「司令…第十七駆逐隊、いつでも出撃可能だ…可能だぞ。なぁ浜風…浜風?」
磯風(いそかぜ)とは、ブラウザゲーム『艦隊これくしょん~艦これ~』の登場人物(艦娘)である。
モデルは日本海軍、陽炎型駆逐艦12番艦「磯風」。
担当声優:川澄綾子 キャラクターデザイン:未公表
2014年の8月に行われたイベント「AL/MI作戦」の最終面、E-6「本土南西諸島近海」のクリア報酬として実装された。
雪風に並ぶほどの歴戦の武勲艦で、ある程度戦史に詳しい人なら誰でも知っているほどの有名な軍艦であった磯風だけに獲得を目指す提督は非常に多かったが、(ゲージ回復が無い事以外)歴代最高鬼畜難易度との呼び声もあったほどの海域E6を突破するのは容易ではなく、全提督の何%が彼女を迎え入れる事に成功したかは不明。
ファミ通feat.8月号のニコニコ生放送によると「E6の突破率は15%」との事だそう[1]だが、全提督の15%なのか、E5突破者のうちの15%なのかは曖昧。
レアリティは金で、改造するとホロになる所も同じく先行実装された「時津風」と同じ。
建造落ち・ドロップ落ちが早くも切望されているが、過去の「イベント最終海域のクリア報酬」と言う立場の艦を見てみると相当先の話になることも予想されている。(大和→4ヶ月、武蔵→8ヶ月、伊401→9ヶ月、酒匂→5ヶ月)
半年経った2015年2月現在でも建造落ちはしておらず一般海域にもドロップは追加されていないが、2015年2月の冬イベント「迎撃!トラック泊地強襲」の最終MAP、E-5ボスのS勝利のドロップとして報告が上がっている。
選択式難易度のこのイベントでは難易度が高いほどドロップ艦の内容が豪華になるとの事であり、磯風がもし追加されても甲限定なのではないか・・・などという予想も一部で出ていたが、どうやら幸いにも最高難易度「甲」限定ではなく、「乙」でもドロップするようだ。
ただ乙でもドロップの可能性があると言っても、あの戦艦水鬼を含めたボス艦隊を全艦撃沈してS勝利を取ることそのものが難しく、物欲センサーと戦う土俵にすら上がれない提督も大勢いる。特に甲でクリア済みの提督はトリプルダイソンを回避するのではなく全員叩き潰さなければならないという、ラストダンスよりも厳しい戦いになる。
念願のドロップ追加であるが、磯風所持提督の比率は夏イベ終了時の15%からあまり増えなさそうな模様である・・・。
黒髪ロングヘアに真紅の瞳の、楚々とした雰囲気の持ち主。
両手に銃器のように主砲を掲げたポーズはすぐ上の姉である「浦風」に似ている。声がその容姿から予想されるものよりも低いのが、意表を突かれたという声も。声を聞けば、あの不知火の妹であることが納得できるとも。
服装はセーラー服にグレーのプリーツスカートという、「浦風」から「谷風」までの姉妹と共通のものである。
一方で、艤装の形式は駆逐艦には見られない形式になっている。
駆逐艦の殆どは「背負う」「ベルトで肩からかける」「腰・背中に直接ジョイントする」のいずれかの形で装備している事が殆どだが、磯風の艤装はどれとも異なるタイプで、腰周りにアームの土台を装備し、アームの先に艤装本体がついている。これは重巡や戦艦などのクラスにはよく見られる形式の艤装。
一人だけ左右で長さが違うソックスをはいていることも合わせて考えると、坊ノ岬沖海戦で最後を共にした矢矧や大和の影響を受けているものと思われる。
まさに不器用な軍人と言ったタイプ。
戦闘に関する事はストイックで厳しく真面目だが、それ以外の事には無頓着と言うか、あまり心得が無い。
一部では「ミニ長門」なんていう呼び方がされている。
しかし甘いものには目が無い様子。
余計なバルジができる事を嫌って3時のおやつを断る程度の自制心はあるようだが・・・。
(以下ケッコン専用ボイスにつき反転)提督の食事や体調を気遣って声をかけてくれるが、「という訳で」と言う魔法の言葉で自分を間宮に連れて行かせる話に繋げてしまう。
当然、間宮アイスを与えるとキラキラになる。この辺もミニながもんと呼ばれる所以か。
艦これの磯風を語る上で欠かせない(?)のが、メシマズであるという事。
時報を聞くと提督の朝食を磯風が手料理で用意したようだが、なんとこれを食べた提督は腹を壊してしまう。そしてその後の昼食・夕食は磯風が食事の話をしだした時点で逃走を試みるほど。
一応やり方は浜風に教えてもらっての作らしいが、やり方を教えてもらっても別のものが出来上がる点はよくあるメシマズの特徴そのものである。
様々な解釈がされつつもメシマズの見方が多かった比叡カレーですら、「コメントを拒否して逃げた」だけであるのに対し、明確に提督の体調に影響を及ぼしたのは今のところ磯風の作った料理だけである。
ただ、一般的なたちの悪いメシマズ(無自覚で直そうとしない)と違うのは、意地でも自分の料理を食べさせようとまではせずに、素直に浦風や谷風の手を借りている事。
昼飯は谷風の差し入れのおにぎりを食べ、夕食は浦風監修の元でまともな食事を作る事に成功した模様。
・・・なのだが、ファミ通コミッククリアの4コマでは「メシマズのくせにやたら作りたがる」と言うよくあるメシマズになっており、第十七駆逐隊の他のメンバー(浦風・浜風・谷風)の3人から恐れられていた。食事が同室メンバーでの自炊が多いと聞くや否や、磯風との同室になる権利を全力で押し付けあうほど。
余談だが、第十七駆逐隊の他のメンバーは2014夏時点で誰も時報が実装されていないが、磯風の時報によって3人とも何らかの料理スキルはそれなり以上に持っている事が分かった。
ちなみに秘書艦の持ち回りの仕事になっているらしい(大鳳の時報より)カレーは話にも出てこない。
歴戦の武勲艦ではあるが能力は普通。他の陽炎型駆逐艦とほぼ同じで、可もなく不可もなくと言ったところ。
少なくとも雪風・島風・天津風などの高性能艦と位置づけられている艦に比べると性能は高くない。
ただし浜風同様対空戦闘の経験が多かった史実を反映してか、対空の限界値が高い(64)。
秋月と一部の改二勢を除けば堂々の駆逐艦トップである。
運の値は16→改で20と若干高め。
歴戦の武勲艦である事からもう少し高めになるという予想もあったようだが、最後は戦没してしまった事から、戦没艦と生存艦の境目である20は越えないように設定されたようだ。(もちろんまるゆ改修で21以上にする事は可能)
なお第一次改造に必要なレベルが45と駆逐艦とは思えない高さなので注意。
一般的なコモン艦はほぼ全て20、一部のレア艦でも30~35な駆逐艦の中ではもちろんトップで、艦娘全体でも大和のレベル60・雲龍と伊8・19・58・168のレベル50に次ぐ高さである。
陽炎型駆逐艦の12番艦「磯風」は、1940年11月30日に、長崎の佐世保海軍工廠にて竣工した。ちなみに陽炎型で佐世保生まれは「磯風」と「雪風」の2隻のみである。
竣工後まもなく、「浦風」「谷風」と共に、新設された第17駆逐隊に配属された。そして、遅れて完成した「浜風」が編入されて、17駆はお馴染み4隻構成となり、太平洋戦争に突入していく。
「磯風」は第17駆逐隊の一員として、数多くの戦いをくぐり抜けていく。参加した戦いを挙げると、真珠湾攻撃に始まり、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海海戦、南太平洋海戦、ガダルカナル島撤退戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、等々……。
だが、激戦をくぐり抜けて生還するということは、それだけ多くの別れを経験する、ということにも繋がる。主立ったものを挙げると、
上記以外にも、第二次ベララベラ海戦で「夕雲」を、タウイタウイ近海での対潜掃討作戦中に第17駆逐隊の僚艦だった「谷風」を目の前で失っている。
なお、この間、ガダルカナル島撤退作戦に従事していた1943年2月7日には、「磯風」自身も米軍機の爆撃が直撃して、艦橋より前が全部吹っ飛ぶという惨事にも見舞われている。ようやくの思いで呉まで帰投するが、南雲長官が破損した「磯風」を視察して、「これほど損傷した艦をよく連れ帰ってくれた」と乗組員を賞賛し、温泉旅行をプレゼントした、というエピソードがある。
1945年4月、菊水作戦の発動。このとき動ける日本海軍の艦艇による、沖縄への殴り込み作戦に、ここまで生き残ってきた第17駆逐隊の3隻「浜風」「雪風」そして「磯風」は、戦艦「大和」と軽巡「矢矧」の護衛として加わることになった。
4月6日、沖縄に向かう艦隊を待ち構えていた米軍艦載機による猛攻撃が坊ノ岬沖にて始まった。
戦闘開始早々の12時48分、ここまでいつも行動を共にしてきた17駆の僚艦「浜風」が直撃弾を受けて轟沈する。
ほぼ同時刻、「矢矧」も艦攻による雷撃を受けて航行不能となり、「磯風」に救助要請が来る。敵の攻撃がひとまず終わった間隙を突いて、「磯風」は「矢矧」に接近して救助活動を行おうとする(横付けしてロープを結んだところだった、とも)が、間が悪くそこに米軍の第二波攻撃がやってきてしまう。
時刻にして13時30分頃である。完全に速度を落としていた「磯風」は逃げられず、右舷後部に至近弾を受けて機関室に浸水し、舵が故障した状態で、それでもよろよろとその場からの離脱を図った。一方の「矢矧」も集中攻撃を受けて14時8分に轟沈する。
そして、その間も猛攻撃を受け続けた「大和」は14時23分、大爆発を起こして轟沈。その様子は「磯風」からも見えたという。
戦場から離脱しようとした「磯風」は、だが機関部に浸水しており、まもなく航行不能になって漂流を始める。そこに救けに来たのは、第17駆最後の生き残りとなった「雪風」だった。生存していた「磯風」の乗員を救助した後、「雪風」は「磯風」の曳航をしようと準備を始めるが、そこに艦隊司令部から「磯風」の処分命令が下る。
仕方なく、「雪風」は「磯風」に砲撃、続いて雷撃を行うが、それまでの激戦で照準装置が狂ったのか、それとも別の原因か、全ての砲弾も魚雷も「磯風」に当たらなかった。
やむなく、一時は、救助された「磯風」乗員による決死隊(「磯風」に乗り込んで、自ら弾薬庫に火を付ける。当然戻って来られるはずもない)を編成しようとまでしたが、その直前に「最後にもう一度やってみる」と放たれた「雪風」の砲撃が、「磯風」の積んだままだった魚雷に命中、誘爆し、「磯風」は爆発、船体を二つに折って、水面の底に沈んでいった。時に、4月6日の22時40分。
それを見守っていた、「雪風」に救助されていた「磯風」の乗組員達は、沈み行く「磯風」に敬礼をして見送ったという。
1945年5月25日、除籍。
戦後、戦史研究家の志摩達雄氏は、「磯風」を太平洋戦争における日本海軍の最高武勲艦と評している。
日本海軍における功績査定評価[2]でも、 駆逐艦の中では雪風の264点に次ぐ第2位の234点を記録している。
また、「磯風」に水兵として乗り込んでいた方(正確には、この方が「磯風」に乗艦されていたのはガ島輸送作戦から最後まで)の手記がネットで公開されている。一読の価値はあり。
→我が青春の追憶 一水兵がとらえた太平洋戦争
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最終更新:2025/12/07(日) 05:00
最終更新:2025/12/07(日) 05:00
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