エルケル・フェレンツ / フェレンツ・エルケル(1810~1893)とは、19世紀に活躍したハンガリーの作曲家である。
ハンガリー人のため姓名の方を本記事とする。
1810年にジュラで生まれた。曾祖父までさかのぼることのできる音楽家一家であり、父と祖父からピアノと音楽理論を学ぶこととなった。1823年にポジョニで12歳のフランツ・リストの演奏を聞いたことは重要な体験となったようだ。
1834年にペシュトに居を構え、ピアニストとしてデビューした。彼はショパンのピアノ協奏曲第1番やベートーヴェンのクロイツェルソナタなどをペシュトで初演した他、1835年にはコロジュヴァールで指揮者としてもデビューし、ハンガリーでのオペラ上演の基礎を築くこととなった。また1844年には現在のハンガリー国家も作曲している。
エルケルは『フニャディ・ラースロー』をはじめとするハンガリー・オペラの創始者であり、19世紀にハンガリーで活動していたすべての音楽施設の長、および大概その創設者でもあった。疑いもなく19世紀ハンガリー音楽の最大の指導者だったのである。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 12:00
最終更新:2024/04/25(木) 12:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。