隠岐の海 歩(おきのうみ あゆみ)は、八角部屋所属の現役大相撲力士である。
概要
1985年7月29日生まれ、島根県隠岐郡隠岐の島町出身。本名は福岡歩。189cm、163kgの長身を生かした懐の深い四つ相撲が持ち味。
師匠八角親方(元・北勝海)の師匠で、NHK専属解説者の北の富士氏が隠岐の海は稽古をしないと評したことがあり(北の富士氏は身内には特に辛口の解説をする)、それが広まって「イケ稽(イケメン稽古しろ)」なる言葉まで誕生してしまったが、隠岐の海が全く稽古をしないわけではなく、これは完全な誤解である。本人も稽古嫌いを認めているが、猛稽古で知られた八角親方は「私に比べてしていないというだけ」と弟子の努力を認めている。
2014年2月に相撲協会公式ツイッターの企画で、女性ファン3人をお姫様抱っこしたが、この時に一緒に参加していた遠藤のほうばかりが注目されてしまい、顔出しパネルまで作られた遠藤と比較して隠岐の海は全く話題にも上がっていないのは悲しいことである。
来歴
父親は秋田県の出身だが、隠岐の環境を好んで移住した。隠岐の島には古典相撲が今も伝わり、隠岐の海も4歳から廻しを締めて相撲を取っていた。小学校4年生からは地元の道場にも通って実力をつけ、全国大会でも実績を残しているが、高校時代は1学年下の澤井豪太郎(豪栄道)や影山雄一郎(栃煌山)が抜群の成績を残していたため隠岐の海自身は大相撲へ入門するつもりはなく、将来は航海士を目指して国家資格の3級海技士の筆記試験にも合格し、隠岐水産高校の専攻課程に進み、ハワイまで航海したが、自分が航海士としてやっていけるか不安になり、丁度その時に八角親方が隠岐の島へ有望な新弟子をスカウトしに来ていたこともあって、八角部屋への入門を決意した。
2005年1月場所で初土俵を踏むと翌年には幕下に昇進。2008年11月場所では西幕下筆頭で5勝を挙げていよいよ新十両かと思われ四股名まで準備したのに、あまりにも不運な昇進見送り。しかし翌2009年1月場所は東幕下筆頭で7戦全勝の幕下優勝とし、今度は文句なしの十両昇進。四股名も地元に因んだ「隠岐の海」と改めると、新十両としては朝青龍以来の高番付となる東十両7枚目となった。しかし怪我があって2場所連続で負け越して幕下に陥落。四股名も没収されて本名の「福岡」に戻ったが、1場所で十両に戻って再び「隠岐の海」を名乗るようになる。
2010年3月場所、隠岐諸島から初となる幕内昇進を果たすと新入幕で勝ち越し。自身の関与した不祥事のため1度十両に陥落したが1場所で幕内に戻ると、幕内復帰2場所目に11勝を挙げて敢闘賞を受賞。続く5月技量審査場所は東前頭4枚目で初の上位総当りとなったが、7勝8敗で惜しくも負け越し。7月場所は千秋楽に大関琴欧洲を破って勝ち越し、9月場所では西前頭筆頭で8勝7敗。三役に昇進してもおかしくない成績だったが上位力士の成績不振者が少なく番付が詰まってしまい、三役には昇進できず。2013年3月場所では終盤まで優勝を争って最終的に11勝として敢闘賞を受賞。続く5月場所で初めて小結に昇進した。この年は11月場所でも小結を経験したが、この場所から5場所連続で負け越し、2014年9月場所では十両目前の西前頭15枚目。10勝を挙げて立ち直ると、2015年1月場所では東前頭6枚目で9勝6敗と三役昇進も微妙な成績ながら、翌3月場所では新関脇に昇進した。
超会議場所トーナメント戦の成績
ニコニコ超会議で行われた大相撲春巡業のワンデイトーナメント大会の結果をここに記す。
大相撲超会議場所
ニコニコ超会議3で開催された。当時の番付は東前頭2枚目(2014年3月場所)。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | シード | ||
2回戦 | ● | 寄り切り | 西前頭15枚目 貴ノ岩 |
3回戦 | |||
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
大相撲超会議場所2015
ニコニコ超会議2015で開催された。当時の番付は西関脇(2015年3月場所)。直前の本場所は怪我で途中休場したが、巡業には出場した。
回 | 勝敗 | 決まり手 | 対戦相手 |
---|---|---|---|
1回戦 | ● | 寄り切り | 東前頭9枚目 嘉風 |
2回戦 | |||
準々決勝 | |||
準決勝 | |||
決勝 |
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関連項目
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