藤原道雅(ふじわらの みちまさ、992~1054)とは、平安時代中期の貴族・歌人である。
百人一首63番の作者で、藤原伊周の長男。藤原道隆と高階貴子の孫にあたる。
関白・摂政に上り詰めた道隆の嫡孫として、輝かしい将来が約束されたはずだが、幼い頃に祖父母を相次いで失い、父・伊周が起こした事件によって太宰府に事実上流罪されてしまい、一家は没落してしまう。道雅は出世もできず、蔵人頭に任じられてもすぐ罷免されるなど、不遇をかこった。次第に道雅は荒むようになり、博打に手を出す、敦明親王(後述の当子内親王の兄)の家来に暴行を加える、果てには花山法皇の皇女を殺させて野犬に喰わせる疑惑が持ち上がるなどの乱行が絶えず、彼が当時従三位だったことから、世間から「荒三位」の名で恐れられた。
そんな道雅は、伊勢斎宮の任を終えて京に戻ったばかりの当子内親王(三条天皇の皇女)と関係を持ってしまう。内親王はその身分の高さから、生涯独身か、他の天皇や親王に嫁ぐのが慣わしであり、身分の差が違いすぎる禁断の恋であった。三条院は箱入り娘を傷物にされたと激怒し、二人の仲を引き裂いてしまう。この悲しみを歌ったのが、百人一首に名を残す「今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな」である。当子内親王はそのわずか5年後に病死、彼女の死が原因で道雅は荒れるようになったと言われている(うた恋い。では、逆に元から荒くれ者だったが、当子の案じて自分から身を引くような展開となっている)。晩年になると、道雅は何事もままならぬ我が人生に諦めたのか、隠棲して静かに風流の道に生きたという。悲恋の末に、若くしてこの世を去った内親王を弔いながら、余生を送ったのだろうか。
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最終更新:2024/05/10(金) 21:00
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