IV号戦車とは、ドイツが第二次世界大戦時に使用した中戦車で、大戦全期にわたってワークホースとしてドイツ機甲師団の中核を担った縁の下の力持ちである。
概要
ドイツ再軍備に伴い計画された戦車開発の中で、対戦車戦闘のIII号戦車に随伴し歩兵火力支援を行う車両としてIV号戦車が開発されることになった。そのため開発秘匿名称もベグライトヴァーゲン(B.W.)として呼ばれることになる。III号戦車のときと同じく複数社の競作が行われ、クルップ社のB.W.I.が選ばれることになる。
車体のコンセプトはIII号戦車以上に大きいターレットリングをもち、後の発展改良に耐えうる形をもつほか、バスケット型の砲塔などを備えていた。ただしその他の部分では保守的な装備で、サスペンションはIII号戦車のトーションバー方式ではなくリーフサスペンション(板バネ)方式を選択した。歩兵支援ということもありそれほど過大な砲を積むことはないという考えもあったかもしれない。
1937年10月より生産がスタートしたIV号戦車(A型)だったが、もともと歩兵火力支援ということもあり、火力(7.5cm/L24)も装甲(20mm)も貧弱なものだった。これは当時の諸外国における歩兵支援戦車、ルノーR35やMk2マチルダIIに比べると火力は同等でも装甲という面では見劣りしていた。とはいえ装甲が軽いことは機動力に優れているということでもあった。以後、F1型(F型前期)までじりじりと装甲は厚くなるものの、短砲身7.5cmは相変わらずのままだった。
とはいうもののフランス戦で予見できた対戦車火力の貧弱さはバルバロッサ作戦以降の独ソ戦で完全に露見。ソ連軍戦車T-34にたいしてIII号戦車、IV号戦車共に火力で対抗できず、8.8cm Flakの水平発射でなければ撃破できないという状況に陥り方針転換、F2型で7.5cm/L43という長砲身7.5cmに換装(直後G型よりL48に変更)。合わせて装甲も車体前面50mmに増加され、ここにIII号戦車に代わって対戦車用戦車としてドイツ軍戦車部隊の主力となり、以後J型にいたるまで細かいアップデートを繰り返していくことになる。V号戦車が開発されたあとも生産は続き、実質ドイツ軍戦車部隊の中核として最初から最後まで戦うことなり、ワークホースと呼ばれる所以となった。
またその車体を生かしてさまざまなバリエーションの車両が現れた。代表的なものとしてはIV号突撃砲、IV号突撃戦車<ブルムベア>、IV号駆逐戦車、ナースホルン、フンメルといった自走砲、メーベルワーゲン、ヴィルベルヴィントといった自走対空戦闘車両などなどである。
このように様々な活躍をしているが、同時期に活躍したⅢ号戦車や大戦後期に劣勢になったドイツ軍を支えたパンター(Ⅴ号戦車)やティーガー(Ⅵ号戦車)といった戦車のせいで一般ではあまり知られていない可愛そうな戦車である。
バリエーション
- Panzerkampfwagen IV Ausf.A(IV号戦車A型)
- 先行量産型。Sd.Kfz.161の特殊車両番号が与えられた。
- 以降の型とは細かな点で差異があるものの、基本的なデザインは既にこのA型でまとまっていた。
- 武装は75mm戦車砲37型(7.5cm KwK 37)1門(携行弾数122発)、7.92mm MG34機銃を砲塔同軸に1挺と車体前面右側に1挺の合計2挺(携行弾数3000発)、装甲は最大20mm、最高速度は35km/hである。
- 主砲の75mm砲は短砲身ゆえに初速度が低く先述の通り対戦車戦闘には力不足であることは確かであるが、主力戦車と位置付けられていたIII号戦車が当時装備していた主砲の37mm砲と比べたら純粋なエネルギー量では勝っており、むしろ強力なものであったといえる。事実、この砲はIII号戦車の主砲では撃破し得ない対象を攻撃することも念頭に入れられていた。
- 無論、本来の任務である歩兵支援のための榴弾の威力も抜群で、兵士やトラックといった軟目標に対し圧倒的な力を発揮した。当時のヨーロッパ各国の軍隊は歩兵や軽車両を中心とした構成であったため、電撃戦においては比較的少数の配備数ながらその特長を存分に生かすことができた。
- そして何より、75mmというのが当時としては破格の巨砲であったことが本車の大きなポイントである。後に登場するアメリカのM3リー/グラント中戦車やフランスのルノーB1ですら限定旋回式で75mm砲を装備している中で、これを短砲身ながら全周旋回式で乗せたドイツの技術力は世界を驚かせるには十分なものであった。
- 1937年10月から1938年3月にかけて35両が生産された。本車の実戦参加はできるだけ短くする予定ではあったが、実際は戦車不足によって独ソ戦の初期まで前線に赴いた。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.B(IV号戦車B型)
- A型の改良型。
- 外見上の特徴としては、車体前面の操縦席部分の出っ張りをなくし30mmに増圧した1枚板への変更、車体機銃の廃止、視察口の形状変更などが挙げられる。これにより車内容積が減ったため、装弾数は75mm戦車砲弾80発、7.92mm機銃弾2400発となった。また、エンジンが強化され最高速度が40km/hに上がった。
- 1938年4月から同年9月にかけて42両が生産された。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.C(IV号戦車C型)
- B型の改良型だが、点火装置の性能を上げたエンジンへの変更やボルト止めタイプの増加装甲に対応するようになったことを除けばほぼ同様のものである。
- 1938年9月から1939年8月にかけて134両が生産された。本来なら140両生産される予定だったが、このうち6両は架橋戦車として作られることになったのでこのような数字となった。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.D(IV号戦車D型)
- 本格的な生産型だが、操縦席の出っ張りや車体機銃の存在からその外見はA型に近いものとなっている。7.92mm機銃弾数は2700発に増えた。
- 各部の装甲も増圧され最大35mmとなった。さらに1940年6月よりボルト止めタイプの増加装甲や工具箱が取り付けられるようになった。また、アフリカ向けに冷却用ルーバーなどを追加した熱帯型も生産を開始した。
- 1939年10月から1941年5月にかけておよそ230両が生産された。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.E(IV号戦車E型)
- D型の改良型だが、車体前面の装甲を50mmに増圧し他の部分へも増加装甲板を取り付けた以外は細部の変更のみでそれほど変化はない。
- 足回りにも改良を加えたため、装甲強化による重量増加にもかかわらず速度は42km/hに向上した。
- 1940年9月から1941年4月にかけて223両が生産された。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.F1(IV号戦車F1型)
- E型の改良型で、はじめから防御力に優れた1枚板方式の装甲板で構成された車体を持つ。これに伴い、車体前面はB/C型と同様の出っ張りのないものとなったが車体機銃は残っている。7.92mm機銃弾数は3150発に増えた。
- 本車はもともと支援戦車の直系であるF型として生産が開始されたが、生産途中に起こったいわゆる「T-34ショック」により主砲の長砲身化が行われた。これが後述するF2型であり、そちらが生産されてからは区別のためにF1型と称されるようになった。
- 1941年4月から1942年3月にかけておよそ470両が生産された。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.F2(IV号戦車F2型)
- 早急な対戦車戦力の増強のため、従来の24口径75mm戦車砲37型に代わりこれを長砲身化した43口径75mm戦車砲40型(7.5cm KwK 40 L/43)を搭載したもの。Sd.Kfz.161/1の特殊車両番号が与えられた。
- 長砲身化したことにより弾速が上がり貫徹力が大幅に上昇、これまで対処に苦慮したT-34やKV戦車を撃破し得る火力を手に入れた。また北アフリカ戦線においては8.8cm FlaKに次ぐ高火力かつ機動力のある兵器として、イギリス軍の各戦車はもちろんM4シャーマンとも互角かそれ以上に渡り合うことができた。イギリス軍は本車を「Mk.IVスペシャル」と呼んでひどく恐れ、味方からは「IV号スペツィアル」と呼ばれ大いに歓迎された。
- 長砲身化によって弾薬長が伸びたにもかかわらず、車体各部の改良によって装弾数は87発に増えている。ただし重量の増加により最高速度は40km/hとなった。
- 榴弾を使用した軟目標の攻撃も従来通り行えるが、生産の名目がそうであるように本車は専ら対戦車戦闘を行うようになった。よって以降の歩兵支援は、余剰となった本シリーズの短砲身砲塔を搭載したIII号戦車N型が受け持つようになった。
- 1942年3月から同年7月にかけて175両が生産され、さらに25両がF1型から改造された。なおF2型の呼称は生産途中の5月まで使用されたものであり、以降はG型に改称した(便宜的に「G初期型」と呼ぶこともある)。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.G(IV号戦車G型)
- F2型に続いて生産されたものだが、当初から75mm戦車砲40型を搭載することを前提としたもの。
- 生産当初はF2型と全く同じ仕様であったが、途中から制退機の改修や30mmの増加装甲を溶接(後にボルト止めに変更)する改良などが行われた。また、1943年1月からは視察口の強化、同年3月にはキューポラの改良と増加装甲「シュルツェン」の装備も施された。
- そしてこれらと同じタイミングで主砲が43口径から48口径に改められた75mm戦車砲40型(7.5cm KwK 40 L/48)となった。5口径分(=375mm)は一見わずかばかりにしか見えないが、これにより威力が1割増しとなったので決して侮れるものではない。砲は先端のマズルブレーキで見分けられ、43口径型が全体的に丸みを帯びたもの、48口径型が7.5cm PaK 40とほぼ同様のやや角ばっているを持つ横長のものとなっている。使用砲弾は従来通りであるため装弾数の変化はなかった。
- 1942年5月から1943年6月にかけておよそ1800両が生産された。このうち増加装甲を取り付けたものは800両前後である。この数字の大きさから、本車がIII号戦車に代わる主力戦車として生産されるようになったことがよく分かる。
- なお本車生産中の1942年8月よりヒトラーの命令で、修理のため前線から引き上げてきた従来型のIV号戦車に対しG型と同じ仕様にして再び前線へ復帰させる措置が取られた。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.H(IV号戦車H型)
- G型の改良型で、事実上の最終発展型である。Sd.Kfz.161/2の特殊車両番号が与えられた。
- この時期にはより強力なティーガーやパンターの生産が始まったものの、戦線の拡大に生産が追い付かず依然として主力戦車の座についた。
- 車体前面の装甲が80mmに増圧され、それ以外の部分はG型が生産途中に取り入れてきた改良を一貫して行った。さらにヤーボ対策として砲塔上面の装甲を最大25mmまで増圧しキューポラに対空機銃架を設けた。
- さらに重量が増加し最高速度は38km/hとなったが、新型変速機の導入で安定した走行性能を発揮した。
- 1943年4月から1944年7月にかけておよそ3000両が生産された。
- Panzerkampfwagen IV Ausf.J(IV号戦車J型)
- 生産を容易にするため各所の簡略化に主眼を置いたもの。
- 最大の変更点は航続距離を伸ばすために砲塔旋回用のモーターを廃し燃料搭載量を増やしたことであり、それまで210kmだったのが320kmと約1.5倍に伸びた。砲塔については電気式から手動式になったことで速度が遅くなり不評であったとされる一方で、ハンドル旋回では装填手も砲手の補助に当たることができる上に傾斜地における動作では電気式よりも有利であったという利点もあった。
- また、シュルツェンが「トーマ・シールド」と呼ばれる金網のものとなった。これは銃砲に対しては無力であったが、バズーカなどの成形炸薬弾に対して威力を発揮した。
- 1944年6月から1945年3月にかけておよそ2400両が生産された。
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タミヤから発売されているD型のキットで、シリーズ番号は96。
支援戦車時代を象徴するD型をタミヤならではの作りやすさで気軽に再現できる。大戦初期に見られたベレー帽をかぶり戦車から身を乗り出す戦車兵3体の人形が付属し、これに合わせて75mm短砲身砲は装填部や空薬莢受けも再現されたタイプとなっている。さらにフランス戦後に増加装甲を追加したタイプや、北アフリカ向けの熱帯型を作ることも可能。キット自体は発売当初から変化はないので、少し手を加えればさらに完成度はアップする。
定価は2625円。生産する機会は多いので入手は容易である。
![ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。]()
サイバーホビーから発売されているA型のキット。品番は6747で、スマートキットに属する。
多くの新金型を取り入れたパーツの精度は高く、履帯も加工がいらない「マジックトラック」を採用。主砲はライフリングがすでに切ってあり、同軸機銃も開口加工済み。砲塔内部も多くの部品で構成され完成後も見ごたえは十分ある。しかし部品総数は1142ととてつもなく多い(タミヤ製D型は148)ので気長さが必要となる。しかしポーランド戦におけるIV号戦車は本車がその象徴と言えるので、そういった情景を作るならぜひ挑戦していただきたい。
定価は5250円。
![ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。]()
関連コミュニティ
![ニコニコミュニティは2024年8月に終了しました。]()
関連項目
- 軽戦車:I号戦車 / II号戦車 / 35(t)戦車 / 38(t)戦車
- 中戦車:III号戦車 / パンター
- 重戦車:ティーガー
- 軍事
- AFV / 戦車 / 中戦車 / 軍用車両の一覧
- ドイツ / ドイツ軍 / ナチス・ドイツ
- ガールズ&パンツァー:主人公が所属する「あんこうチーム」の車両としてD型が登場。なお、秋葉原のラジオ会館跡地のフェンスに1/1スケールの広告でその姿を見せたのもこれである。