「艦娘たちの戦後」とは、艦隊これくしょん~艦これ~のキャラクターを使って昭和20年8月15日以後の日本海軍艦艇の様子を描いた作品に使用されているタグである。(→pixiv「或る夏の記憶」)
開戦時に約250隻を保有、戦時に約400隻を建造した日本海軍が、終戦時に保有していたのは約170隻。このうち、作戦行動が可能な駆逐艦以上の水上艦は40隻程度、潜水艦は60隻程度と、事実上完膚なきまでに叩き潰されたと言っても過言ではない状態だった。
『艦これ』には2014年3月現在、給糧艦「間宮」と陸軍系・海外艦を含めて129名の艦娘が登録されているが、このうち昭和20年8月15日を浮揚状態で迎えたのは12名(「まるゆ」こと「三式潜航輸送艇」は拿捕艦も含めて35隻が残存)、大破着底状態で迎えたのは6名である。
以下、『艦これ』登場艦艇の昭和20年の状況について記す。
戦艦「長門」 (在:横須賀 状態:中破・主砲以外の武装ほとんど無し)
レイテ沖海戦の後、昭和19年11月25日に横須賀へ帰投。所属していた第一戦隊も解隊され、20年6月には横須賀鎮守府の警備艦となって副砲以下の武装のほとんどを陸揚げ、煙突や後艦橋も部分的に撤去される。
7月18日に横須賀空襲があり、沈没は免れたものの艦橋に直撃弾を受け、艦長など艦首脳の多くが戦死。修理を受けられないまま終戦を迎えた。
※昭和20年2月頃から海軍は、「長門」「鳳翔」「利根」「潮」「響」をソ連へ譲り渡し、石油や鉄鉱などの資源援助と、対米講和交渉の仲介を依頼しようと交渉したが、既に対日戦争を企図していたソ連にはぐらかされ、譲渡対象に考えていた艦艇も空襲で損傷してしまったので、実現せずに終わったといわれる。
空母「鳳翔」 (在:呉 状態:健在・作戦行動可能)
昭和17年のミッドウェー海戦に出撃した後は内地で練習艦として使われ、3月と7月の呉軍港空襲でも大きな損害は受けず、開戦時から存在した日本海軍の空母としては、唯一作戦行動可能な状態(ただし6月、最低限の人員を残して乗組員の多くは退艦)で終戦を迎えた。
空母「隼鷹」 (在:佐世保 状態:機関損傷により外洋航行不能)
昭和19年6月のマリアナ沖海戦の後は作戦行動のための艦載機が無く、輸送任務に従事。12月、マニラからの帰路に米潜水艦の攻撃を受け、かろうじて佐世保へ帰投。機関以外の修理はされたものの外洋航海が出来ないため、一時計画された戦艦「大和」との水上特攻への参加も無く、そのまま終戦を迎えた。
重巡洋艦「妙高」 (在:シンガポール 状態:大破(艦尾喪失)・航行不能)
レイテ沖海戦で米機動部隊の攻撃により機関損傷・戦線離脱。昭和19年12月に駆逐艦「潮」とともに日本本土への帰投を図ったものの、米潜水艦の攻撃を受けて艦尾切断。シンガポールに曳航されて、現地で終戦を迎えた。
※終戦時の「妙高」の傍には「伊501」と「伊502」という潜水艦が係留されていたが、両艦は元・ドイツ海軍のUボートの「U-181」と「U-862」で、日本占領下のジャカルタなどを拠点にインド洋方面での通商破壊戦を行っていた。
ドイツの降伏により、5月6日に日本海軍が接収。7月15日に日本海軍潜水艦に登録され、「伊501」「伊502」の艦名が付与されたが、当然ながら出撃の機会は無かった。
重巡洋艦「高雄」 (在:シンガポール 状態:大破(艦尾喪失)・航行不能)
レイテ沖海戦で米潜水艦の攻撃により大破。昭和19年11月にブルネイからシンガポールへ移動したが、潜水艦の脅威のため本土へ帰投できず、現地で浮き砲台化。20年7月末、英軍の工作員に時限爆弾を仕掛けられたものの沈没を免れ、現地で終戦を迎えた。
重雷装巡洋艦「北上」 (在:呉 状態:大破・航行不能)
重雷装艦としての出撃はついに無く、専ら輸送任務に従事。昭和20年は特攻兵器「回天」搭載艦として活動していた。7月15日に編成された、本土決戦用の最後の水上艦隊・「海上挺身部隊」の一艦である。しかし7月24日の呉軍港空襲で大破。沈没は免れたが自力航行は不可能な状態で終戦を迎えた。
駆逐艦「雪風」 (在:舞鶴(宮津) 状態:損傷軽微・作戦行動可能)
戦艦「大和」の水上特攻から生還後、佐世保を経て舞鶴へ移る。6月15日に舞鶴湾の隣の宮津湾へ移動するが、湾口に機雷を撒かれて、湾から出られなくなってしまう。7月30日、空襲でロケット弾が命中するも不発。対空戦闘において、米軍機1機の撃墜を記録する。この戦闘を最後に、宮津湾で終戦を迎えた。
駆逐艦「響」 (在:新潟 状態:健在・作戦行動可能)
昭和20年1月より第七駆逐隊に所属。3月29日、戦艦「大和」の水上特攻に従うべく呉軍港を出たが、機雷の爆発で一時航行不能。呉へ後退したため特攻には加わらなかった。 修理完了後は呉から舞鶴へ回航され。航行不能となっていた「潮」の装備を移し替えられる。7月10日付けで「第一海上護衛艦隊」へ編入。日本海方面での船団護衛に従事し、8月15日午前中も米軍機と戦闘の記録がある。「潮」から預かった連装砲で日本海軍最後の発砲を行った後、新潟で終戦を迎えた。
駆逐艦「潮」 (在:横須賀 状態:中破・機関損傷・航行不能)
レイテ沖海戦の後、昭和19年11月13日にマニラで空襲を受け損傷。重巡「妙高」とともに本土帰投を図るも、「妙高」は潜水艦攻撃でシンガポールへ退却、「潮」は横須賀へ入った。書類上は「響」と第七駆逐隊を編成していたが、機関損傷のため身動きできず、4月の戦艦「大和」の特攻へも不参加。6月、連合艦隊司令部の付属艦扱いに移される。
7月の横須賀空襲では戦艦「長門」が狙われたため大きな被害は免れ、そのまま終戦を迎えた。
潜水艦「伊58」 (在:豊後水道(移動中) 状態:健在・作戦行動可能)
就役が昭和19年9月と遅かったため大きな海戦には関わらず、20年は特攻兵器「回天」搭載潜水艦として南方海域を転戦。7月30日、テニアン島へ原爆を輸送した帰りの米巡洋艦「インディアナポリス」を雷撃(「回天」使用せず)し、これを撃沈。日本海軍最後の、敵水上艦撃沈戦果を挙げた。8月15日は呉へ帰投のため移動中だった。
潜水艦「伊401」 (在:南太平洋ポナペ島付近(作戦行動中) 状態:健在・作戦行動可能)
就役は昭和20年1月。いわゆる“潜水空母”として、僚艦「伊400」とともに水上機「晴嵐」によるウルシー環礁(米艦隊泊地)への特攻を行う部隊を編成。7月24日、大湊を出撃する。8月14日、ポナペ島の南100海里において「伊400」との会合を予定していたが失敗。15日、やむを得ず単独でウルシーへ向かっていたところで終戦の通信を受けた。
陸軍は400隻以上の建造を計画していたとされるが、完成したのは38隻。空襲と事故で5隻を失い、このうちフィリピンで事故沈没した1隻は米軍が引き揚げて鹵獲され、終戦時は34隻が各地に散在していた。
戦艦「榛名」 (呉・江田島沖 7月28日空襲)
レイテ沖海戦から帰投中に姉妹艦「金剛」を潜水艦攻撃で失い、昭和20年1月1日付で第三戦隊は解隊。2月からは呉鎮守府の警備艦となるが、燃料欠乏で身動きが取れなかった。3月の第一次呉軍港空襲で小破。7月28日の第三次空襲で20発以上の命中弾を受け、江田島小用沖において大破着底となる。
航空戦艦「伊勢」 (呉・三ツ子島沖 7月28日空襲)
昭和20年2月、シンガポールから資源物資を積んで本土まで強行突破する「北号作戦」を成功させた後、呉へ入るが燃料も艦載機もなく、3月1日付で第四航空戦隊は解隊。呉鎮守府の警備艦となる。
7月24日の第二次呉軍港空襲で艦橋に命中弾を受け、艦長が戦死。続く28日の空襲で10発以上の命中弾により、三ツ子島沖で大破着底となる。
航空戦艦「日向」 (呉・情島沖 7月24日空襲)
「伊勢」とともに「北号作戦」に参加し、呉へ帰投。3月1日の第四航空戦隊解隊で、呉鎮守府警備艦となる。3月の第一次呉軍港空襲で小破。情島沖へ移動して浮き砲台化された後の7月24日の空襲で、多数の命中弾・至近弾を受けて大破浸水、着底となる。ただし28日の空襲においても、使用可能な兵器によって対空戦闘を行ったという。
重巡洋艦「利根」 (呉・能美島海岸 7月28日空襲)
レイテ沖海戦とフィリピンの戦いで僚艦を全て失い、所属していた第七戦隊は解隊。呉へ戻った後は海軍兵学校の練習艦となる。3月19日の第一次呉軍港空襲で小破。7月24日と28日の空襲で命中弾多数、大破着底となる。
重巡洋艦「青葉」 (呉・工廠近く 7月28日空襲)
レイテ沖海戦直前の昭和19年10月23日、潜水艦攻撃で大破。応急修理の後、5ノットの微速で本土まで帰投するも、損傷が激しく本格修理は出来ないままだった。7月24日と28日の空襲で大破。艦尾切断で浸水し、着底する。
駆逐艦「初霜」 (舞鶴(宮津)・獅子崎 7月30日空襲)
「妙高」のシンガポール撤退を護衛した後、「北号作戦」の一艦として参加し、昭和20年2月に呉へ帰投。4月の戦艦「大和」の特攻にも参加、奇跡的に生還する。
その後第二十一駆逐隊は解隊され、同じく「雪風」のみとなっていた第十七駆逐隊へ編入、舞鶴→宮津湾へ移動する。7月30日に空襲を受け、それによる直接的な損害は無かったものの、陸岸近くで退避行動中に機雷接触。艦尾大破・浸水し、獅子崎付近で擱座となる。
大破着底の艦は浮揚の後、解体処分された。
損傷が激しい等の理由により、復員船や賠償艦などに廻されず解体、もしくは沈没処理となったもの。
日本本土へ帰れないまま、終戦を迎えた現地で処分されたものも多い。
ある程度の大型艦は武装解除の上で、復員船に使用された。
駆逐艦など一部の艦艇は、戦時賠償艦として連合国へ引き渡された。
潜水艦のうち、「伊400」・「伊401」・「伊14」・「伊201」・「伊203」は、技術調査のため米軍にいち早く接収され、ハワイへ回航された。調査終了後は全艦、海没処理となった。
戦艦「長門」と軽巡洋艦「酒匂」は米軍に接収され、ビキニ環礁にて原爆実験(クロスロード作戦)の標的艦となった。敗戦海軍から標的艦に供されたのは「長門」と「酒匂」、ドイツ海軍の重巡「プリンツ・オイゲン」である。
| 空母 | 駆逐艦 (賠償引渡先) | 伊号潜水艦 |
|---|---|---|
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(Uボート)
|
| 巡洋艦 | ||
|
||
| 補助艦 | ||
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※海防艦、呂号潜水艦、小型潜水艇、病院船等は除外
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最終更新:2025/12/07(日) 06:00
最終更新:2025/12/07(日) 06:00
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