DQNの川流れとは、大自然を甘く見たDQNが水難事故に遭う事である。
ことわざの「河童の川流れ」のもじりである為「川」流れとなっているが川に限定せず海やダム等も含む。
毎年、行楽シーズンになると無知・無謀が招いた水の事故もまた尽きない。そんな中でも、この言葉が誕生するきっかけになった事故が1999年の「玄倉川水難事故」である。詳細はWikipediaの同事故の項も参照していただきたい。
玄倉川(くろくらがわ)は神奈川県山北町の丹沢湖(三保ダム)の更に奥地にある渓流。首都圏からも近い自然の宝庫・丹沢山地の中を流れている。しかし他の渓流の例に漏れず、多くの沢からの水が集まる場所であり、ひとたび大雨が降ればその流れは凶暴化する。(三保ダムはそうした洪水調整の役割も兼ねる多目的ダムである)
ここに1999年8月13日、神奈川のスクラップ処理会社「富士繁」のトラックドライバーとその家族・恋人ら25人が、キャンプをするため玄倉川の中州(もちろん現場はキャンプ場ではない)にテントを張ったことから惨事は始まる。
当時、熱帯低気圧が関東へと接近中であり、翌日までには豪雨・洪水が発生する恐れがあった。が、当人たちがそれを知っていたのかは定かではない。
13日午後には大雨洪水警報が発令され、地元のダム職員や警察官は川辺から退避するように何度も警告したが、一行はそれを全く相手にしなかった。他にも同地でキャンプをしていた人々は全員退避に従い、一行のうち4人は元々日帰りだったため帰宅、3人は退避に従ったが、最終的に18人だけが大雨の降る中洲のテントに残り続けた。
翌8月14日朝になっても雨は勢いを止めず、川の水位は増し、退避していた3人は消防の助けを呼ぶ事に。
午前8時半ごろまでにはようやくテントの一行も起床し、周辺の様子が一変している事に気付いた。時既に遅し、中州は完全に水没、大人の膝以上の高さにまで水位は上がっていた。テントもあっさりと流されてしまう。
消防・警察・報道などが駆けつけた現場にいたのは、濁流のど真ん中に固まって身動きの取れない18人(うち子供6人)の姿だった。救助を試みるも悪天候と増水に阻まれ苦戦を強いられる(悪天候の谷間という状況の為ヘリも出せない)。そうした隊員たちに対して一行は「早く助けろ!」と罵声を浴びせたとされる。
午前11時半ごろ(増水は続いてこの頃にはもう胸まで水に浸かっている状態だった)、遂に水流に耐えきれず、18人は全員一斉に濁流へと投げ出されていった。その衝撃的な光景はテレビカメラにしっかりと記録され、全国へと中継された。
5人(うち子供2人)は運よく岸へと辿り着いて生還した。が、残る13人は全員水死した。
数ある水難事故の中でもこの件が何かと話題になるのは、犠牲者の人数の多さ以外にも様々な点があるだろう。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/13(土) 13:00
最終更新:2025/12/13(土) 13:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。