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カブトヤマ
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カブトヤマとは、1930年生まれの競走馬種牡馬である。

第2回日本ダービー優勝し、日本競馬においてダービーを生み出した初のダービーである。
2003年を最後に止されるまで、福島開催の名物レース「カブトヤマ記念」に名を残した。

な勝ち
1933年:東京優駿大競走
1934年:帝室御賞典(福島)目黒記念(秋)

概要

シアンモアアストラルチャペルブラムプトンという血統。

父親シアンモアは本の他ダービー2頭、帝室御賞典優勝多数を送り出した戦前日本競馬を代表する大種牡馬祖母小岩井農場の輸入基礎ビューチフルドリーマーを持ち競走馬としても活躍した。ブルーメアサイアーとして傑出した成績を残している。当時の日本基準では超絶良血
ただ、本が産まれた時にはシアンモアアストラルも繁殖生活に入りたてであった。
自分の下にはダービーガヴアナーや帝室御賞典優勝ロツキーモアーなどがいる。

そのカブトヤマはが繋養されていた小岩井農場にて誕生。当時三菱財閥、いや日本が誇る一大農場にて誕生し、2歳時のセリでは玉の一頭として20,150円(現代では約4,500万)で落札。落札したのは当時目黒競馬場付近で厩舎を開業していた大久保、そして実際にを出したオーナー伊勢丹社長前川である。この二人が知り合った切っ掛けは、を受け取りに北海道へ行っていた大久保が、目黒屋で度々顔を合わせていた少年と青連絡の待合室で出会った事に始まる。

旅行中であるその少年父親大久保を引き合わせたが、その父親伊勢丹社長だった前川である。
大久保案内もかねて前川と同行して旅行に付き合い、帰路にを買う事を決めた前川に対し、大久保がしめたと言わんばかりに小岩井農場のセリに連れ立ったのである。

落札後カブトヤマと名付けられた本調教師である大久保騎手としてレースに出る。
当時はまだ調教師騎手の兼業が許されていたのである。
1933年3月に行われた新呼(新馬戦)にて勝利し、続く優勝(オープン)を3着、当時4月目黒競馬場で行われていた東京優駿大競走に出走する事が決まったが、ここでアクシデント発生。

実はレース直前に大久保が体調を崩し、騎手交代を要請した。
しかし、前川は「カブトヤマは君のために買っただ、慢できるなら乗ったらどうだ」と返答。
この言葉に大久保覚悟を決めて騎乗。稍重馬場だったが2着のメリーユートピアを4身離し、2分410のレコードタイム勝利。第2回ダービーの座を射止める事に成功する。

以後も現役を続け、4歳時には帝室御賞典(福島)や目黒記念勝利72kg背負いながら2400mを2分342のタイムで駆け抜けるなど優れたスピードを誇った。
1934年12月をもって現役を引退。通算29戦12勝、うちレコード勝ち5回。現役時代の全レースにおいて大久保が手綱を握り続けた。

引退後

引退後は青森県東北牧場にて種牡馬入り。
詳細な成績は分かっていないが、代表産駒であるマツミドリ1947年に行われた東京優駿競走優勝
これは日本において初めてとなる「ダービー子制覇、父内国産馬初のダービー」である。この勝利第二次世界大戦後に復活開催された日本競馬最初の東京優駿競走でもある。
1951年に老衰によって死亡。21歳だった。

1947年マツミドリ東京優駿競走優勝した事から、同年に競走馬種牡馬として本偉業を讃え「カブトヤマ記念」が誕生。1974年父内国産馬限定競走に、1980年福島競馬場に移設されると、2003年を最後に止されるまで福島開催の名物レースとしてしまれた。

管理調教師にして騎手たる大久保は後に名トキツカゼとその子供オートキツなど関東トレーナーとして活躍。郷原洋行的場均などの1000ジョッキーも育成するなど、日本競馬史に名を残すホースマンとなった。ちなみに91歳の時にJRA調教師に定年制を導入するまで現役の調教師であり、競馬界の長老として知られた。引退の翌年、アイネスフウジンダービーを制した中野栄治騎手が満場の大観衆から「ナカノコールを受けるのをにし、「中野君がうらやましいねえ、私もあんなに祝ってもらえるならもう一度ダービーに乗ってみたい」とおっしゃったとか。1997年死去。寿の大往生であった。

血統表

*シアンモア
Shian Mor
1924 黒鹿毛
Buchan
1916 鹿毛
Sunstar Sundridge
Doris
Hamoaze Torpoint
Maid of the Mist
Orlass
1914 黒鹿毛
Orby Orme
Rhoda B.
Simon Lass Simontault
Kilkenny Lass
アストラル
1921 栗毛
FNo.12
*チヤペルブラムプトン
Chapel Brampton
1912 栗毛
Beppo Marco
Pitti
Mesquite Sainfoin
St. Silave
種義
1912 栗毛
*ダイヤモンドウエツデイン Diamond Jubilee
Wedlock
*ビユーチフルドリーマー Enthusiast
Reposo
競走馬の4代血統表

クロスAngelicaSt. Simon 5×5×5(9.38%)、SierraSainfoin 5×4(9.38%)、Amphion 5×5×(6.25%)

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この時カンファーベストに乗っていた郷原洋郷原洋行息子で、その師匠大久保で...

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カブトヤマ

1 ななしのよっしん
2022/12/29(木) 05:06:54 ID: fxcM6i9jXC
カブトヤママツミドリによるダービー制覇によって日本に「ダービーダービーから」という言葉が生まれ、戦後の内種牡馬奨励や復の旗印になったとされる。
こうした功績から1984年顕彰馬制度発足時にはカブトヤマ補の一頭としてっ先に名が挙げられたのだが「顕彰馬は10年で3~4頭までを安とし、類似した選出事由になるの選出は避ける」という中央競馬会の方針により近い時代の大種牡馬クモハタとの選択を迫られ、惜しくも不選出となってしまった。
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