第31駆逐隊(第2代) 単語

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第31駆逐隊とは、大日本帝国海軍が舞鶴鎮守府籍駆逐艦によって編成した駆逐隊の1つ。

  1. 1905年~1924年(31駆としては1918年~1922年)。
     神風型(初代)駆逐艦「潮」「子日」「若葉」「朝風」によって編成した第5駆逐隊(初代)を改称。19年12月、防護巡洋艦「対馬」(20年、同「千早」)隷下に第3水雷戦隊。ワシントン海軍軍縮条約により舞鶴鎮守府が要港部に格下げされることにより佐世保鎮守府籍に移管、第30駆逐隊(初代)となる。23年に第29駆逐隊(2代)と併合。24年所属艦全てが掃海艇に種別変更され第11掃海隊を編成し解散。
  2. 1942年~1944年。
     夕雲型駆逐艦「長波」「巻波」により新設。第二艦隊第二水雷戦隊に編入され「高波」を編入。以降、「大波」「清波」「朝霜」「岸波」「沖波」を順次編入。44年11月「朝霜」を第2駆逐隊(5代)に転出。12月の「岸波」戦没により解散。

本記事では2代目31駆について解説する。

戦史概略

第31駆逐隊(第2代)は1942年8月、第二艦隊第二水雷戦隊に「長波・巻波」で編成され、「高波」を加える。ガダルカナル島へのヘンダーソン基地砲撃戦護衛や鼠輸送作戦、南太平洋海戦に関わる。

ルンガ沖夜戦において当駆逐隊所属艦「長波」が二水戦臨時旗艦、及び「高波」で警戒隊を編成。「巻波」及び第15駆逐隊「親潮・黒潮・陽炎」、第24駆逐隊「江風」「涼風」の駆逐艦8隻での鼠輸送を妨害しようとする米巡洋艦部隊(重巡洋艦4、軽巡洋艦1,駆逐艦6)と交戦し、「高波」戦没と引き換えに米巡洋艦1撃沈、2大破の戦果を上げる。しかし、本来の目的である鼠輸送は失敗し、その後も数度に渡り鼠輸送を行うも成果を得るに至らず、第10戦隊から借り受けた乙型駆逐艦「照月」も喪い、二水戦田中頼三少将は解任された。

その後、長波と他艦は行動を別にした。長波は整備を兼ねて護衛任務をこなして舞鶴工廠にて修理。その後一水戦指揮下に入りキスカ島撤退作戦に従事する。作戦後響と舞鶴までタンカーを護衛し舞鶴工廠にて入渠。島風と鳥海・摩耶を護衛してラバウルに進出。

大波が巻波と合流し、大波・巻波は三水戦指揮下に入り(この際、巻波は三水戦臨時旗艦)、ガダルカナル島からの撤退作戦(ケ号作戦)に従事した。第1次ケ号作戦中に巻波は被弾。三水戦旗艦は白雪が継承した。この損傷の修理のため巻波は舞鶴に帰投後入渠した。

長波・巻波修理中の43年2月、「清波」が31駆に編入し定数4を揃えた【編成:大波・清波/長波・巻波】。大波・清波は一時第四根拠地隊の指揮下に入りラバウル方面の船団護衛に従事した。5月下旬、大波は呉に帰投し修理と整備を行った。大波は7月下旬にトラックに進出後4駆舞風と大鷹を護衛。舞風分離後8月6日に米潜パイクの襲撃を受け損傷、舞鶴にて入渠する。

6月から7月にかけ、清波は雲鷹・冲鷹を護衛し横須賀へ回航、折り返し第三戦隊指揮下に入りトラック諸島に進出後ラバウルに入る。7月5日のクラ湾夜戦で壊滅した三水戦司令部の増援(新月戦没後有賀幸作鳥海艦長が代行)として二水戦より旗艦神通及び清波が南東方面部隊指揮下に入る。7月11日深夜コロンバンガラ島沖海戦勃発。旗艦神通は艦隊の盾となり戦没。警戒隊【清波・雪風・浜風・夕暮・三日月】の反撃により米第36.1任務群を撃破した。輸送隊【皐月・水無月・夕凪・松風】はその任を全うした。しかし、7月20日の輸送作戦において第7戦隊【鈴谷・熊野/西村祥治司令官】を中心とする輸送作戦においてヘンダーソン飛行場から飛来したTBFアヴェンジャーによる雷撃により夕暮が轟沈、救助にあたった清波も戦没した。

9月、長波・巻波・大波の修理が完了し、第三艦隊指揮下でエニウェトク環礁に進出。11月にラバウルに進出し第十戦隊指揮下にてブーゲンビル島タキロナ輸送への輸送作戦に従事。11日にラバウルが大規模空襲を受け長波は大破し自力航行不能となる。長波は夕張・文月の護衛のもと、水無月に曳航されてトラックに入港。長良が曳航を引き継ぎ呉工廠にて修理を受けた。

直後の11月下旬、三水戦司令部の指揮下においてブカ島への輸送作戦が実施された。(警戒隊:31駆【大波・清波】/輸送隊:11駆【天霧・夕霧・卯月】)。25日未明、ニューアイルランド島沖にて米第23駆逐部隊(アーレイ・バーク大佐以下フレッチャー級駆逐艦5隻)のレーダー先制雷撃を受け大波・清波・夕霧が戦没(セント・ジョージ岬沖海戦)。これにより、31駆は一時的に可動艦がなくなった。

長波修理中の44年2月10日、姉妹艦「岸波・沖波・朝霜」が31駆に編入され定数4を回復(可動艦は3)。2月26日からの『松輸送』が再編31駆の初陣となるが、本任務中、朝霜は1日で米潜ロック・トラウト両艦を撃退した。以降、『東松三号特別船団』護衛でトラック、リンガ泊地に進出、5月下旬はタウイタウイ方面の対潜哨戒に従事。(一時、沖波は分離し第2次渾作戦に参加。)6月19日のマリアナ沖海戦においては丙部隊に属し、22日中城湾に立ち寄ったあと24日柱島泊地に帰投。修理を終えた長波も合流し、7月9日に第四戦隊を護衛し臼杵湾を出撃、昭南を経てリンガ泊地に19日着。以降、訓練に励む。

レイテ沖海戦において、31駆は第二艦隊(栗田艦隊)に属し、長波・朝霜は損傷した高雄を護衛し戦線離脱。愛宕を屠った米潜ダーターがリーフに座礁したところにとどめを刺した。次いで妙高の護衛を行った。一方沖波・岸波は続くサマール沖海戦に第七戦隊について参戦。沖波は単艦で戦没した鈴谷乗員を救助し、空爆を受けながらも切り抜けた。途中、被爆回避中に座礁した「早霜」を発見、復旧支援を行ったが米軍機の来襲により打ち切りコロン湾に退避、艦首を喪失した熊野と合流しマニラに入港。岸波は本隊に追従し、先に長波らの妙高護衛を引き継ぎ、妙高を昭南まで護衛した。

レイテ沖海戦の生き延びた31駆各艦は多号作戦に投入された。

第1陣は浸水被害の残る沖波だった。沖波は一水戦(木村昌福司令官、旗艦「霞」)指揮下。【霞(旗艦)・沖波・曙・潮・初春・初霜・海防艦5・輸送艦4】の陣容で10月31日マニラ発、11月4日帰投。翌5日にマニラ湾空襲にて那智が沈没、沖波も艦長が負傷し艦も修理が必要となった。

第2陣は長波・朝霜。11月8日からの第4次作戦に編入。【霞(旗艦)・長波・朝霜・若月・潮・秋霜、海防艦4、輸送艦3】。兵員は上陸できたが上陸用舟艇が不足し物資や武器の揚陸は失敗。沈没した輸送船の乗員を霞・長波・朝霜が救助し撤退した。また、秋霜は輸送艦護衛のため別に退避していた。
途中、二水戦を主軸とする第3次作戦艦隊【島風(旗艦)・浜波・初春・竹・駆潜艇2、輸送船5】と合流、【長波・朝霜・若月】と【初春・竹】が交代。11日、第3次船団は米軍機の来襲により朝霜1隻を残しほぼ壊滅した。

11月13日、またもマニラ湾に空襲があり、木曾・初春・曙・沖波・秋霜が戦没(大破着底)。かろうじて生き残った霞・初霜・朝霜・潮・竹は第五戦隊司令部を乗せマニラを脱出した。

11月15日、11日に戦没した浜波が31駆に書類上編入、併せて朝霜も2駆に編入された。12月4日、昭南~マニラ輸送任務にあった岸波が米潜フラッシャにより戦没。12月11日、福岡司令免職、翌1月10日、所属艦の除籍により解隊した。

2駆に異動した朝霜は僚艦清霜とともに礼号作戦(12/24-26)挺身部隊に部署。本作戦で清霜を喪った。
45年2月10日(清霜除籍を以って第2駆逐隊解隊、21駆「初霜・時雨(戦没)」に編入)、北号作戦(完部隊)に部署。四航戦を護衛し本土に帰投。
3月10日、初春型「初霜」朝潮型(満潮型)「霞」とともに第21駆逐隊を編成、同隊駆逐司令艦となる。
4月6日からの天一号作戦に参戦、7日、機関故障により隊列から落伍したところを米軍機により撃沈された。総員戦死。5月10日の除籍を以って第21駆逐隊も解隊した。

駆逐隊司令

※文中、駆逐艦の艦長は本来「○○駆逐艦長」であるが、「○○艦長」と略して表記。 (  )は兼務。
 艦名・駆逐隊の*は1941.12.8を基準日とする「先代」の艦・駆逐隊を示す。
   開戦(1941.12.8)時所属   在任中戦死   終戦時所属

司令/発令日 職位 職歴
1 清水利夫
(46期・山口)
1942/8/31
少佐 菫艦長-卯月艦長-水雷学校副官
中佐 夕霧艦長-鳥羽艦長-神威副長-鹿屋航空隊副長-国後艤装員長/艦長-29駆司令-21駆司令-
大佐 31駆司令(42.11.30高波にて戦死,少将)
2 香川清登
(46期・広島)
1943/2/12
少佐 夕張航海長-高雄航海長-扶桑航海長-吹雪艦長
中佐 東雲艦長-大井副長-橋立艤装員長/艦長-1駆司令
大佐 31駆司令(43.11.25大波にて戦死,少将)
3 福岡徳治郎
(48期・東京)
1944/2/5
少佐 汐風艦長-白露艦長-沼風艦長
中佐 夕霧艦長-水雷学校副官-最上副長-第1掃海隊司令-19駆司令
大佐 31駆司令-第2特攻戦隊幕僚(宿毛で死亡,少将)
1945/1/10 除籍解隊 (福岡司令 1944/12/11免職)

所属駆逐艦の変遷

艦名 型式 原所属 異動先 喪失日 喪失した海戦/状況
長波 夕雲型駆逐艦 第31駆逐隊
(初期所属)
--- 1944.11.11 第三次多号作戦
巻波 --- 1943.11.25 セント・ジョージ岬沖海戦
高波 第31駆逐隊
(追加編入)
--- 1942.11.30 ルンガ沖夜戦
大波 --- 1943.11.25 セント・ジョージ岬沖海戦
清波 --- 1943. 7.20 コロンバンガラ輸送作戦
沖波 --- 1944.11.13 マニラ港空襲
岸波 --- 1944.12. 4 パラワン島北西 米潜「フラッシャー」雷撃
朝霜 第2駆逐隊
第21駆逐隊
1945. 4. 7 坊ノ岬沖海戦
浜波 第32駆逐隊 *編入時戦没済 1944.11.11 第三次多号作戦

長波【ながなみ】(夕雲型駆逐艦4番艦)

【造船所】藤永田造船所 【進水】1942.3.5 【就役】1942.6.30 【籍】横須賀鎮守府
【戦没】1944.11.11(空襲・オルモック湾〈第3次多号作戦〉) 【除籍】1945.1.10

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考
艤装員長 隈部傳 中佐 1942.5.10 初雁艇長-灘風艦長-熱海艦長-夕霧艦長-長波艤装員長/艦長
初代 1942.6.30
2代 森卓次 少佐 1943.11.25 秋風艦長-響艦長-長波艦長-第2艦隊司令部付
44.2.10-44.6.1 艦長の発令なし
3代 飛田清 少佐/中佐 1944.6.1 水雷学校教官-初春艦長-横須賀鎮守府付-長波艦長(44.11.11戦没)-水雷学校教官  (海自)あさかぜ艦長

巻波【まきなみ】(夕雲型駆逐艦5番艦)

【造船所】舞鶴工廠 【進水】1941.12.27 【就役】1942.8.18 【籍】舞鶴鎮守府
【戦没】1943.11.25(〈セント・ジョージ岬沖海戦〉) 【除籍】1944.2.10

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考 ( )は兼職で主務は前置
艤装員長 人見豊治 中佐 1942.6.30 村雨艦長-白雲艦長-巻波艤装員長/艦長-巻波(不知火/初春)艦長-巻波艦長(1942.9.10兼務解消,1943.11.25戦没時戦死,大佐)
初代 1942.8.18

高波【たかなみ】(夕雲型駆逐艦6番艦)

【造船所】浦賀船渠 【進水】1942.3.16 【就役】1942.8.31 【籍】舞鶴鎮守府
【戦没】1942.11.30(ルンガ沖夜戦) 【除籍】1942.12.24

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考 ( )は兼職で主務は前置
艤装員長 (兼)
   小野四郎 少佐
1942.7.23 汐風艦長-第1号掃海艇長-沢風艦長-山雲艦長-山雲(磯波/高波艤装員長/春風)艦長-山雲艦長(42.10.1兼務解消,44.10.25戦没時戦死,大佐)
小倉正身 中佐 1942.8.20 如月艦長-満潮艦長-高波艤装員長/艦長(42.11.30戦没時戦死,大佐)
初代 1942.8.31

大波【おおなみ/おほなみ】(夕雲型駆逐艦7番艦)

【造船所】藤永田造船所 【進水】1942.8.31 【就役】1942.12.29 【籍】舞鶴鎮守府
【戦没】1943.11.25(セント・ジョージ岬沖海戦) 【除籍】1944.2.10

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考 ( )は兼職で主務は前置
艤装員長 (兼)
   平山敏夫 少佐
1942.11.15 波風艦長-水無月艦長-白雪艦長(大波艤装員長,42.12.20兼職解消)-秋霜艤装員長/艦長-早霜艦長-涼月艦長
吉川潔 中佐 1942.12.20 鳥海水雷長-春風艦長-弥生艦長-山風(江風)艦長-江風艦長-大潮艦長-夕立艦長-大波艤装員長/艦長(43.11.24戦没時戦死,少将)
初代 1942.12.29

清波【きよなみ】(夕雲型駆逐艦8番艦)

【造船所】浦賀船渠 【進水】1942.8.17 【就役】1943.1.25 【籍】舞鶴鎮守府
【戦没】1943.7.20(コロンバンガラ輸送作戦) 【除籍】1943.10.15

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考 ( )は兼職で主務は前置
艤装員長 (兼)
   畑野健二 少佐
1942.11.15 睦月艦長-萩風艦長(清波艤装員長,42.12.28兼職解消)-霜月艤装員長/艦長(44.11.25戦没時戦死)
有馬時吉 中佐 1942.12.28 高雄水雷長-菊月艦長-汐風(島風/山雲/朝雲)艦長-綾波艦長-親潮艦長-清波艤装員長/艦長(43.7.20戦没時戦死認定,大佐)
初代 1943.1.25

浜波【はまなみ】(夕雲型駆逐艦13番艦): 【原隊】第32駆逐隊

【造船所】舞鶴工廠 【進水】1943.4.18 【就役】1943.10.25 【籍】舞鶴鎮守府
【戦没】1944.11.11(空襲・オルモック湾〈第3次多号作戦〉) 【除籍】1945.1.10
【履歴】第32駆逐隊(戦没後、44.11.15書類上第31駆逐隊に編入)

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考 ( )は兼職で主務は前置
艤装員長 本倉正義 中佐 1942.6.30 文月(長月)艦長-初霜艦長-夕霧艦長-時津風艦長(戦没)-木曾副長-浜波艤装員長/艦長(44.11.11戦没)
初代 1942.8.18

沖波【おきなみ】(夕雲型駆逐艦14番艦)

【造船所】舞鶴工廠 【進水】1943.7.18 【就役】1943.12.10 【籍】舞鶴鎮守府
【戦没】1944.11.13(マニラ湾空襲 45.1.7船体爆破自沈) 【除籍】1945.1.10

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考 ( )は兼職で主務は前置
艤装員長 牧野担 中佐 1942.6.30 鵲艇長-初春艦長-横須賀鎮守府付-千島方面特別根拠地隊参謀-沖波艤装員長/艦長(44.11.13大破着底,11.20離任,45.1.7自沈処理)
初代 1942.8.18

岸波【きしなみ】(夕雲型駆逐艦15番艦)

【造船所】舞鶴工廠 【進水】1943.7.18 【就役】1943.12.10 【籍】舞鶴鎮守府
【戦没】1944.12.4(パラワン島北西・米潜「フラッシャー」雷撃) 【除籍】1945.1.10

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考 ( )は兼職で主務は前置
艤装員長 三舩俊郎 中佐 1943.11.12 佐世保人事部員-海風艦長-岸波艤装員長/艦長(44.12.4戦没時戦死,大佐)
初代 1943.12.3

朝霜【あさしも】(夕雲型駆逐艦16番艦)

【造船所】藤永田造船所 【進水】1943.7.18 【就役】1944.1.27 【籍】横須賀鎮守府
【履歴】第31駆逐隊→第2駆逐隊→第21駆逐隊 【転出】1944.11.15
【戦没】1945.4.7(空襲/天一号作戦・坊ノ岬沖海戦) 【除籍】1945.5.10

艤装員長/駆逐艦長

氏名 着任日 略歴・備考
艤装員長 前川二三郎 中佐 1943.11.1 如月艦長-羽風艦長-朝霧艦長-夕霧艦長-(臨時)朝霜艤装員長/艦長-舞鶴人事部員
初代 1944.1.27
2代 杉原与四郎 中佐 1944.1.27 雁艇長-友鶴艇長-朝顔艦長-皐月艦長-初雪艦長-五月雨艦長-朝霜艦長(45.4.7戦没時戦死)

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