アブドーラ小林とは、大日本プロレスに所属するプロレスラーである。通称はアブ小など。
1976年7月22日生まれ 長野県千曲市出身 175cm 140kg
大日本プロレス新人第1号として1995年にデビュー。数少ない旗揚げメンバーの一人。
世代としては山川竜司やシャドウWXと同じだったが、その中には入り切れず、いわゆる便利屋的な扱いを受けていた。
転機となったのはアブドーラ・ザ・ブッチャーとの出会いから。「若い頃の自分とサイズが似ている」との理由からタッグを組む様になり、デスマッチファイターとして急成長。解消後もブッチャーばりのファイトを見せる。
なかなかシングルに届かなかったが、デビュー10年目の2005年12月、防衛6回を誇る絶対王者・伊東竜二を撃破して、BJW認定デスマッチヘビー級王座に輝いた。
が、その後の試合は全て敗戦、関本大介と組んで獲得したBJW認定タッグ王座を落としたばかりか、佐々木貴に「ベルトの価値を落とした」とまで言われる始末。結局、初防衛戦でいきなりベルトから陥落する事となる。
その後も幾度となく挑戦権を得て、440本以上の蛍光灯を使用して挑戦するも、いずれも敗戦。
しかし、その努力が遂に報われる時が来る。2011年12月、再び6回の防衛回数を記録した伊東竜二から再びデスマッチヘビー級王座を獲得した。その後は2013年1月に石川修司に奪われるまで7回の防衛を記録。伊東の持つ防衛最高記録を更新。これが認められ、2012年プロレス大賞敢闘賞と日本インディー大賞MVPを授賞した。
ところが、2013年に別の戦いをする事となる。5月に受けた血液検査でC型肝炎ウイルスの感染の疑いが発覚。1回目の再検査では問題なかったものの、2回目の再検査でウイルス残留が確認された為、他選手への感染防止の為、大日本は小林に対し、完治に向けた治療と、その間の選手活動禁止を命じた。
最初の検査から1年3ヶ月経過した最終検査で完治が確認され、2014年7月、選手活動禁止措置の解除を決定。同年26日に復帰し、8月には伊東竜二のデビュー15周年に合わせる形でデスマッチ戦線にも参入した。
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最終更新:2025/03/08(土) 15:00
最終更新:2025/03/08(土) 14:00
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