青木宣親(あおき のりちか、1982年1月5日-)とは、日本の宮崎県出身のメジャーリーガー(外野手)である。
NPB史上初の2度の200本安打、史上2人目の200本安打、歴代3位のシーズン安打記録を持つ。
| ヒューストン・アストロズ #3 | |
|---|---|
| 青木宣親 Norichika Aoki |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮崎県日向市 |
| 生年月日 | 1982年1月5日 |
| 身長 体重 |
175cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投左打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 2003年ドラフト4位 |
| 経歴 | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2008年 |
| WBC | 2006年、2009年、2017年 |
| メジャーリーガーテンプレート | |
早稲田大学からドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。背番号は23。
青木と早稲田大学で同学年の選手から4人がプロ入りした(他は鳥谷敬・比嘉寿光・由田慎太郎)。
1年先輩に和田毅、1年後輩に田中浩康、2年後輩に武内晋一がいる(青木4年時は1番~6番打者が全員プロ入り)。
平成14年春から平成15年秋の4期に早大史上初の4連覇、平成15年秋には早大史上初の10戦全勝完全優勝を達成。
しかし、プロ入り後は野村ヤクルト黄金期後の若松ヤクルト唯一の優勝時にも間に合わずシーズン優勝経験がない。
ルーキーイヤーにフレッシュオールスター(二軍&若手のオールスター)でMVPを獲得しスターへの登竜門を登った。
2005年(2年目)に稲葉篤紀が移籍した穴を埋めるためセンターに抜擢されブレイク、イチロー以来となるシーズン200本安打を達成。最終的に202安打を放ち、打率.344で首位打者・最多安打・新人王に輝いた。
2006年WBC日本代表に選手され、主に控えながら6試合に出場し打率.200打点1を記録。チームは優勝し世界一を経験。
そのシーズンでは2年連続首位打者は逃したものの41盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。
2007年シーズンは打率.346で首位打者、2008年シーズンは打率.347ながら首位打者は内川聖一(打率.378)に奪われた。
2009年は第2回WBCに選出され(2回連続出場)12安打を放ち大会最多安打をマークし日本の連覇に貢献し世界ベストナインに選ばれる活躍を魅せる。
しかしレギュラーシーズンでは極度の打撃不振に陥った。しかし最終的には打率を3割台にのせ、さらに出塁率.400で最高出塁率のタイトルを獲得した。
2010年は背番号を1番に変更。交流戦半ばから1番に固定。一時期打率3割を切っていたがしっかり立て直し、打率.358で3回目の首位打者のタイトルを獲得した。またプロ野球史上初の2度目のシーズン200本安打を達成した。
2011年シーズンは統一球の影響もあってか、7年ぶりに打率が3割を切ってしまった。11月10日にポスティングシステムでのMLB挑戦を表明し、ミルウォーキー・ブルワーズが交渉権を獲得。球団のテストを経て1月17日に2年契約を結び、背番号は7に決定。
2012年、4月6日のセントルイス・カージナルス戦に代打での出場でメジャーデビュー。しばらくは途中出場が続いたが5月下旬からライトのレギュラーに定着し、主に1番や2番を任されるようになる。6月にはサヨナラホームランを放つなど前半戦は.301、5本塁打、11盗塁の好成績で折り返す。10月2日のサンディエゴ・パドレス戦で日本人ルーキーではイチロー以来となる30盗塁に到達し、最終的に打率.288、10本塁打、50打点、出塁率.355の活躍でシーズンを終えた。
2013年、開幕戦で日本人史上4人目となる開幕戦でのホームランを記録。メジャー2年目もレギュラーとして活躍し、6月5日のオークランド・アスレチックス戦で日米通算1500本安打、7月28日のコロラド・ロッキーズ戦で日米通算100本塁打を達成。最終成績は155試合の出場で打率.286、171安打、8本塁打、37打点、出塁率.356。12月にウィル・スミスとのトレードでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。背番号はヤクルト時代に付けていた23とし、登録名を「Nori Aoki」とすることになった。
2014年はアメリカン・リーグに移った影響か打撃がイマイチで、6月に軽度の肉離れで故障者リスト入りした。9月に入ってからは復調し、ロイヤルズ29年ぶりのワイルドカード進出に貢献。その後ポストシーズンでも活躍し、リーグ優勝に貢献。しかしワールドシリーズでは14打席1安打と精彩を欠いた。シーズン終了後にFAとなった。
2015年1月にサンフランシスコ・ジャイアンツと1年契約を結んだ。背番号23。
開幕から打率3割をマークし、8月7日のシカゴ・カブス戦で日米通算1500試合を達成。しかしこの年は異常に死球が多く、6月20日のロサンゼルス・ドジャース戦で右足を死球骨折。8月9日のカブス戦で頭部死球を受け、脳振とうを起こしてDL(故障者リスト)入り。その後復帰したが本来の打撃は鳴りを潜め打率が3割を切ってしまう。9月5日以降は脳振とうの後遺症が再発し、以降は欠場した。怪我が懸念されたのか契約オプションが行使されずFAとなった。
12月2日にシアトル・マリナーズと1年契約を結んだ。背番号は8。
2016年は開幕から打撃不振に陥り、6月24日に故障以外では初めてマイナー落ちを喫した。7月下旬に復帰し、好調を維持したが、左投手が集中する時期に2度目のマイナー落ち。メジャーで初めて規定打席に到達できず、打率.283に終わった。オフにウェーバーを経てヒューストン・アストロズに移籍した。背番号は3。
2017年、WBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表にMLB日本人選手として唯一選出される。背番号7。
6月11日の対ロサンゼルス・エンジェルス戦で日米通算2000本安打を達成。6月30日の対ニューヨーク・ヤンキース戦で、プロでは日米通じて初めて投手として登板、1イニングを打者6人・1安打2四球3失点だった。MLBで日本人野手が投手として出場したのはイチロー以来2人目。
「宣親(Norichika)」という名前が英語圏の人間には発音しづらいのか、アメリカでは「ノリ・アオキ(Nori Aoki)」と呼ばれる。2014年の1年間のみ登録名としていた。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ヤクルト | 青木宣親#20 | 6026 | |
| ヤクルト(チャンス時) | 青木宣親#22 | 6212 |
(2016年終了時点)
| 年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2016年 | SEA | 118 | 467 | 417 | 63 | 118 | 24 | 4 | 4 | 28 | 7 | 5 | 1 | 34 | 6 | 45 | 9 | .283 | .349 |
| NPB:8年 | 985 | 4431 | 3900 | 664 | 1284 | 192 | 22 | 84 | 385 | 164 | 28 | 15 | 417 | 71 | 491 | 47 | .329 | .402 | |
| MLB:5年 | 649 | 2670 | 2380 | 329 | 681 | 115 | 20 | 28 | 184 | 88 | 29 | 10 | 205 | 45 | 214 | 37 | .286 | .353 | |
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最終更新:2025/12/21(日) 22:00
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