高井保弘 単語


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高井保弘とは、元プロ野球選手である。1945年2月1日生まれ。代打という一振りに懸けた選手で「世界の代打男」と呼ばれた。通算代打本塁打世界記録保持者である。他にも、通算代打起用回数、通算代打安打、通算代打打点のパ・リーグ記録など、代打記録を数々保持している。愛称はブーちゃん。

概要

今治西高校、名古屋日産モーターを経て1964年、阪急ブレーブスに入団。阪急を選んだ理由は、当時、阪急は弱小チームで楽に一軍の打席に立てるだろうと思ったかららしい。

しかし、1962年から名将・西本幸雄が監督に就任しており大きくチームを改革していた。長池徳士や矢野清といった若手が活躍し始め、変化球に対応できなかった高井は入団から2年間は全く活躍できなかった。

1966年、一軍に初昇格。そこで転機を迎える。当時、活躍していたダリル・スペンサーが一打席が終わるたびにメモを取っており、不思議に思った高井はスペンサーに何故、メモを取っているのか質問した。スペンサーは投手の癖をメモしていると答え、「これだ!」と思い高井も真似て、一軍に在籍している選手の癖を見抜きそれを書き留めた。生涯メモしたノートは数100冊にも及んだという。

1967年、努力がついに実りプロ初本塁打を記録する。その本塁打は代打であった。

1974年、通算代打本塁打日本記録を更新する。そして7月21日、高井が生涯で一番輝いた日である。当時、南海ホークス・野村克也選手兼任監督の推薦でオールスターに選ばれた。代打選手がオールスターに選ばれたのは、「元祖代打専門選手」と称された麻生実男以来2人目である。オールスター第1戦、1-2、セ・リーグが1点リード、9回の裏、パ・リーグの攻撃、1アウトランナー1塁。野村監督は「代打、高井」と審判に告げた。アナウンサーは「代打男・高井」と言ったが当時、パ・リーグは全く人気がなく、テレビ、ラジオの視聴者は「誰?」と思っていたらしい。マウンドに立っているのはヤクルトのエース・松岡弘。高井はセ・リーグの投手の癖もメモを取っていた。2球目の低めの速い球を掬い上げ、史上初のオールスター代打サヨナラ逆転ホームランを打った。代打男の真骨頂ともいえる劇的なパフォーマンスであった。なお高井のオールスター出場はこの年のみである。

1965年、通算代打本塁打世界記録を更新する。

1982年、代打本塁打27本という偉大な記録を残し引退。

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関連項目

  • 代打
  • 阪急ブレーブス
  • 福本豊

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