高雄(たかお)は、「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場するキャラクター(艦娘)である。
モデルは帝国海軍重巡洋艦、<高雄>。 由来は京都市高雄山で、東京の山奥とか台湾とかは特に関係ない。
担当声優は東山奈央。図鑑番号はNo.059。
妹の愛宕同様、ばいんばいん。服装もほぼ共通で群青色の軍服のようなセットアップだが、愛宕がロング丈であるのに対し彼女は深いスリットが入ったミニ丈のタイトスカートで、絶対領域とガーターベルトを見せつけるような着こなしである。エロい。中破時は脱衣ブロック崩しである。
自己紹介では「巡洋艦といえばなんといっても私、高雄型よね」と最大最後の一等巡洋艦としての矜持を感じさせ、また、第四戦隊旗艦を担った史実からか、出撃時には「私に続いてくださ~い!」とツアーガイドさん後続艦を指揮するが如き言動も。
しかし、提督はじめ仲間に対して高圧的なところはまったくないどころか、入渠すれば傷ついた自分を差し置いて「あの娘たちを、ここで見守りましょう!」と朗らかに振る舞い、建造が完了すれば「新しい仲間です。温かく迎えましょう!」と真っ先に好意的な気遣いをみせるなど、性格的には穏やかで非常に優しい、ちょっと落ち着いたお姉さんである。
良家の令嬢のように敬語をきちんと使いこなす上品な言葉遣いも相まって、数いる艦娘の中でもトップクラスの常識人(常識艦?)であろう。
性能としては、後期に建造された艦である事を反映してか、他の重巡洋艦に比べてステータスが高めできれいにまとまっており使いやすい。重巡洋艦の例に漏れず悪く言えば尖った部分が無く平凡と言えるが、愛が無ければ使うのは辛い・・・なんて事は全く無い程度に強い。
任務(クエスト)でも編成要員に必要とされるので、1隻は確保して手元においておきましょう。
提督諸氏の間では、愛宕はよくおっぱい怪獣アタゴンなどと呼ばれるが、同様にボインな高雄さんはおっぱい怪獣タカオンとか呼ばれる事はなく「カカオ」と呼ばれたりする。脈絡がないようで何の事か分からない人は高雄さんを艦隊に編成してみよう。
だが、ある意味何よりも高雄さんの象徴ともなっているのは、記事冒頭にも載せた「バカめ…と言って差し上げますわ!」だろう。戦場で日が落ちた途端に敵艦隊に向けて言い放つこの一言には、いつも上品かつ穏やかに振る舞う高雄さんの、母港では決して見せないドSな側面として強い印象を持っている提督も多いと思われる。
まぁ「…と言って差し上げますわ!」と付け加える辺り、高雄さんはどこまで行っても上品な高雄さんなのだが…。
こちらは史実には特に元ネタと思われる言動は見当たらず、強いて元ネタに当てるとしたら、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」において沖田十三がヤマト建造前の冥王星海戦で、圧倒的に強大な敵からの降伏勧告への返答として送りつけた「バカめ、と言ってやれ」(オペレーター「は?」)「バカめ、だ!」だろうか。
これの更なる元ネタと思われる言葉として、第二次世界大戦中にバストーニュで包囲された米軍マコーリフ准将が降伏勧告の返答として発言した「Nuts!」が挙げられる。
・・・なのだが、高雄には特に関係がない、のだ。
大和繋がりで台詞を譲ってもらったのかと言うとそういう訳でもないようで、史実では戦艦大和と一緒に戦った事は一応あるが、それは別に高雄に限った話ではない。
ダイレクトに宇宙戦艦ヤマトに関わりを求めてももっと関係が薄く、オリジナル版アニメではそもそもヤマト以外に艦名が出てこないため、当然高雄の名も無い。
後のリメイク版「宇宙戦艦ヤマト2199」ではヤマト以外の艦にも名前が出てきたが、「バカめ」の舞台である冥王星沖海戦「メ号作戦」にて沖田が乗った艦は「キリシマ」である。随行艦も「クラマ」や「ユキカゼ」であり、やはり「タカオ」と言う名前の艦は出てきていない(なぜか「アタゴ」はいる)。
さらにもっと元を辿っても、バストーニュはヨーロッパの土地。これでは更に関係が無い。
先述の通り、2199で旗艦を任され沖田が乗って「バカめ」を発した霧島さんがこれを言うなら分かるのだが・・・。
いったいなんだって高雄のセリフに「バカめ」が出てきたのかは、運営鎮守府あたりが理由を言ってくれるまで待つしかないようである。
その後、2013年12月末、ねとらぼの記事に以下の記述が掲載された(実際の記事は外部リンクからどうぞ)。
艦橋の中に煙突があるわけで、夏の南方海域における艦橋の暑さは“気が狂いそう”になるほどで、そういう厳しい状況での演習中に、当時高雄が所属していた第4戦隊旗艦「鳥海」に乗っていた参謀長が自ら隊内無線電話を手に「高雄の艦長バカ、高雄の艦長バカ」と発信するやり取りがあったことを、当時鳥海艦橋 でこの場面を目撃していた近藤太氏が手記(「海軍特務士官の記録 4等水兵から大尉までの17年間」)で紹介している。艦これの高雄が「(今度は私が)バカめ、と言って差し上げますわ!」というのは、このエピソードがベースになっている可能性が高い。
なお、情報を総合すると、これは1933年8月、横浜沖で行われた大演習観艦式でのエピソードで、馬鹿と言った参謀長とは、「長門」の艦長も務め、当時第二艦隊参謀長だった中村亀三郎少将、馬鹿と言われてしまったのは「高雄」二代目艦長の沢本頼雄大佐と思われる。
ちなみに、この大演習観艦式の映像はyoutubeで見ることが可能。
一部の掲示板等で「高雄」のことがなぜか「高笠雄」と表記される事象がある。
これは、「w」が「ww」と増殖する、というお遊びの仕組みを入れている掲示板で発生する。
原理は以下の通り。
掲示板等で使われている文字コードShift-JISでは、文字コードは16進数4桁であらわされる。
上記のお遊びは、「w」の文字コード 8297が来ると、自動的にこれを2倍、つまり8297 8297にする、という単純な仕組みになっているのだが、文字の切れ目をちゃんと判定していないため、前の文字の後半2桁+後の文字の前半2桁が8297になっている場合でも、何も考えずに8297を間に入れてしまう。
このため「高雄」=8D82 9759 の2文字の間の8297に反応して、強引に8297を入れ込んだ結果、
文字コードでは8D82 9782 9759 となってしまう。この間に入り込んだ9782は文字に直すと「笠」であり、結果、
「高笠雄」という妙な表記になってしまったのである。
1930年、昭和2年度海軍補充計画において建造された4隻の1万トン級巡洋艦の一番艦として、昭和5年5月12日午後3時55分に横須賀工廠第二船台から進水。一等巡洋艦だった高雄の進水式は盛大に執り行われ、演奏された軍艦行進曲とともに拝観者や工員が「万歳」と唱和した。周囲に停泊中だった艦艇も一斉にサイレンを鳴らし、高雄の進水を祝った。余談だが、高雄を建造した船台は、あの戦艦陸奥も建造した由緒正しい船台だったという。
進水式当日は15万人の拝観者が押し寄せると予想され、横須賀線の電車は増発された。治安維持のため警官や憲兵も大勢動員され、進水式は大混雑となった。さらには進水式の様子はラジオで全国放送され、高雄は祝福の中で誕生したのだった。
計画、起工後のロンドン海軍軍縮条約により帝国海軍最後の重巡(一等巡洋艦)となった高雄型重巡洋艦のネームシップである。ちなみに竣工は二番艦<愛宕>が先行したため、愛宕型の二番艦とみなされる場合もある。
(全然関係ないが、某パンツじゃないアニメのドラマCDの話が一本そのネタで盛り上がっている。みっちゃんェ……)
その特徴的な艦橋は、条約型重巡として先に建造した妙高型の艦橋がスリムすぎて水雷戦隊司令部として使い辛い点を修正した為である。その広さ、妙高型の床面積3倍。なんということでしょう。艦橋には司令部要員の他に、指揮に必要な通信施設が組み込まれている。さらに艦橋を排煙路の上に馬乗りさせたのも巨大化の原因。
用兵側からの要望を汲み取った結果だったのだが、図面を引いてみて「こんな艦橋で大丈夫か?」と言う事になり実物大のセットを組んで検証実験まで行われた。結果は「大丈夫だ、問題ない」、と言う事でそのまま建造された。
今に至るまで散々「デカい」と言われ続けているが、海外の艦艇でも通信設備やレーダーの搭載でだんだん大型化している点、イージス艦の艦橋もレーダーとCICを納める為に大型化している点に留意してほしい。大量のモノや大きいモノを納める容器は必然的に大きくなってしまうのだ(ただし、やっぱり「デカい」と思われているのは確からしく、こんごう型護衛艦を作った時に諸外国に「艦橋でけぇ、高雄型だ!」って言われたりしている)。
只、日本海軍でもさすがに「でかすぎた」と思ったのか、最上型では艦橋がスリムになってしまった。一番いいのを頼む
主砲は20.3cm50口径を連装5基10門、艦首側には妙高型以来の三番砲塔を後ろ向きにしたピラミッド状3基、艦尾側には通常の背負式配置で2基を配置。その他魚雷発射管、機銃等を多数設置した。
太平洋戦争開戦の数年前には第四艦隊事件(台風でRJさんがフルフラットなのに艦橋攫われかけた事件)の影響でせっかくのイージス艦みたいなドデカイ艦橋をスリムアップするはめに。これでバランスが良くなって平賀さんもご満悦。
準主力艦に位置づけられていたこともあって開戦後は妹達とタッグを組んで南洋・インドネシア方面を中心に疾駆。第二艦隊第四戦隊所属となった高雄は南方戦線に派遣され、1941年12月8日、陸軍のマレー作戦を支援した。年が変わって1942年1月にはオーストラリアのポートダーウィン攻撃に参加。5月に発生したドゥーリットル空襲の際は、敵機動部隊の捜索をしたが逃げられている。6月には北方方面に進出し、アリューシャン攻略作戦に参加。8月になると今度はソロモン方面へ進出。8月24日の第二次ソロモン海戦、10月26日の南太平洋海戦、11月の第三次ソロモン海戦と矢継ぎ早に各地を転戦していく。
1943年8月には対空兵装の強化を受け、電探が新たに搭載された。
1944年6月、マリアナ沖海戦では味方機を迎撃するなんてことをやらかしてもいる[1]
同年10月、レイテ沖海戦で妹3人を揃って失い、自身も大破。米潜水艦「ダーター」からの攻撃で缶室にダメージを食らい2/3が使用不能で蒸気用の真水タンクも損傷し蒸気が発生出来無くなるが、洋上に22時間漂いながらタンクを修理、海水を蒸留して真水を作るという涙ぐましい努力によって無事再起動。3ノットの速力でシンガポールへ退避した。
もはやまともに修理する余力もなくシンガポール防衛に残され「損傷した艦尾を切断」という荒療治で港内に投錨する。
ちなみにこの時は妙高型4隻と熊野が一緒に退避してきたが、熊野は中破した体を引き摺って日本に帰還する途中に憤死、中破した妙高以外の羽黒、那智、足柄はそれぞれ輸送任務中に戦没した。
終戦直前には「イギリスの潜水艇により時限機雷を設置されたが設置4つ中3つが不発」という微妙過ぎる攻撃を受けたりしたもののいちおうは生き残り、戦後イギリスに引き渡され、現地で一年ほど通信や修理のための母艦として使用された後、海没処分された。まぁ長門や酒匂よりはましな最期と思うしか・・・。
上総フジの宮氏(高雄(艦これ)が好きすぎる人)の高雄さん
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最終更新:2024/11/08(金) 15:00
最終更新:2024/11/08(金) 14:00
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