基礎データ | |
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正式名称 | ギリシャ共和国 Ελληνική Δημοκρατία Hellenic Republic(Greece) |
国旗 | ![]() |
国歌 | 自由への賛歌![]() |
公用語 | ギリシャ語 |
首都 | アテネ(Athens) |
面積 | 131,957km2(世界第96位) |
人口(’17) | 約1,076万人(世界第81位) |
通貨 | ユーロ(€, EUR) |
ギリシャ(Greece)とは、ヨーロッパの最も南に位置する国の一つで、EUに加盟している。近代オリンピック発祥の地。
日本の1/3程度の大きさで、国の20%は約3,000もの島によって構成されている。北は西からアルバニア、北マケドニア、ブルガリアと、東はトルコと国境を接している。ヨーロッパの火薬庫、バルカン半島最南端部にある。
他のバルカン諸国に比べ抜群の経済発展を遂げていた……のだが、単にユーロ高の尻馬に載っていただけだった。一時はユーロを離脱するか、ユーロを巻き添えに財政破綻するかの瀬戸際に。EUとその実質的な盟主ドイツからの緊縮財政の押し付けで尚も苦しみ続け、空港や電力施設などを中国などの外国に売りまくり、2018年現在、何とか黒字を維持できている。公務員天国、高い貧困率、GDP減少により財政が未だに厳しい国。
正式名称ギリシャ共和国(ギリシア語:Ελληνική Δημοκρατία 英語:Hellenic Republic(Greece))。
本土は全体の約80%で、残りはイオニア海やエーゲ海に浮かぶ島々が占める列島国家。パルテノン神殿をはじめとする数多くの歴史的建造物とエメラルドの海は世界中の観光客を惹きつけてやまない。ギリシャ哲学、ギリシャ美術などの古代ギリシャの豊かな文化も有名である。
リゾート地として人気なので、基本的に気候は温和で過ごしやすい。アテネの平均気温は冬が10℃、夏は28℃で雨が少なく、年間晴天日数は約280日。エーゲ海の島々はさらに降雨量が少ない。ただし、内陸部では昼夜の温度差が激しく、冬には雪が積もる地域もある。
主力産業は農業、観光。他に鉄鋼、加工、海運業も発達している。農業では世界第3位の生産量であるオリーブをはじめ、綿や葉タバコ有名。しかし、小麦やとうもろこしなど主食となる穀物は、地中海性気候にあまり合わない。そのため、農業国なのに食料を自給できていない状態だ。
ギリシャ料理の最大の特徴は、やたらオリーブ・オイルが使われている事。年間の国民一人当たりのオリーブ油の消費量は約20リットルで、世界一である。イタリアや南フランスの地中海料理よりもトルコ料理やレバノン料理など東地中海地方の料理との共通点が多い。これはトルコと歴史的に交流が深いからである。もちろん悪い意味でも。
また、ギリシャ語はヨーロッパで一番難解な言語である。(ロシアをヨーロッパに含まない場合)
古代文明発祥地の一つ。紀元前800年後半には教科書でも有名なアテネ、スパルタなどの都市国家、ポリスが多く建設され、互いに争うが、一方で、豊かな文化や高度な学問、奴隷制や民主政など、後世の社会構造にまで残る遺産が芽吹いていった。ギリシャの植民都市は南フランスや南イタリア、黒海のクリミア半島にまで建設されていた。
紀元前7世紀頃になるとマケドニア王国(同じギリシャ系)に一帯が征服される。マケドニア王国はアレクサンドロス3世のもとで現在のインド北西部にまで版図を拡大したため、ギリシャ人とその文化は中東と西アジアにまで根付くことになり(ヘレニズム)、後世の歴史にまた財産を遺した。
マケドニア王国が滅びた後はローマ帝国の傘下となるが、ローマもまた広義のヘレニズム国家であったため、今度は西地中海にもギリシャ系の文化が広まった。
395年にローマ帝国が東西に分裂した時は、ギリシャ地域は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に属した。東ローマ帝国は7世紀にギリシャ色を強め、その滅亡まで古典ギリシャ文化を保持するに至ったが、一方で一連のローマ治世期にギリシャはキリスト教(正教会)圏となり、人々は自らをギリシャ人ではなく「ローマ人」と意識するようになった。
1453年に東ローマ帝国がオスマン帝国によって滅ぼされると、そのままオスマン傘下に入る。その統治は1800年代まで続いたが、この頃にギリシャの人々は自らを「ギリシャ人」であると再び自覚。そこへフランス革命による民族主義の波がギリシャに到着する。1821年にオスマン帝国に対し、ギリシャ各地の都市で革命が起こり、ギリシャ独立戦争に突入。イギリス、フランス、ロシアの介入の末、1829年に独立が承認された(ギリシャ王国)。
独立したギリシャ王国は、19世紀後半には大ギリシャ主義を掲げ、1897年にオスマン帝国のアナトリア半島から歴史的ギリシャ地域を回収すべく侵攻。しかし敗北。1913年にはバルカン戦争の勝利に伴いオスマン帝国からクレタ島を奪回した。
第一次世界大戦に敗北したオスマン帝国はシリアやイラクなどを失い、トルコが後継国となっていたが、ギリシャは再びアナトリア半島を巡りトルコに侵攻した。が、ムスタファ・ケマル・アタテュルク率いるトルコ軍に敗北。せっかく得ていたアナトリア側の領土を失ってしまい、ほぼ現在の国土が確定した。
ギリシャ・トルコ間の住民交換では、「ギリシャ正教徒はギリシャ人、イスラム教徒はトルコ人」としたため、ギリシャの民族アイデンティティは「古代ギリシャ文明」と「ギリシャ正教」になった。
1924年から1935年まではクーデターにより共和政となっていたが、これも軍事クーデターにより崩壊し、王政復古された。国王の大権と極右政党による国内統一がなされ、1936年には陸軍大臣イオアニス・メタクサスを首相とする独裁体制が敷かれた。
当時のギリシャは中立を謳っていたが、メタクサス体制はイタリアのムッソリーニによるファシズムにも似た国粋主義的独裁体制、要するに極右であった。それでいて、当時地中海を牛耳っていたイギリスとは友好関係を築き、ファシズム的体制(枢軸国寄り)でありながらイギリス(連合国)の友好国、という奇妙な状態にあった。
そのような中で、ギリシャは第二次世界大戦を迎える。
1940年に枢軸国に加盟し連合国に宣戦布告したイタリア。その指導者ムッソリーニは、ギリシャが連合国の盟主イギリスの友好国であるため、連合国がイタリアに攻める際ギリシャがその足がかりになるのでは、と恐れた。それにぶっちゃけギリシャが欲しかった。それ故ギリシャは同年10月28日にイタリアに宣戦布告され、その同盟国ドイツとブルガリアからも攻撃され、第二次世界大戦の当事国となった。
枢軸国と戦うイギリスは、イギリス本国とインドやマラッカ海峡(シンガポール)を海上で繋ぐ上での重要な中継地である地中海を保持するために、その要地にあるギリシャに援軍を送った。これによりギリシャ王国は連合国側に。
イタリアがギリシャに送った兵力は、アフリカ戦線やイタリア国内および強引に併合したばかりのアルバニアから無理やりかき集められてきたため、かなりヘタれた。そのため当初ギリシャ・イギリス連合軍は優勢にあり、逆にアルバニアへと北上し逆侵攻する始末であった。ヘタリアェ……。が、1941年から枢軸国の盟主ドイツが本格的に援軍を送り始めると、ギリシャ・イギリス連合軍は敗北。首相メタクサスは病死。ギリシャはイタリア、ドイツ、ブルガリアによって分割占領され、枢軸側の傀儡国家ギリシャ国となる。国王ゲオルギウス2世とギリシャ王国政府はイギリスに亡命した。
ソ連の支援を受けた共産主義者と、イギリス(連合国)側であり反共産主義の王党派がそれぞれ別個に枢軸国に対しパルチザン(抵抗運動)を展開し、ギリシャ国内は三つ巴となった。元より脆弱であった経済基盤と、枢軸国との戦争、両パルチザンに対するドイツの大量虐殺と飢饉によって、戦中のギリシャは徹底的に荒廃した。
1944年には独ソ戦の戦況悪化からドイツ軍はギリシャから次第に撤退していった。翌1945年には枢軸国の降伏および連合国の勝利によって完全に解放され、連合国側である王党派右派が政権を握り、ギリシャ王国が復活。なお、戦争終結直前、戦後構想に関してイギリスの首相チャーチルは、ソ連の指導者スターリンに対して「黒海が欲しいソ連はルーマニアの9割を、地中海を独占したい我々(イギリス)はギリシャの9割を、それぞれ支配するのはどうか」(意訳)と交渉している……。
しかし戦中より生じていたソ連側の共産主義左派(ゲリラ)と王党派右派(政府側)の対立は戦後になってなお続いた。それは地中海の要衝を保持したいイギリスと、地中海への出口・進出を目論むソ連の代理戦争でもあり、西側諸国と東側諸国の冷戦の一端でもあった。
1946年にはついに内戦へと至った。イギリスは戦後の経済難により王党派右派への支援を困難にしたが、代わって、アメリカ合衆国が右派を支援。一方共産主義左派は、支援元のソ連とユーゴスラビアが仲違いしたため大幅に弱体化していった。その結果、1949年、内戦はアメリカが支持する右派の勝利により終結した。
1952年にはNATOに加盟、翌1953年にはユーゴスラビアやトルコと同盟を締結。ところが1950年代の後半になるとキプロスを巡ってトルコとの対立が激化した。
戦後から1970年代初頭まで、奇跡的な経済成長を遂げた。1968~1974年までは軍事独裁政権であったが、国内のデモをきっかけにクーデターにより崩壊し、次いで選挙によって民主主義の中道右派政党が政権を握った。また同年、国民投票によって王制が廃止され、現在のギリシャ共和国になった。
1981年にEUの前身に当たるEC(欧州共同体)に加盟。EU発足後はそのままEU加盟国に。
1999年のトルコ大地震の復興支援などを機に現在ではトルコとは歩み寄りをみせている。アルバニアとはアルバニア内に住むギリシャ系住民問題で対立している。
2001年にはユーロを導入、2004年にはアテネ五輪が開催。
しかし2010年には巨額の財政赤字が発覚し、EU全体を巻き込む経済危機を呼び起こした。ギリシャを劣悪な落第生のごとく罵る風潮が起こった一方、国や地域、論者によってはEUの事実上のリーダーであるドイツがギリシャに分不相応な対応をしたとも、搾取をしたとも言われ、ギリシャに同情する者や、ドイツに反感を抱く者、それが発展してEUを懐疑する者さえ現れた。ともあれ、2018年現在、ギリシャは今なお経済的苦境に立たされている。
掲示板
376 ななしのよっしん
2024/12/22(日) 07:54:58 ID: MRWJiO0+O8
κουραμπιέδεςをつくろう!
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377 ななしのよっしん
2025/01/28(火) 20:02:28 ID: BuJQAyXeeK
>>371
あれロシア側だけじゃなくて西側の船も入れないんだからどっちかというとロシア有利よりな行使の仕方だと思ったけど
378 ななしのよっしん
2025/02/07(金) 19:57:28 ID: v1yLdNq9RS
なんか地震続いてるそうだな
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最終更新:2025/03/17(月) 08:00
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