藤川俊介(ふじかわ しゅんすけ、1987年8月17日-)とは、福岡県出身のプロ野球選手(外野手)である。現在は阪神タイガース(背番号68)に所属。
2010年まではチームに同姓の藤川球児がいたため、スコアボードには「藤川俊」と表示されていた。
2011年からは登録名を「俊介」としている。
| 阪神タイガース #68 | |
|---|---|
| 俊介 (藤川俊介) |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 福岡県 |
| 生年月日 | 1987年8月17日 |
| 身長 体重 |
177cm 70kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 2009年ドラフト5位 |
| 経歴 | |
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| プロ野球選手テンプレート | |
小学校1年生で軟式野球を始め、中学で硬式野球を始める。広陵高校では1年生の夏から一塁手のレギュラーとして活躍。広島大会では4番も努めた。2年生の春では中堅手兼投手として出場したが1回戦で敗退。高校通算25本塁打。
その後、近畿大学に進学し1年生でレギュラーになり、計5回のベストナインを獲得。3年春にはMVPも受賞した。
2009年のドラフトで3位以上の指名を受けなければ、社会人野球の東邦ガスに入社するという内定を得て、阪神タイガースに第5位指名を受けたが、幼い頃からの夢であったプロ入りに傾き、大学・阪神球団も交えた話し合いの結果、12月9日に東邦ガスからプロ入りの正式な許可を得て阪神への入団が決定。同期入団の選手たちより遅れて14日に単独で入団会見を行った。
藤原正典、二神一人らと共に一軍春季キャンプに抜擢される。藤原がキャンプ終盤に、二神もオープン戦期間中に怪我で脱落する中、藤川は「実戦向き」と評価されたこともあって新人として唯一開幕一軍メンバーに残った。
3月26日の開幕戦にライトの守備につき初出場を果たす。5月2日の対読売ジャイアンツ戦でプロ初安打となる三塁打、自身の23歳の誕生日となった8月17日の対横浜ベイスターズ戦でプロ初本塁打を放った。シーズン中盤以降はスターティングメンバーでの起用も多くなり、最後まで出場選手登録を外れることなく、124試合に出場し、打率も.255をマークした。
2011年から登録名を「俊介」に変更、8番・センターで開幕スタメン入りを果たした。4月15日の中日ドラゴンズ戦で、代打・金本知憲が打席に入った際に盗塁を失敗してチェンジとなり、金本が打席を完了しないままベンチに下がったため連続試合出場記録が途切れることに。一部では「介護疲れによる犯行」などと揶揄された。5月まではレギュラーで起用されそこそこ打っていたが5月終わり頃に調子を落として、6月には初の二軍落ち。その後は柴田講平や平野恵一がセンターで起用されるようになり、結局代走・守備要員に留まった。この年は108試合の出場で打率.242。
2012年は大和の外野挑戦もあって、ほぼシーズンを通して代走・守備要員としての起用に終わった。この年は82試合で打率.185。オフに西岡剛の入団で背番号7を奪われ、背番号40に変更になると思われたが、本人の希望で68になった。
2013年も8月までは専ら代走・守備要員として起用される。しかし8月下旬に大和が戦線離脱したため、それ以降は閉幕まで主に2番・センターとしてスタメン起用された。119試合に出場、200打席ほどながら打率.292をマークした。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| 阪神 | 応援歌のピコカキコ一覧#859 | 11469 |
(2015年終了時点)
| 通算:6年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 632 | 923 | 812 | 126 | 201 | 3 | 40 | 24 | 60 | 1 | 47 | 3 | 125 | 12 | .248 | .291 |
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最終更新:2025/12/13(土) 00:00
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