レディーズシークレット 単語

レディーズシークレット

5.6千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

レディーズシークレット(Lady's Secret)は、1982年生まれのアメリカ競走馬繁殖牝馬

GI11勝を挙げ、頑健な走りで「鉄の女(Iron Lady)」という異名を取ったアメリカ顕彰馬ブラッドホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」では第76位。

概要

SecretariatGreat Lady M.、Icecapadeという血統。
セクレタリアト1973年米国三冠馬、詳細な競走成績や全体的な種牡馬成績は当該記事参照。本が生まれる4年前の1978年に2歳リーディングサイアーとなっている。
グレートレディエムは58戦14勝の成績を残したタフ。本以外の産駒牝系からはビリーヴジャンダルムを筆頭に、サークルオブライフ、スティールパス、トレンドハンターといったGI重賞がいるほか、(レディーズシークレットの叔母)のFlip's Little Girlに2歳GIアッシュランドSを勝ったDo It with Style、孫にダート重賞3勝の*ストーンステッパーがいる。
アイスカペイド競走馬としてはそこそこだったが種牡馬として成功し、Northern Dancerを通さないNearctic系の最大勢力を築いている。

オクラホマ州で生産され、当時NFLサンディエゴチャージャーズ(現:ロサンゼルスチャージャーズ)のオーナーだったユージンクラインという新参馬主に20万ドルで購買された。クラインは本が2歳の時にチームを売却し、馬主業に専念している。

レディーズシークレットを預かったのは、既に1980年プリークネスSCodexで勝っていたクラインの専属調教師、ダレル・ウェイン・ルーカス調教師である。彼は後に同じくクラインの所有馬であるWinning Colorsや*オープンマインドも預かり、一流に成長させている。

2~3歳時

2歳5月に5ハロン未勝利戦デビューし、1着同着で勝ち上がった。しかしその後はステークス競走を2勝(うち1回はレコード勝ち)したものの、重賞ではアノアキアS(GIII)3着が最高で、オークリーフS(GI・8.5ハロン)では勝ったFolk Artから16身差をつけられ6頭中5着に敗れるなど振るわなかった。2歳時は8戦3勝だった。

3歳時は1月の始動戦を勝つと続く混合のステークス競走・ディターミンSでも後にGIサンアントニオHを勝つBedside Promiseの2着となったが、続くサンタイネスSで5着に敗れると、次戦のステークス競走も2着に敗れた。

になると東海へ向かい、その途上でアーカンソー州オークローンパーク競馬場ステークス競走を1勝した。ニューヨーク州に到着するとプライオレスS(GIII)で2着となったが、カムリーS(GIII)では後にニューヨークトリプルティアラを達成するMom's Commandに11身差をつけられ4着に敗退した。

ところが、この2週間後のボウルオブフラワーズSを7身差で圧勝したのを皮切りに本の快進撃が始まり、ボウルオブフラワーズSからいずれも勝で3連勝を挙げて8月テストS(GII)に出走すると、トリプルティアラを達成して単勝1.5倍に支持されていたMom's Commandを2身差の2着に破って勝利した。翌週のバレリーナS(GII)をハナ差勝ちして臨んだマスケットS(GI・1マイル)を5身半差で勝ち、あっさりGI勝利を挙げた。

2週間後のラフィアンH(GI・9ハロン)では、GI4勝を挙げ前年のBCディスタフで2着となっていた同営の前年エクリプス賞最優秀3歳Life's Magicなどが出走してきたが、このLife's Magicを4着に破り、2着Isaysoに4身差をつけ勝利した。その後Mom's Commandが故障引退したため世代の1番手に押し上げられる形となったベルデイムS(GI・10ハロン)も2身差で勝利した。

ニューヨーク所在するアケダクト競馬場での開催となったBCディスタフではLife's MagicGI2勝を含む4連勝中のDontstop Themusic同期ケンタッキーオークスFran's Valentineなどが出走した。スタートから軽快に逃げていったが、息を入れようとしたところに後続に差を詰められたため満足ペースを落とすことができず、Life's Magicに交わされるとそのまま差を広げられて6身1/4差の2着に終わった。その後西海に向かい、年末のラブレアS(GIII分割競走)を2着としてシーズンを終えた。

3歳時は17戦10勝・GI3勝だった。エクリプス賞最優秀3歳トリプルティアラなど9戦7勝・GI4勝のMom's Commandに譲った。

4歳時

GIとなってもガンガン使うローテは変わらず、1月エルエンシノS(GIII)、2月のラカナダS(GI・9ハロン)を続けて快勝し、2週間後のサンタマルガリータH(GI・9ハロン)も2身差でレコード勝ちした。東海に戻る途中でオークローンパーク競馬場アップルブロッサムH(GI・8.5ハロン)に出走したが、127ポンド(約57.6kg)の斤量を背負ってよく逃げったものの最後はLove Smittenに交わされクビ差の2着に敗れた。

ニューヨーク州へ戻っての初戦はシュヴィーH(GI・8.5ハロン)となり、ここでは2着Endearに3身半差をつけて勝利した。翌週のメトロリタンH(GI・1マイル)は混合戦だったが、この年エクリプス賞最優秀古を受賞するTurkomanと最優秀短距離に選ばれるSmile、前年のブリーダーズカップ・クラシック勝ち馬Proud Truthといった好メンバーに先着し、重賞4連勝中だったGarthornの1身1/4差3着に入った。このレースが3着以内に入ったのは1965年3着のAffectionately以来のことだった。

続く限定戦のヘンプステッドH(GI・9ハロン)ではシュヴィーHから直行してきたEndearに6身差をつけられて2着だったが、モリーピッチャーHでは6身1/4差をつけて連覇を達成した。

1ヶ後に再びホイットニーH(GI・9ハロン)でに挑戦した。前年のユナテッドネーションズH(GI)の勝ちEnds Wellなどのを相手に悪の中を軽快に逃げ、一度は迫ってきたEnds Wellを再び突き放して4身半差で優勝1940年代後半の名Galloretteが1948年に勝って以来となる、史上5頭優勝となった。

その後、フィリップH.アイズリンハンデキャップ(GI・9ハロン)ではこの年のサバーバンH(GI)優勝Roo Artと前年のエクリプス賞最優秀短距離馬Precisionistに続いて3着となり、2週間後のウッドワードS(GI・9ハロン)ではPrecisionistの4身3/4差2着となった。混合戦への出走はひとまずこれで一区切りとなった。

限定路線に戻るとマスケットSに出走し、124ポンド(約56.2kg)を背負いながら7身差で圧勝し連覇達成。続くラフィアンHでは更に129ポンド(約58.5kg)にまで斤量が上昇したものの、それでも全く問題にせず前走でも2着に破ったSteal a Kissに8身差をつけ勝し、こちらも連覇を達成した。

BCディスタフでは、前年にBCジュヴェナイルフィリーズを制した同営のTwilight Ridge、前々年のエクリプス賞最優秀2歳で3歳時はイマイチだったがこの年に入って重賞4勝と復調していたOutstandingly、この年のヴァニティHの勝ち*マグニフィセントリンディ、前年のBCディスタフ5着でこの年はチュラヴィスタH(GII)を勝っていたFran's Valentineなどが相手となった。
レースではスタート直後はしばらく引きつけつつ、最初のコーナーから差を広げて先頭を飛ばし、そのまま後続と2身程度の間隔を保って最終直線へ突入。番手につけていたOutstandinglyとFran's Valentineの2着争いで後者が2身抜け出すのを後ろに見て、2身半差をつけて勝利した。

15戦10勝・GI8勝でシーズンを終え、この年はエクリプス賞最優秀古に選ばれた。また、BCクラシックの上位人気2頭で「勝った方が年度代表馬になるだろう」との下評があったTurkomanとPrecisionistが離れた4番人気Skywalkerにって敗れたこともあり、228票中172票の得票で年度代表馬ともなった。エクリプス賞年度代表馬と最優秀古を同時に受賞したのは本が初めてだった。
なお、年間GI8勝は後のCigarと並んで現在も北における最多タイ記録である。

5歳時

5歳時は3月混合戦であるドンH(GII)から始動したが、単勝57倍のLittle Bold Johnというが勝つ一方で本は32身差をつけられたブービー6着という大敗を喫した。しばらく休養して6月の一般競走を勝ったが、続くモリーピッチャーHでは今度はReel Easyという単勝44倍のに足を掬われ、7身差の2着に終わった。

17日後の一般競走を勝利したものの、続く一般競走では競走中止の憂きに遭い、これが引退レースとなった。

通算成績は45戦25勝2着9回3着3回・GI11勝。900ポンド(約408kg)程度の小柄な体ながら、芦毛体で果敢に先を切って頑健に走ったそのキャリアはまさに「鉄の女」という言葉が似合うと言えよう。
通算獲得賞金は3021325ドルであり、これは当時の北におけるの最高記録だった。

繁殖成績

引退後は380万ドルという高額で購買されてケンタッキー州で繁殖入りした。2年続けてAlydarと交配されたが、同死亡すると様々な種牡馬と交配された。1992年米国競馬殿堂入りを果たした。

産駒には白井最強150ドルで買って向こうのメディアかれた*マチネアイーダなど日本輸入されて外国産馬として走った産駒もそこそこいたが、日本輸入された産駒アメリカで走った産駒立った活躍を挙げることが出来なかった。Seattle Slewとの間に1995年に産まれた*スリーピングインシアトルは初めてエクリプス賞年度代表馬同士の配合で産まれたとなったが、不出走に終わっている。

繁殖成績の悪さがいたのか、本1998年に再びトレードされた際には75万ドルにまで価格が下落していた。2001年カリフォルニア州に移動した後も繁殖生活を続けていたが、2003年出産時に合併症を起こし21歳で死亡した。

1993年サンタアニタパーク競馬場で創設されたレディーズシークレットHはブリーダーズカップの前戦として機し、2007年にはGIに昇格したが、このレースの連覇をステップにブリーダーズカップを2勝したZenyattaが現れると、同レースゼニヤッタSに改名するという案が浮上。もちろん批判を招き、同の現役続行もあって話は流れたが、3連覇を達成したZenyattaが正式に引退すると本当にゼニヤッタSに改名されてしまった。
この他に本名前を冠したものとしては、モンマスパーク競馬場カフェ「レディーズシークレットカフェ」や、馬主クラインが住んでいたサンディエゴランチョ・サンタフェにある道路「レディーズシークレット・ドライブ」があり、これらは現在も残っている。

さて、本の直は先述の通り立った活躍を挙げることが出来なかったが、孫世代以降からはその秘められた才が少しずつ開しつつある。先述の*スリーピングインシアトルフィリーズレビューを勝ったサウンドバリアーを出し、そのサウンドバリアーには初版執筆時点でJRA重賞3勝を挙げヴィクトリアマイルでも2着のサウンドキアラがいる。また、外国産馬として日本で走り中央3勝を挙げた*グッドルックスからファルコンSを勝ったキョウハピネスが、不出走の*レディダンジグの孫から函館記念を勝ったマイスタイルが出ている。
この他にも多くの日本牝系を少しずつ広げており、本牝系はしばらくは絶滅することはなさそうである。その中からレディーズシークレットのアメリカへ殴り込みをかけるが出てくることに期待したいところである。

血統表

Secretariat
1970 栗毛
Bold Ruler
1954 黒鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Somethingroyal
1952 鹿毛
Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Imperatrice Caruso
Cinquuepace
Great Lady M.
1975 芦毛
FNo.22-d
Icecapade
1969 芦毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Shenanigans Native Dancer
Bold Irish
Sovereign Lady
1969 芦毛
Young Emperor Grey Sovereign
Young Empress
Sweety Kid Olympia
Trustworthy
競走馬の4代血統表

クロスNasrullah 3×5(12.5%)、Nearco 4×4(12.5%)

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/04/13(日) 19:00

ほめられた記事

最終更新:2025/04/13(日) 19:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。