基本データ | |
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正式名称 | チェコ共和国 Česká republika |
国旗 | |
国歌 | 我が故郷いずこ |
国花 | 菩提樹 |
公用語 | チェコ語 |
首都 | プラハ(Praha) |
面積 | 78,866km²(世界第114位) |
人口(’22) | 約1049万人(世界第88位) |
通貨 | チェコ・コルナ(Kč, CZK) |
チェコとは、中央ヨーロッパに位置する内陸国である。2004年に欧州連合(EU)に加盟した。
正式名称は「チェコ共和国」、チェコ語では「チェスカー・レプブリカ(Česká republika)」。チェコ語の通称は「チェスコ(Česko)」「チェヒ(Čechy)」。なお「チェヒ」は、国内の一地方名のことも意味するため、国としてのチェコを表現する場合は国内外を問わず「チェコ共和国」の語が用いられることが多い。
2016年4月、チェコ政府は外国語での国名表記について、ラテン語風の「チェキア(Czechia)」の使用を要請する声明を発表した。これは前述の「チェコ共和国(Czech Republic)」が長々しいためだが、国内でも異論があり、定着するかどうかは未知数である。なお、チェコ外務省は1993年にもチェキアの呼称を提案しているが定着していない。
1993年にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離して成立。この分離は武力衝突を伴わず平和裡に行われたことから、西側諸国では滑らかな布にかけて「ビロード離婚(Velvet Divorce)」と呼ばれており、「離婚」後も両国間の関係は良好なものとなっている。
西部のチェヒ(ボヘミア)、東部のモラヴァ(モラヴィア)、北東部のスレスコ(シレジア)の3つの地方からなる。面積は北海道より少し狭く、人口は東北地方よりやや多い。
チェコの歴史は、神聖ローマ帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国、ナチス・ドイツ、ソビエト連邦などの周辺各勢力の影響が非常に大きい。
年 | 出来事 |
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9世紀 | 大モラヴィア王国建国 |
10世紀前半 | マジャル人侵入の影響で大モラヴィア王国崩壊 |
10世紀初頭 | プシェミスル家がチェヒ国を建国 |
921年 | ボヘミア王国が成立、ヴァーツラフ1世(のちにボヘミアの守護聖人に)が国王に即位 |
1003年 | ポーランド公ボレスワフ1世がチェコを武力制圧 |
1004年 | プシェミスル家が神聖ローマ帝国に臣従、ボヘミア公の座を取り戻すとともに神聖ローマ帝国の領邦となる |
11~14世紀 | ドイツ人、ユダヤ人の移住が進み、ドイツ文化が浸透 |
1212年 | ボヘミア王の称号と世襲が承認され、選帝侯となる |
1310年 | プシェミスル朝断絶、ルクセンブルク家がボヘミア王を継承 |
1346年 | 国王カレル1世が神聖ローマ皇帝カール4世に即位 |
15世紀初頭 | プラハ・カレル大学総長ヤン・フスによる教会改革 |
1414年 | コンスタンツ公会議にてフスが異端として火刑に処される |
1419年 | フス派信者が市長らを市庁舎の窓から放り投げる(第一次プラハ窓外放擲事件) |
1419年 | フス派信者と神聖ローマ帝国・カトリック教会のあいだにフス戦争勃発 |
1436年 | 神聖ローマ皇帝とフス派穏健派が停戦、フス戦争終結 急進派はフス派の内部抗争で壊滅 |
1437年 | 神聖ローマ皇帝にアルブレヒト2世が即位、ボヘミアはハプスブルク家の支配下におかれる |
1618年 | 新教弾圧に反発した民衆が国王の使者をプラハ城の窓から放り投げる(第二次プラハ窓外放擲事件) |
1618年 | ボヘミアの新教諸侯たちとハプスブルク家の諍いから三十年戦争勃発 |
1620年 | 白山の戦いでボヘミア諸侯軍が大敗、新教貴族は国外追放や財産没収などを課せられる |
1638年 | スウェーデン軍がボヘミア侵攻、国土荒廃 |
1648年 | ヴェストファーレン条約で新教徒の権利が認められるも、ボヘミア王位はハプスブルク家の世襲となる |
1741年 | オーストリア継承戦争により、シュレージエン(シレジア)地方の大半がプロイセンに支配される |
1918年 | スロバキアとともにチェコスロバキア共和国としてオーストリア=ハンガリー二重帝国から独立。トマーシュ・マサリクが初代大統領となる |
1938年 | ズデーテン地方をナチス・ドイツに割譲、更にはポーランドとハンガリーにも領土を割譲 |
1939年 | ナチス・ドイツ進駐、チェコスロバキア共和国解体 チェコは「ボヘミア・モラヴィア保護領」となる |
1940年 | ロンドンにチェコスロバキア共和国亡命政府が成立 |
1945年 | ナチス・ドイツ敗走、ソ連軍によって「解放」される |
1945年 | ベネシュ大統領がドイツ・ハンガリー系住民の追放を命令、250万人に及ぶドイツ系住民が追放される |
1948年 | ソ連の圧力によるクーデターで共産主義政権が成立(二月革命) |
1948年 | 非共産系のヤン・マサリク外務大臣が外務省敷地にて転落死体として発見される(第三次プラハ窓外放擲事件とも) |
1968年 | ドゥプチェク第一書記による共産体制改革(プラハの春) |
1968年 | ワルシャワ条約機構(WTO)軍による軍事介入(プラハ事件)、改革は頓挫 |
1989年 | 大規模な民主化デモの結果、流血の事態なく共産党体制が終焉(ビロード革命) |
1993年 | スロバキアと分離、チェコ共和国が成立(ビロード離婚) |
1995年 | 経済協力開発機構(OECD)に加盟 |
1999年 | 北大西洋条約機構(NATO)に加盟 |
2004年 | 欧州連合(EU)に加盟 |
主要産業は機械工業、化学工業、および観光業。企業では100年以上続く老舗自動車メーカーのシュコダ(現在はフォルクスワーゲンの子会社)や、大型トラックを主に製造するタトラ、光学機器のメオプタなどが知られる。
それまで帝国で最も工業化が進んでいたシレジア地方をオーストリア継承戦争でプロイセンに奪われたため、マリア・テレジアとその息子ヨーゼフ2世は代わりにボヘミアの工業化を推進。早くから綿工業、製糖業、ガラス工業などが発達した。チェコスロバキア共和国成立時にはオーストリア=ハンガリー帝国の工業資産の4分の3を継承し、世界有数の工業国となっていた。
兵器分野でも工業力を発揮し、第二次世界大戦のころは戦車や機関銃の製造で名を馳せていた。ドイツがチェコを併合した際に戦車産業をそっくり頂き、これがドイツ機甲師団の快進撃につながった。機関銃は遠く離れた中華民国へ輸出され、それを鹵獲した日本軍に「故障知らずのチェッコ機関銃」と絶賛された。こうした兵器産業を支えていたのがシュコダ財閥で、当時欧州最大級の財閥だった。
第二次世界大戦が終わるとチェコ全域が共産圏に入り、ソ連の影響下に置かれた。兵器産業で名高いチェコが東側に入ったのを見て、当時の西側諸国には強い衝撃が走った。
共産党政権が崩壊すると計画経済から市場経済に移行。革命後、工業化の進んだチェコと農業が主であったスロヴァキアの間にあった格差などから混乱が生じたが、ビロード離婚によって分離をはたしたことや、西側諸国からの企業進出の増加などによりプラス成長を遂げ「チェコ経済の奇跡」とも呼ばれた。1997年の通貨危機などから一時マイナス成長を記録したが、直接投資拡大により再びプラス成長に転じた。
以降も高い成長率を維持し続けたが、輸出依存の高いチェコは2008年の国際金融危機の影響を免れることができず、急速に景気が低迷。その後ドイツなどの経済回復によって2010年にはプラス成長に回復するも、翌2011年には欧州経済危機の影響で、再び成長が鈍化している。
近年、特に欧州連合加盟後においては外資系企業の過剰進出が労働者不足を招き、平均給与の上昇が企業利益を圧迫する事態が起きている。
なお、欧州連合(EU)加盟国ではあるがユーロは導入されていない。
チェコの伝統産業の中でも特筆すべきものがボヘミアングラスである。9世紀頃にビーズや指輪など装身具の材料にガラスが使われたのがはじまりとされ、その文化と技術が発展を遂げながら現在まで継承された。
最初はチェコの首都プラハの宮殿で好評を博し、そしてチェコに近いウィーンの宮殿にも出荷されるようになった。欧州中から人が集まる帝都ウィーンでも大人気となり、欧州にボヘミアングラスの名がとどろくことになった。
オーストリアのクリスタル・ガラスメーカー、スワロフスキーの創始者であるダニエル・スワロフスキーも北ボヘミアのハンドカットクリスタル職人の家の生まれである。
繊細なデザインなどから土産物としても世界的に人気があり、特に観光地としても有名なプラハ市内にはガラス細工を取り扱う店が非常にたくさん存在する。ガラス細工だけに当然壊れやすいので、お土産として持って帰るときにはうっかり壊さないよう注意が必要。
伝統的なボヘミア料理がドイツ、オーストリア、ハンガリーなどの影響を受けながら発展してきたのが現在のチェコの食文化である。
寒いため野菜・果物、内陸国のため魚介類が不足しがちでカロリー過多との指摘もあったが、近年国際化の影響で改善が見られるようになった。
小麦粉に牛乳、水、塩、卵を練り混ぜ、円筒形にして茹でたクネドリーキという料理が名物。
イタリアのニョッキや日本のすいとんに近いもっちりとした食感で、味はあまりない。このため肉料理の付け合せ(ソースや肉汁にからめて食べる)やスープの具などとして食卓に出される。
ジャガイモを原料にしたものや、イチゴ、アンズなどの果物を入れ、チーズやバター、ナッツをかけて菓子として食されるものもある。
ビールが国民的飲料となっている。国民1人当たりの年間ビール消費量(2009年、キリン食生活文化研究所調べ[1])は142.3リットル(大瓶約225本相当、日本の約3倍)と、2位のアイルランドに30リットルほど差をつけて17年連続の世界第1位を誇る。
その歴史は紀元前3世紀にまで遡るといわれ、長く培われた醸造技術と良質な大麦と豊かな水で世界のビール愛好家を呻らせる味を生み出している。
現在世界で製造されているビールは、その大半がピルスナー・スタイルと呼ばれるホップの苦味を特徴とするものだが、このピルスナーは1842年にチェコのプルゼニ(ドイツ語名ピルゼン)で市民設立のビール会社に雇われたドイツ人ヨーゼフ・グロルによって生み出された。その商品名は「ピルスナー・ウルケル」で、「ピルスナー・スタイルのビールの原点」という意味。現在もピルスナー・ウルケルは製造販売されている。
このためチェコのビールは日本人の口にもよくあい、特に黒のラガーは飲みやすくオススメ。
チェコ国内には470以上の銘柄があり、地ビールも豊富に存在する。主な銘柄は、ピルスナー・ウルケル、ブドヴァル、スタロプラメンなど。
チェコ南西部にBudweis(ブドヴァイス)というビール名産地があり、Budweiser(ブドヴァイゼル)というビールを生産している。
19世紀にアメリカ合衆国中西部のミズーリ州で、ドイツ系米国人のアドルファス・ブッシュが有名なビール産地のBudweisにあやかって自分のビールをBudweiser(バドワイザー)という名で売ったら大ヒットし、米国最大のビール企業になった。同じBudweiserという商標名を巡ってアメリカ企業とチェコ企業は世界各地の裁判所で今も争っている。
東部の南モラヴィア地方ではワイン生産も盛んで、主に白ワインに定評がある。
神聖ローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国などの諸勢力、ゲルマン系、スラブ系、マジャル人などの各民族、カトリック、プロテスタント、正教会の各会派が勢力を争った複雑な歴史的経緯から、多様な音楽性を特徴とする。
ベドルジフ・スメタナ(連作交響詩『わが祖国』)、アントニン・ドヴォルジャーク(『新世界より』『アメリカ』)らボヘミア楽派が特に有名である。
マリオネットによる人形劇が盛んな国として知られ、首都プラハには国立マリオネット劇場やマリオネット博物館があるほか、プラハ芸術アカデミーには人形劇学科まで存在する。
元々は17世紀に西欧から伝えられたもので、ハプスブルク家によってドイツ語が強制されていた時代でもチェコ語で上演されていた。
土産物としてもマリオネットは人気があり、プラハ市内にはマリオネット専門店が数多くある。
このような伝統もあってか、チェコはアニメーション作品、とりわけ人形アニメーション作品で知られる。言葉なくしても伝わる繊細かつ多彩な表現方法を自在に用いたチェコの人形アニメは世界的に評価も高く、カンヌをはじめとする映画祭での受賞作品も数多い。
特に1960年ごろはチェコ人形アニメの黄金時代とされ、『人形アニメの父』イジー・トルンカおよび『人形アニメの母』ヘルミーナ・ティールロヴァーらの作品がのちに大きな影響を与えた。
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最終更新:2024/11/25(月) 05:00
最終更新:2024/11/25(月) 05:00
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