織田信房(?~1582)とは、戦国時代~安土桃山時代の武将である。
織田信長の五男というのが公式設定だが、四男の可能性が高い。本能寺の変で信長・信忠と共に討死した一門衆の一人。
系図類では織田勝長だが、一次史料では基本的に織田信房。
織田信長の五男とされている。…が生年が不明かつ、『高野山過去帳』で天正10年(1582年)に15歳だったことが確実な織田秀勝と、それ以前に死んだはずなのに源三郎勝長という子供がいた織田信房の間に矛盾点がとてつもなく多いため、こっちのほうが兄だった可能性が高い。なお、『惟任謀反記』には織田秀勝が五男とあるので、蓋然性は高いような気はする。
幼名はお坊。遠山景任の養子にされて、父のもとを離れた。ところが元亀3年(1572年)秋山信友に岩村城が攻略された結果、『松平記』などによると武田信玄に送られたようだ。かくして、武田家のもとにずっと人質としておかれていたが、天正8年(1580年)頃に佐竹氏の交渉もあって織田信長に返された。『信長公記』によると、天正9年(1581年)11月24日に父親と再会できたようだ。かくして犬山城主となった。
そして、『太閤記』によると池田恒興の娘を娶ったとされるが、史料が史料なので事実かはわからない。かくして、一転して織田信忠に従い武田攻めに加わり、高島城の開城や上野での折衝を行った。帰り道に垂井で父親を供応している。
そして有力な一門衆になりつつあったが、本能寺の変であえなく戦死。『藩士家譜』によると子供は池田家に仕えたとされるが、事実かは不明。
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最終更新:2025/12/11(木) 22:00
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