横浜戦でノーヒットノーランを達成している。

1998年(79勝56敗1分、優勝) 監督:権藤博

シーズン序盤は4位と不調であったが、6月から「マシンガン打線」が爆発。6月20日に6月以降では1979年以来19年ぶりの首位となり、以降は一度も首位の座を譲ることなく、10月8日に1960年以来38年ぶりの優勝を決める。
日本シリーズでも西武を4勝2敗で退け、日本一となった。 

ドラフトでは古木克明、金城龍彦、小池正晃などを獲得。

1999年(71勝64敗、3位) 監督:権藤博

チーム打率が.294という数字を叩きだして『マシンガン打線』をいかんなく発揮するも、チーム防御率が4.44のリーグ5位と悪かったため、1位の中日に10.0ゲーム差を付けられてしまった。

オフに1998年の日本一に貢献した佐々木主浩がシアトル・マリナーズに移籍。

2000年(69勝66敗1分、3位) 監督:権藤博

金城龍彦が史上初の首位打者+新人王のダブルタイトルを獲得したが、この年は優勝争いに絡むことはなかった。 権藤博が勇退し、後任には西武黄金時代を経験した森祇晶が就任した。

ドラフト会議では内川聖一、吉見祐治を獲得。ロバート・ローズが退団する。

2001年(69勝67敗4分、3位) 監督:森祇晶

勝率は広島東洋カープの方が上だったが、勝利数が広島を上回っていたため、3位となった。

正捕手を務めていた谷繁元信が中日ドラゴンズに移籍し、中日で正捕手を務めていた中村武志を金銭トレードで獲得する。

2002年(49勝86敗5分、6位) 監督:森祇晶

なんと全日程を最下位で終えるぐらいの低迷に終わり、森は解任され、後任に山下大輔が就く。ここから暗黒期が始まる。

ドラフト会議で村田修一、加藤武治、吉村裕基、武山真吾を獲得。

2003年(45勝94敗1分、6位) 監督:山下大輔

1970年のヤクルト以来の90敗に到達してしまったが、タイロン・ウッズが40本塁打を放ってホームラン王を獲得。

シアトル・マリナーズに移籍していた大魔神こと佐々木主浩を獲得したが・・・・・・。

2004年(59勝76敗3分、6位) 監督:山下大輔

シーズン終盤まで広島と5位争いを繰り広げるが、最終戦で敗れ、3年連続の最下位となった。山下大輔が任期満了で監督を退任し、後任に牛島和彦が就く。

新ストッパー候補としてマーク・クルーンを獲得。ドラフト会議では那須野巧、藤田一也、石川雄洋を獲得する。中村武志は金銭トレードで新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。この年もホームラン王を獲得したウッズとは契約に至らず、ウッズは中日に移籍する。

2005年(69勝70敗2分、3位) 監督:牛島和彦

勝利数はヤクルトスワローズに劣ったものの、2001年と違い、勝率がヤクルトより上回っていたため、4年ぶりのAクラス。一時暗黒期を脱出する。

佐々木主浩が引退。ドラフト会議では水差し野郎の高宮和也、山口俊、黒羽根利規を獲得。

2006年(58勝84敗4分、6位) 監督:牛島和彦

村田修一、吉村裕基が台頭したが、2年ぶりの最下位に転落。牛島はこの責任を取り退任。後任には10年ぶりの復帰となる大矢明彦が就く。

ドラフト会議では高崎健太郎、下園辰哉、梶谷隆幸を獲得。多村仁との交換トレードで寺原隼人、小田嶋正邦とのトレードで仁志敏久を獲得する。

2007年(71勝72敗1分、4位) 監督:大矢明彦

門倉健のFAによる人的補償で工藤公康を獲得。開幕戦で三浦大輔が高橋由伸に開幕戦初球先頭打者本塁打を浴びるというスタートを切ったものの、そこから勝ち負けを12試合続けて交互に繰り返す珍記録を作ったりしつつ、一時は首位にも立った。交流戦では、オリックス・バファローズ戦において椎野茂が毒舌実況を繰り広げる。

前半戦を3位で折り返したものの、夏場から失速。それでも三浦大輔が35イニング連続無失点の記録を作ったりもして、終盤には失速した阪神の背中が見えるところまではつけた。結局最終戦に敗れてシーズン勝ち越しは逃したものの、71勝72敗1分、前年最下位から4位に躍進した。

しかしオフには、守護神マーク・クルーンが読売ジャイアンツに移籍することとなる……。

2008年(48勝94敗2分、6位) 監督:大矢明彦

結局クルーンの抜けた穴を埋められる気配のないまま、目立った補強もなく開幕を迎える。開幕カードは阪神だったが、阪神キラーの三浦が出遅れ開幕投手は寺原が務めることに。この3連戦であっさり3連敗すると、その後は浮上のきっかけすら掴めないままぶっちぎりの最下位に低迷する。
移籍したクルーンの穴埋めのために、ローテーションピッチャーの寺原を大矢お得意の「思いつきコンバート」でストッパーに配置換えするも、登板機会が呆れるほど少なく「ハマのヒ魔神」と揶揄される。

内川聖一が最終的に右打者の歴代最高打率となる.378を記録、村田修一が2年連続本塁打王になるなど中軸は奮闘したものの、投手陣が出れば打たれる壊滅状態に陥り、継投の拙さ、裏目に出続ける采配によるあまりの負けっぷりに大矢監督は「やる大矢」として2ちゃんねる野球ch屈指の人気キャラにまでなってしまった。何とかシーズン100敗は免れたが、内川の打率を下回る勝率.338という2リーグ制以来初の珍記録も作ってしまう。

そしてこれだけの惨敗を喫したにも関わらず、大矢監督は3年契約だからと続投が決定する。さらに正捕手・相川亮二がFA宣言しヤクルトに移籍。シーズン中に2番手捕手・鶴岡一成をトレードで巨人に放出していたため、阪神からFA宣言した野口寿浩を獲得する。また石井琢朗が戦力外となり広島に移籍した。

2009年(51勝93敗、6位) 監督:大矢明彦→田代富雄(代行)

WBCで故障した村田を欠いたまま開幕を迎える羽目になると、案の定と言うべき開幕6連敗を喫して開幕一週間にしてシーズンが終了する。ちなみに正捕手として獲得した野口は完全に劣化しており早々に二軍落ちした。

5月18日には大矢明彦監督の休養(要するに解任)が決定。何のための続投だったのか、とファンは頭を抱えた。その後は二軍監督の田代富雄が監督代行を務め、打撃重視の選手起用で建て直しを図るも機能せず、またしてもシーズン90敗を超え5位争いすら出来ず断トツの最下位に沈んだ。

2年連続のお荷物っぷりに、オフにはフロントが刷新され、新監督にはダイエー・ソフトバンク・巨人などで投手コーチとして抜群の実績を誇る尾花高夫の就任が決定。さらにはロッテから清水直行と早川大輔をトレードで、橋本将をFAで獲得。日本ハムからはターメル・スレッジ、稲田直人、坂元弥太郎らを獲得と、稀に見る大補強を敢行。例年巨人・阪神が盛り上げるストーブリーグにおいて一躍主役に躍り出た。ついにチーム再建なるかと期待されたが……。

2010年(48勝95敗1分、6位) 監督:尾花髙夫

監督に尾花髙夫、ヘッドコーチに島田誠と、福岡ダイエーホークスの黄金期を支えたコーチ陣が満を持しての指揮。開幕直後は黒星先行ではあったものの、広島とヤクルトがそれ以上に惨憺たる状況だったため、2年ぶりに最下位を脱出し一時は4位にもなった。

しかしそれも交流戦まで。交流戦で最下位に沈むと、あとはいつものベイスターズだった。エース三浦大輔が故障で絶不調、昨年ローテの救世主となったランドルフは全く勝てず、改名した寺原早人は名前の通り早々に戦線離脱。4番の村田修一も故障で不振に陥り、吉村裕基は前年以上の大不振で僅か49試合3本塁打、FAで獲得した橋本将も怪我で正捕手とはなれずと、主力となるべき選手に故障、不調が相次ぐ。

ルーキーの加賀繁が惨憺たるムエンゴながらローテーションとして奮闘、途中入団のブレット・ハーパーがクルーンから逆転サヨナラ満塁弾を放つなど大活躍、石川雄洋や藤田一也らが成長を見せるなどの明るい材料もあったが(藤田はホセ・カスティーヨとのポジションの兼ね合いであまり使われなかった)、もはや負け癖が完全に染みついてしまっているというレベルで勝てなかった。絶望的な投壊状態だった広島からさらに10ゲーム差以上離される最下位をひた走り、最終的に3年連続の最下位。しかも史上初の3年連続90敗という不名誉な記録を打ち立ててしまった。

シーズン終了後に球団売却騒動が巻き起こる。
横浜スタジアムの異常な球場利用契約が話題となり、買収に名乗りを上げた住生活グループは移転を示唆。これに反発した横浜スタジアムと横浜市は執拗な妨害を繰り広げ、ついに住生活グループは球団買収を断念する。2011年もTBSHDが球団を保有することが決定。

この騒動に業を煮やした内川聖一がFA宣言して福岡ソフトバンクホークスに移籍。入れ替わりに北海道日本ハムファイターズからFAで森本稀哲を獲得。トレードでは寺原早人、高宮和也、野中信吾、桑原謙太朗をオリックスに放出し、山本省吾、喜田剛、一輝を、楽天からは金銭で渡辺直人を、そして西武からは弥太郎を放出して総帥大沼幸二を獲得した。

2010年のドラフトでは1位で須田幸太、2位で加賀美希昇カロカロミを獲得。
2009年のドラフト時とは異なり、育成よりも即戦力(特に投手)を重視したドラフトとなった。

2011年(47勝86敗11分、6位) 監督:尾花髙夫

2010年オフに先発投手を多数獲得したため、先発投手であった加賀繁をキャンプ中に再度中継ぎに転向させる。
オープン戦初日に巨人に勝利。幸先のよいスタートを切る。

しかし、よかったのは序盤だけであった。2010年オフに移籍し、更に開幕投手を任された山本省吾が炎上、清水直行や大家友和の不調など、先発投手が序盤でKOされる試合が続出。
このため中継ぎを大量にほぼ毎試合投入する羽目になり、江尻慎太郎や加賀繁(この時は中継ぎ)に至っては阪神タイガース所属の久保田智之の持つ90試合登板の記録を更新できるペースで登板させられていた(当然両者とも故障した)。

去年に続いて村田修一が不振に陥るが、スレッジ、ハーパーの活躍もあって球団の総得点が両リーグ一位になったことがあるなど打線は好調であった。
ところが、打線が好調だったのはシーズン序盤までで、シーズン後半になると最下位が確定したこと等の影響か、打線が低調になり、球団別の打撃成績でも中日とワーストを争う程に。
投手成績でも全球団最下位の成績という有様に加えて、6回3失点(QS)できる先発投手がほぼいない状況では、去年に続いて最下位になるのも当然の結果であった。

しかし、福島第一原発事故を発端とした節電対策に伴い創設された3時間半ルールの恩恵とはいえ4年連続90敗の記録をストップしたのが大きい。

オフ、身売り問題が再燃。Mobageで有名なDeNAが手を挙げ、球団名を「横浜モバゲーベイスターズ」にしようとしたり、GREEと提携している楽天がTBS買収失敗の遺恨もあってかDeNAの参入に反対したりと色々と揉めたものの、最終的に「横浜DeNAベイスターズ」として球団売却が成立、承認された。

高田繁がゼネラルマネージャーに就任。尾花監督は契約を1年残して解任となり、工藤公康の監督就任が決まりかけたが寸前でご破産。代わりに中畑清が新監督となった。

ハーパー、スレッジが退団、村田修一も身売り問題再燃に嫌気しFA宣言して読売ジャイアンツに移籍。また真田裕貴がメジャー移籍を目指し退団。西武からトレードで後藤武敏を獲得。村田に代わる主砲として巨人を退団したアレックス・ラミレス、また村田の人的補償で藤井秀悟を獲得。過去にトレードで放出した鶴岡一成と小池正晃をFAで再獲得し、日本ハムを戦力外になった林昌範と菊地和正、広島を退団したジオ・アルバラードを拾った。

横浜DeNAベイスターズ時代

2012年(46勝85敗13分、6位) 監督:中畑清

熱いぜ!DeNA』をスローガンに始まった2012年。

中村紀洋や三浦大輔といったベテランが復活したが数打った外国人選手は悉く当たらず、前年終盤に期待を持たせた筒香嘉智や国吉佑樹らの若手もイマイチ振るわず、結局、例年通り定位置である最下位に低迷。阪神タイガースの大失速もあって5位浮上の可能性もあったが、浮上のチャンスを潰し、最下位のままシーズンを終えた。
三浦は無援護で10勝を逃すなど、シーズンを通して見れば、スローガン通りに『熱いぜ!』であったのは中畑清監督ぐらいであった。
監督と会社が変わったぐらいで順位が上がるほど軽い暗黒ではなかった。 

しかし、監督の方が選手より目立っていると金本知憲から苦言を呈されたり、東京ドームで1勝もできないという史上初の記録を作ってしまうなど相変わらずな部分もあったものの、三浦の通算150勝達成や山口の通算100セーブ達成を始め、2年目の荒波翔がゴールデングラブを受賞、高崎健太郎は自己最多の7勝を挙げ、国吉、加賀美らも後半戦は活躍するなど明るい材料も多くあり、監督のおかげでチームの雰囲気が明るくなった、少なくともTBS時代よりはフロントのやる気も感じられるとファンのムードは比較的明るくなった感はある。

オフ、フロントは「言い訳の出来ない戦力を揃える」と豪語し、実際に中日からトニ・ブランコ、エンジェルベルト・ソト、ホルヘ・ソーサの外国人トリオを揃って強奪獲得。吉村裕基・江尻慎太郎・山本省吾をトレードで放出して、多村仁志・吉川輝昭・神内靖を獲得した。更にはMLBのブルワーズから、青木宣親のレギュラー定着により出場機会が減少しFAとなっていたナイジャー・モーガンを獲得。福留孝介や斎藤隆の獲得にも乗り出したがこの二選手は獲得できずに終わった。

2013年(64勝79敗1分、5位) 監督:中畑清

チームスローガンが『勝(かつ)』に改められスタートした2013年シーズン。
昨年度から話題となっていたチケット戦略はより一層強化され、超VIP待遇での試合観戦を実現した『ファミチケ!100万円VIPパック』やB級グルメを楽しめる『食べて勝!B食祭』、某ドラマにあやかった『倍返し!チケット』などたくさんのキャンペーンが企画・実施されメディアを賑わせた。
しかし今年度最もDeNAで話題となったのは、そうしたチケット戦略ではなくその試合内容であった。

特筆すべきは5月10日巨人戦(横浜)。
この日は先発の高崎健太郎が滅多打ちにされ7回表終了時点で3-10にまで引き離されてしまう。
しかし7回裏、今シーズン古巣に復帰した多村仁志の代打2ランホームランを皮切りに猛追を開始。高木京、マシソンを打ち崩し、なんとこの回一挙6得点。これに留まらず9回裏、金城のファーストゴロを巡って中畑監督の猛抗議の後、高城、後藤が出塁。最後は代打出場の多村が守護神西村をライトへのサヨナラ3ランホームランで粉砕。
7点差をひっくり返し、12-10で今シーズン初の巨人戦勝利を収めた(この試合はチーム内でも大きなターニングポイントとなったらしい)。

この試合だけに留まらず、8月20日阪神戦(横浜)・8月31日ヤクルト戦(神宮)でも序盤に7点差以上の点差を付けられながら打撃陣の猛追で大逆転。プロ野球史上最多となる、1シーズン中3度の7点差以上逆転を記録した。

4番ブランコを軸に打線が覚醒。8月から驚異的な活躍を見せた梶谷隆幸らの活躍あって、セリーグ1位となる630得点を記録(チーム打率は.262で1位タイ)する驚異の爆発力を持つ打線を形成した。

一方の投手陣も通算3000投球回、500試合登板を達成した番長三浦大輔だけでなく、11年ぶりに完投勝利を記録した藤井秀悟、今チーム最多となる17ホールドを記録し貴重な左の中継ぎとして奮闘した大原慎司、シーズン中盤からクローザーに抜擢され19セーブをあげたソーサらが活躍。
これらの投手陣と驚異の打線が要所要所でガッチリかみ合い、4月途中での単独首位、更には2007年以来6年ぶりとなる月間勝ち越し等を記録。最下位脱出どころか、シーズン終盤の9月中頃まで広島・中日を相手に激しいCS争いを繰り広げた。

こうした選手たちの戦いとフロントの営業努力が実を結んだのか、横浜スタジアムの観客動員数は昨年度と比べ約22%も増加。ファンクラブ会員数は2.5倍(キッズ会員に至ってはなんと3.5倍!)と驚異の集客率を達成。横浜スタジアムは例年にない活気に包まれた。

しかし外国人選手史上初の2000本安打を達成した後調子を崩したラミレスなど、一部の選手が成績を残せず、フロントもシーズン途中で投手の補強を行ったが大きすぎる穴を埋めるまでには至らず、チーム総失点は686点、チーム防御率は4.50と共にリーグ最下位を記録するなど大炎上。打撃陣が得点しても投手陣が打ち込まれ負ける試合が多かった。
更に交流戦にはめっぽう弱く7勝17敗最下位。加えてオールスター後の9連敗、目玉イベント『YOKOHAMA STAR NIGHT 2013』での三タテ、負けられない終盤の巨人戦で3連敗しCSが絶望的になってしまうなど肝心な場面で勝ち切ることが出来ず、長年順位争いができなかったことが響く結果になってしまった(この事は毎日新聞が掲載する『DeNA:ハマの星たち・地元選手手記』において石川・荒波両選手が語っている。)

阪神・中日・ヤクルトの三球団に勝ち越し、昨年と比べて首位とのゲーム差を30ゲーム以上縮めるなど奮戦したが、最終的な成績は64勝79敗1分の5位。中畑監督の掲げるCS出場は果たせなかった。

Bクラスが確定となった阪神戦後、中畑監督は昨シーズン最終戦に申し出たとおり辞意を表明したが、球団とファンの慰留により辞意を撤回。しかし代わりとして友利結コーチや高木豊コーチ、波留敏夫コーチらが責任を取る形で退団した(球団は慰留したが、本人らが退団を申し出た)。

また小池正晃、篠原貴行、嶋村一輝、内藤雄太、牛田成樹ら五選手が引退を表明。小池・篠原・嶋村ら三選手はコーチに就任。二軍監督として皆に愛された山下大輔はフロントへと入閣した。

そしてオフにフロントは阪神タイガースからFA宣言していた久保康友、オリックスから自由契約となっていたアーロム・バルディリス、大リーグカブスなどでプレイしていた元巨人の高橋尚成、メジャー通算13勝のギジェルモ・モスコーソを獲得。さらに中日から戦力外の柳田殖生、佐藤祥万とのトレードで日本ハムから加藤政義を補強した。
一方で、細山田武史、アレックス・ラミレス、森本稀哲、吉川輝昭、ティム・コーコランらが戦力外。ナイジャー・モーガンが自由契約として退団。鶴岡一成が久保の人的保障として阪神に移籍した。

2014年(67勝75敗2分、5位) 監督:中畑清

この年のチームのスローガンは「」。

開幕からいつものまさかの大低迷。新戦力の高橋尚成は全く勝てず、抑えのソーサも去年と比べスライダーの制球に精彩を欠き打ち込まれる場面が増えてしまう。加えて去年も色々と劇場・炎上をやらかしてきた山口俊が巨人戦にて1回で10点取られるという大炎上をやらかしてしまい、過去のクローザーの面影はなく、遂に二軍降格となった。
打線も去年の様には打てず、宮崎が送球から目を離して捕れなかったなど中畑監督就任前の様なベイスボールが次々と発動、結果4月は7勝18敗と大きく負け越し。ベイスターズのシーズンは早くも終戦となったと思われたが、2014年のベイスターズは5月からが違った。

GWになってから急に投打が噛み合い始め、新戦力の久保やモスコーソが徐々に勝ち星を上げ始める。
ヤクルト戦にてモスコーソの好投とバルディリスの2ランホームラン1安打だけで勝利するという珍記録勝利などで5月は13勝12敗と勝ち越すと、打線の起爆剤としてキューバからユリエスキ・グリエルが入団。未完の大器と呼ばれ続けた筒香も遂にブレークし、去年の様な大爆発とは違うものの打線が要所で活性化するようになる。

そして鬼門であったセ・パ交流戦を迎えるが、そのタイミングで何とあの山口が先発投手として復活を遂げる
リリーフだった頃が嘘の様な山口のナイスピッチングもあり、13勝11敗とまさかの交流戦勝ち越しを決め、その後ヤクルトを抜いてから3位広島との差が現実的なものになるも一度失速してしまう。

後半戦に入って中日の失速もあり4位に上昇。秋の風物詩で低迷してきた阪神と3位を競うが、惜しくも球団初のCS出場を逃した。地力の差か広島と阪神に及ばなかった。終盤さらに低迷し、消化試合となってからではあるが中日には抜き返され2年連続の5位となった。
 
ちなみに9年ぶりに巨人に勝ち越した上に、5月からの勝敗が勝ち越しであり(一時期はなんと首位だった)、実に4月の低迷が悔やまれるシーズンとなった。
ちなみに、借金が1桁台でシーズンを終えられたのは2007年以来の事だった。

そして去年の段階で「もう1年」という事であった中畑監督だったが、フロントは「来年こそ」と慰留。結果来期も指揮を取る事が決まった。 「プロ野球の監督は4年目が集大成」と呼ばれる事もあり、来期の飛躍が望まれる。 

過去の戦績









大洋ホエールズ(下関時代)
1950年 渡辺大陸 5 140 69 68 3 .504
1951年 中島治康
有馬義一
6 108 40 64 4 .385
1952年 小西得郎 4 120 58 62 0 .483
大洋松竹ロビンス
1953年 小西得郎 5 130 52 77 1 .403
洋松ロビンス
1954年 永沢武夫 6 130 32 96 2 .250
大洋ホエールズ(川崎時代)
1955年 藤井勇 6 130 31 99 0 .238
1956年 迫畑正巳 6 130 43 87 0 .331
1957年 6 130 52 74 4 .415
1958年 6 130 51 73 6 .415
1959年 森茂雄 6 130 49 77 4 .392
1960年 三原脩 1 130 70 56 4 .554
1961年 6 130 50 75 5 .404
1962年 2 134 71 59 4 .546
1963年 5 140 59 79 2 .428
1964年 2 140 80 58 2 .580
1965年 4 140 68 70 2 .493
1966年 5 130 52 78 0 .400
1967年 4 135 59 71 5 .454
1968年 別当薫 5 133 59 71 3 .454
1969年 3 130 61 61 8 .500
1970年 3 130 69 57 4 .548
1971年 3 130 61 59 10 .508
1972年 5 130 57 69 4 .452
1973年 青田昇 5 130 60 64 6 .484
1974年 宮崎剛 5 130 55 69 6 .444
1975年 秋山昇 5 130 51 69 10 .425
1976年 6 130 45 78 7 .366
1977年 別当薫 6 130 51 68 11 .429
横浜大洋ホエールズ
1978年 別当薫 4 130 64 57 9 .529
1979年 2 130 59 54 17 .522
1980年 土井淳 4 130 59 62 9 .488
1981年 6 130 42 80 8 .344
1982年 関根潤三 5 130 53 65 12 .449
1983年 3 130 61 61 8 .500
1984年 6 130 46 77 7 .374
1985年 近藤貞雄 4 130 57 61 12 .483
1986年 4 130 56 69 5 .448
1987年 古葉竹識 5 130 56 68 6 .452
1988年 4 130 59 67 4 .468
1989年 6 130 47 80 3 .370
1990年 須藤豊 3 133 64 66 3 .492
1991年 5 131 64 66 1 .492
1992年 須藤
江尻亮
5 131 61 69 1 .469
横浜ベイスターズ
1993年 近藤昭仁 5 130 57 73 0 .438
1994年 6 130 61 69 0 .469
1995年 4 130 66 64 0 .508
1996年 大矢明彦 5 130 55 75 0 .423
1997年 2 135 72 63 0 .533
1998年 権藤博 1 136 79 56 1 .585
1999年 3 135 71 64 0 .526
2000年 3 136 69 66 1 .511
2001年 森祇晶 3 140 69 67 4 .507
2002年 6 140 49 86 5 .363
2003年 山下大輔 6 140 45 94 1 .324
2004年 6 138 59 76 3 .437
2005年 牛島和彦 3 146 69 70 7 .496
2006年 6 146 58 84 4 .408
2007年 大矢明彦 4 144 71 72 1 .497
2008年 6 144 48 94 2 .338
2009年 6 144 51 93 0 .354
2010年 尾花高夫 6 144 48 95 1 .336
2011年 6 144 47 86 11 .353
横浜DeNAベイスターズ
2012年 中畑清 6 144 46 85 13 .351
2013年 5 144 64 79 1 .448
2014年 5 144 67 75 2 .472
通算:65年 8679 3724 4676 279 .443

順位

  • 日本一 - 2回(1960,1998)
  • 優勝 - 2回(1960,1998)
  • Aクラス - 15回(2位 - 4回,3位 - 9回)
  • Bクラス - 60回(4位 - 10回,5位 - 27回)
  • 最下位 - 23回

シーズン最高成績(チーム)

  • 最多勝利 - 80勝(1964)
  • 最高勝率 - .585(1998)
  • 最多本塁打 - 194本(2004)
  • 最高打率 - .294(1999)
  • 最高防御率 - 2.32(1960)

シーズン最低成績(チーム)

  • 最多敗北 - 99敗(1955)
  • 最低勝率 - .238(1955)
  • 最少本塁打 - 51本(1955)
  • 最低打率 - .208(1956)
  • 最低防御率 - 4.94(1977)

シーズン選手最高成績(野手)

  • 最高打率 - .379(内川聖一)
  • 最多本塁打 - 46本(村田修一)
  • 最多打点 - 153打点(ロバート・ローズ)
  • 最多安打 - 192安打(ロバート・ローズ)
  • 最多盗塁 - 54回(高木豊)
  • 最多犠打 - 41本(近藤昭仁)

シーズン選手最高成績(投手)

  • 最高防御率 - 1.75(秋山登)
  • 最多登板 - 72回(秋山登)
  • 最多投球回数 - 406.0回(秋山登)
  • 最多勝利 - 25勝(平松政次)
  • 最多奪三振 - 312(秋山登)
  • 最多セーブ - 45(佐々木主浩)

所属選手・関係者

太字は記事のある者

首脳陣

一軍 二軍・育成
  • (70)中畑清(監督)
  • (78)進藤達哉(ヘッドコーチ)
  • (90)大村巌(打撃コーチ)
  • (77)坪井智哉(打撃コーチ)
  • (75)川村丈夫(投手コーチ)
  • (76)篠原貴行(投手コーチ)
  • (83)馬場敏史(内野守備走塁コーチ)
  • (71)小池正晃(外野守備走塁コーチ)
  • (79)新沼慎二(バッテリーコーチ)
  • (88)山下大輔(監督)
  • (72)二宮至(総合兼外野守備コーチ)
  • (87)高須洋介(打撃コーチ)
  • (84)嶋村一輝(打撃コーチ兼育成担当)
  • (81)島田直也(投手コーチ)
  • (86)有働克也(投手コーチ兼育成担当)
  • (82)万永貴司(内野守備走塁コーチ)
  • (85)山下和彦(バッテリーコーチ)
  • (86)藤田和男(バッテリーコーチ補佐兼育成担当)

所属選手

※トレード、自由契約などの異動については、NPB公示があるまで編集しないでください。

投手 捕手 内野手 外野手
  • (00)東野峻
  • (11)山口俊
  • (12)小林寛
  • (13)柿田裕太
  • (14)石田健大
  • (15)井納翔一
  • (16)加賀繁
  • (17)三嶋一輝
  • (18)三浦大輔
  • (19)山崎康晃
  • (20)須田幸太
  • (21)岡島秀樹
  • (22)高崎健太郎
  • (24)林昌範
  • (27)久保康友
  • (28)福地元春
  • (34)平田真吾
  • (35)三上朋也
  • (41)大原慎司
  • (43)安部建輝
  • (45)土屋健二
  • (46)田中健二朗
  • (47)高橋尚成
  • (48)山下峻
  • (49)ギジェルモ・モスコーソ
  • (53)ヨスラン・エレラ
  • (54)小杉陽太
  • (56)長田秀一郎
  • (58)大田阿斗里
  • (62)萬谷康平
  • (65)国吉佑樹
  • (67)加賀美希昇
  • (100)今井金太
  • (111)砂田殻樹
  • (9)黒羽根利規
  • (32)高城俊人
  • (39)嶺井博希
  • (57)靍岡賢二郎
  • (66)西森将司
  • (102)亀井塔生
  • (0)山崎憲晴
  • (2)ホセ・ロペス
  • (5)倉本寿彦
  • (7)石川雄洋
  • (10)ユリエスキ・グリエル
  • (23)内村賢介
  • (25)筒香嘉智
  • (29)白崎浩之
  • (36)柳田殖生
  • (38)山下幸輝
  • (40)飛雄馬
  • (44)渡邉雄貴
  • (51)宮崎敏郎
  • (52)アーロム・バルディリス
  • (55)後藤武敏
  • (60)加藤政義
  • (64)百瀬大騎
  • (91)ルルデス・グリエルJr.
  • (3)梶谷隆幸
  • (4)荒波翔
  • (6)松本啓二朗
  • (8)多村仁志
  • (26)井手正太郎
  • (31)赤堀大智
  • (33)乙坂智
  • (37)桑原将志
  • (50)下園辰哉
    (選手会長)
  • (61)松本啓二朗
  • (63)関根大樹

記事のある球団スタッフ

  • 桑原義行(球団職員)
  • 鈴木尚典(球団職員)
  • 木塚敦志(球団職員)
  • 高田繁(ゼネラルマネージャー)
  • 吉見祐治(打撃投手)

OB・関係者

あ行 か行
  • 相川亮二(現:読売ジャイアンツ)
  • 阿波野秀幸(現:読売ジャイアンツ 二軍投手コーチ)
  • 石井琢朗(現:広島東洋カープ 内野守備走塁コーチ)
  • 石井浩郎(現:政治家)
  • 石井裕也(現:北海道日本ハムファイターズ)
  • 石井義人(現:武蔵ヒートベアーズ コーチ)
  • 伊藤敦規(現:阪神タイガース トレーニングコーチ)
  • 市川和正
  • 稲田直人
  • 入来祐作(現:福岡ソフトバンクホークス 三軍コーチ)
  • ケビン・ウィット
  • 牛島和彦
  • 牛田成樹(現:徳島インディゴソックス)
  • 内川聖一(現:福岡ソフトバンクホークス)
  • タイロン・ウッズ
  • 江尻慎太郎
  • 江藤愼一
  • 大杉勝男
  • 大家友和(現:富山GRNサンダーバーズ)
  • 大久保秀昭
  • 大西宏明
  • 大沼幸二
  • 大矢明彦
  • 岡本哲司
  • 小川博文(現:オリックス・バファローズ 打撃コーチ)
  • 小関竜也(現:読売ジャイアンツ 二軍外野守備走塁コーチ)
  • 小田嶋正邦(現:読売ジャイアンツ ブルペン捕手)
  • 尾花高夫
  • ホセ・カスティーヨ
  • 加藤康介(現:阪神タイガース)
  • 加藤武治(現:北海道日本ハムファイターズ 二軍投手コーチ)
  • 加藤博一
  • 門倉健
  • 神内靖
  • 菊地和正(現:群馬ダイヤモンドペガサス)
  • 岸本秀樹
  • 木田勇
  • 喜田剛
  • 北方悠誠(現:福岡ソフトバンクホークス 育成選手)
  • 木村昇吾(現:広島東洋カープ)
  • 金城龍彦(現:読売ジャイアンツ)
  • ドミンゴ・グスマン
  • 工藤公康(現:福岡ソフトバンクホークス 一軍監督)
  • マイク・グラン
  • マーク・クルーン
  • 古葉竹識
  • 小林太志
  • 駒田徳広
  • 小宮山悟
  • 小山正明
  • 権藤博
さ行 た行
  • 齊藤明雄
  • 斎藤隆(現:東北楽天ゴールデンイーグルス)
  • 斉藤俊雄(現:オリックス・バファローズ)
  • 佐伯貴弘(現:中日ドラゴンズ 二軍監督)
  • 坂元弥太郎
  • 佐々木主浩
  • 佐藤道郎
  • 真田裕貴(現:福島ホープス 選手兼任コーチ)
  • 清水直行
  • ダン・ジョンソン(現:ヒューストン・アストロズ マイナー)
  • 杉本正
  • ターメル・スレッジ
  • 関根潤三
  • ホルヘ・ソーサ
  • エンジェルベルト・ソト
  • 高木豊
  • 高宮和也(現:阪神タイガース)
  • 武山真吾(現:中日ドラゴンズ)
  • 田代富雄(現:東北楽天ゴールデンイーグルス 打撃コーチ)
  • 田中幸雄(投手)
  • 谷繁元信(現:中日ドラゴンズ)
  • 種田仁
  • 鶴岡一成(現:阪神タイガース)
  • 寺原隼人(現:福岡ソフトバンクホークス)
  • 土肥義弘(現:埼玉西武ライオンズ 投手コーチ)
  • 友利結(現:中日ドラゴンズ 投手コーチ)
な行 は行
  • 内藤雄太
  • 長池徳士
  • 永射保
  • 中尾孝義
  • 長崎慶一
  • 中嶋聡(現:北海道日本ハムファイターズ)
  • 中根仁
  • 中村武志
  • 中村紀洋
  • 那須野巧
  • 仁志敏久
  • 野中信吾
  • 野村弘樹
  • ブレット・ハーパー
  • 橋本将
  • クレイトン・ハミルトン
  • 早川大輔
  • 波留敏夫(現:中日ドラゴンズ 外野守備走塁コーチ)
  • 平松政次
  • 福盛和男
  • 藤井秀悟
  • 藤江均
  • 藤田一也(現:東北楽天ゴールデンイーグルス)
  • 藤田元司
  • 細山田武史(現:福岡ソフトバンクホークス)
  • トニ・ブランコ(現:オリックス・バファローズ)
  • ブランドン・マン(現:ピッツバーグ・パイレーツ マイナー)
  • 古木克明
  • カルロス・ポンセ
ま行 や行
  • 牧野塁
  • 光山英和
  • 南竜介
  • 村田修一(現:読売ジャイアンツ)
  • 森笠繁
  • 森繁和(現:中日ドラゴンズ ヘッドコーチ)
  • 森徹
  • 森祇晶
  • 森本稀哲(現:埼玉西武ライオンズ)
  • ナイジャー・モーガン(現:ハンファ・イーグルス)
  • 屋鋪要
  • 山本省吾
  • 吉川輝昭
  • 吉見祐治(現:阪神タイガース)
  • 吉村裕基(現:福岡ソフトバンクホークス)
ら行 わ行
  • アレックス・ラミレス
  • スティーブン・ランドルフ
  • レオン・リー
  • ブレント・リーチ
  • ランディ・ルイーズ
  • ロバート・ローズ
  • 若田部健一
  • 渡辺直人(現:埼玉西武ライオンズ)

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攻めまくれ
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10709
ハンターチャンス
11243
ヒットテーマ
10512
得点テーマ(熱き星たちよ)
11324

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外部リンク

関連項目

  • マルハ (松竹) / TBS / DeNA
  • 横浜大洋ホエールズ / 横浜ベイスターズ
  • 湘南シーレックス
  • マシンガン打線 / マシンガン継投
  • スーパーカートリオ
  • プロ野球選手一覧
  • 川崎球場 / 横浜スタジアム 
  • DB.スターマン / DB.キララ
  • ベイスたん
  • (*^◯^*)
  • ピンポイントでズドン、ズドン
  • ササキ様に願いを
  • 頑張って いつだって 信じてる
  • 熱き星たちよ
  • 横浜ベイスターズ買収交渉まとめ
  • スペランカー
  • びっくりするほどベイスターズ
    • び(ry
  • 横浜を出る喜び
  • 横浜ファンのオアシス
  • 5/20横浜一人勝ち!
  • やる大矢
  • 椎野茂
  • 月面ステージ (チャンステーマ0の原曲)
NPB所属球団
セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
読売ジャイアンツ | 東京ヤクルトスワローズ
横浜DeNAベイスターズ | 中日ドラゴンズ
阪神タイガース | 広島東洋カープ
北海道日本ハムファイターズ | 東北楽天ゴールデンイーグルス
千葉ロッテマリーンズ | 埼玉西武ライオンズ
オリックス・バファローズ | 福岡ソフトバンクホークス
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