レディーズシークレット(Lady's Secret)は、1982年生まれのアメリカの競走馬・繁殖牝馬。
GI11勝を挙げ、頑健な走りで「鉄の女(Iron Lady)」という異名を取ったアメリカ顕彰馬。ブラッド・ホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」では第76位。
父Secretariat、母Great Lady M.、母父Icecapadeという血統。
父セクレタリアトは1973年の米国三冠馬、詳細な競走成績や全体的な種牡馬成績は当該記事参照。本馬が生まれる4年前の1978年に2歳リーディングサイアーとなっている。
母グレートレディエムは58戦14勝の成績を残したタフな馬。本馬以外の産駒の牝系からはビリーヴ・ジャンダルム母仔を筆頭に、サークルオブライフ、スティールパス、トレンドハンターといったGI馬や重賞馬がいるほか、妹(レディーズシークレットの叔母)のFlip's Little Girlの娘に2歳GIアッシュランドSを勝ったDo It with Style、孫にダート重賞3勝の*ストーンステッパーがいる。
母父アイスカペイドは競走馬としてはそこそこだったが種牡馬として成功し、Northern Dancerを通さないNearctic系の最大勢力を築いている。
本馬はオクラホマ州で生産され、当時NFLのサンディエゴ・チャージャーズ(現:ロサンゼルス・チャージャーズ)のオーナーだったユージン・クラインという新参馬主に20万ドルで購買された。クラインは本馬が2歳の時にチームを売却し、馬主業に専念している。
レディーズシークレットを預かったのは、既に1980年のプリークネスSをCodexで勝っていたクラインの専属調教師、ダレル・ウェイン・ルーカス調教師である。彼は後に同じくクラインの所有馬であるWinning Colorsや*オープンマインドも預かり、一流馬に成長させている。
2歳5月に5ハロンの未勝利戦でデビューし、1着同着で勝ち上がった。しかしその後はステークス競走を2勝(うち1回はレコード勝ち)したものの、重賞ではアノアキアS(GIII)3着が最高で、オークリーフS(GI・8.5ハロン)では勝ったFolk Artから16馬身差をつけられ6頭中5着に敗れるなど振るわなかった。2歳時は8戦3勝だった。
3歳時は1月の始動戦を勝つと続く牡馬混合のステークス競走・ディターミンSでも後にGIサンアントニオHを勝つBedside Promiseの2着となったが、続くサンタイネスSで5着に敗れると、次戦のステークス競走も2着に敗れた。
春になると東海岸へ向かい、その途上でアーカンソー州のオークローンパーク競馬場でステークス競走を1勝した。ニューヨーク州に到着するとプライオレスS(GIII)で2着となったが、カムリーS(GIII)では後にニューヨークトリプルティアラを達成するMom's Commandに11馬身差をつけられ4着に敗退した。
ところが、この2週間後のボウルオブフラワーズSを7馬身差で圧勝したのを皮切りに本馬の快進撃が始まり、ボウルオブフラワーズSからいずれも完勝で3連勝を挙げて8月のテストS(GII)に出走すると、トリプルティアラを達成して単勝1.5倍に支持されていたMom's Commandを2馬身差の2着に破って勝利した。翌週のバレリーナS(GII)をハナ差勝ちして臨んだマスケットS(GI・1マイル)を5馬身半差で勝ち、あっさりGI初勝利を挙げた。
2週間後のラフィアンH(GI・9ハロン)では、GI4勝を挙げ前年のBCディスタフで2着となっていた同陣営の前年エクリプス賞最優秀3歳牝馬Life's Magicなどが出走してきたが、このLife's Magicを4着に破り、2着Isaysoに4馬身差をつけ勝利した。その後Mom's Commandが故障引退したため世代の1番手に押し上げられる形となったベルデイムS(GI・10ハロン)も2馬身差で勝利した。
ニューヨークに所在するアケダクト競馬場での開催となったBCディスタフではLife's Magic、GI2勝を含む4連勝中のDontstop Themusic、同期でケンタッキーオークス馬のFran's Valentineなどが出走した。スタートから軽快に逃げていったが、息を入れようとしたところに後続馬に差を詰められたため満足にペースを落とすことができず、Life's Magicに交わされるとそのまま差を広げられて6馬身1/4差の2着に終わった。その後西海岸に向かい、年末のラブレアS(GIII・分割競走)を2着としてシーズンを終えた。
3歳時は17戦10勝・GI3勝だった。エクリプス賞最優秀3歳牝馬はトリプルティアラなど9戦7勝・GI4勝のMom's Commandに譲った。
GI馬となってもガンガン使うローテは変わらず、1月のエルエンシノS(GIII)、2月のラカナダS(GI・9ハロン)を続けて快勝し、2週間後のサンタマルガリータH(GI・9ハロン)も2馬身差でレコード勝ちした。東海岸に戻る途中でオークローンパーク競馬場のアップルブロッサムH(GI・8.5ハロン)に出走したが、127ポンド(約57.6kg)の斤量を背負ってよく逃げ粘ったものの最後はLove Smittenに交わされクビ差の2着に敗れた。
ニューヨーク州へ戻っての初戦はシュヴィーH(GI・8.5ハロン)となり、ここでは2着Endearに3馬身半差をつけて勝利した。翌週のメトロポリタンH(GI・1マイル)は牡馬混合戦だったが、この年エクリプス賞最優秀古馬牡馬を受賞するTurkomanと最優秀短距離馬に選ばれるSmile、前年のブリーダーズカップ・クラシック勝ち馬Proud Truthといった好メンバーに先着し、重賞4連勝中だったGarthornの1馬身1/4差3着に入った。このレースで牝馬が3着以内に入ったのは1965年3着のAffectionately以来のことだった。
続く牝馬限定戦のヘンプステッドH(GI・9ハロン)ではシュヴィーHから直行してきたEndearに6馬身差をつけられて2着だったが、モリーピッチャーHでは6馬身1/4差をつけて連覇を達成した。
1ヶ月後に再びホイットニーH(GI・9ハロン)で牡馬に挑戦した。前年のユナイテッドネーションズH(GI)の勝ち馬Ends Wellなどの牡馬を相手に道悪の中を軽快に逃げ、一度は迫ってきたEnds Wellを再び突き放して4馬身半差で優勝。1940年代後半の名牝Galloretteが1948年に勝って以来となる、史上5頭目の牝馬の優勝馬となった。
その後、フィリップ・H.アイズリンハンデキャップ(GI・9ハロン)ではこの年のサバーバンH(GI)優勝馬Roo Artと前年のエクリプス賞最優秀短距離馬Precisionistに続いて3着となり、2週間後のウッドワードS(GI・9ハロン)ではPrecisionistの4馬身3/4差2着となった。牡馬混合戦への出走はひとまずこれで一区切りとなった。
牝馬限定路線に戻るとマスケットSに出走し、124ポンド(約56.2kg)を背負いながら7馬身差で圧勝し連覇達成。続くラフィアンHでは更に129ポンド(約58.5kg)にまで斤量が上昇したものの、それでも全く問題にせず前走でも2着に破ったSteal a Kissに8馬身差をつけ完勝し、こちらも連覇を達成した。
BCディスタフでは、前年にBCジュヴェナイルフィリーズを制した同陣営のTwilight Ridge、前々年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬で3歳時はイマイチだったがこの年に入って重賞4勝と復調していたOutstandingly、この年のヴァニティHの勝ち馬*マグニフィセントリンディ、前年のBCディスタフ5着でこの年はチュラヴィスタH(GII)を勝っていたFran's Valentineなどが相手となった。
レースではスタート直後はしばらく引きつけつつ、最初のコーナーから差を広げて先頭を飛ばし、そのまま後続と2馬身程度の間隔を保って最終直線へ突入。番手につけていたOutstandinglyとFran's Valentineの2着争いで後者が2馬身抜け出すのを後ろに見て、2馬身半差をつけて勝利した。
15戦10勝・GI8勝でシーズンを終え、この年はエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれた。また、BCクラシックの上位人気2頭で「勝った方が年度代表馬になるだろう」との下馬評があったTurkomanとPrecisionistが離れた4番人気のSkywalkerに揃って敗れたこともあり、228票中172票の得票で年度代表馬ともなった。エクリプス賞年度代表馬と最優秀古馬牝馬を同時に受賞したのは本馬が初めてだった。
なお、年間GI8勝は後のCigarと並んで現在も北米における最多タイ記録である。
5歳時は3月の牡馬混合戦であるドンH(GII)から始動したが、単勝57倍のLittle Bold Johnという伏兵馬が勝つ一方で本馬は32馬身差をつけられたブービー6着という大敗を喫した。しばらく休養して6月の一般競走を勝ったが、続くモリーピッチャーHでは今度はReel Easyという単勝44倍の伏兵馬に足を掬われ、7馬身差の2着に終わった。
17日後の一般競走を勝利したものの、続く一般競走では競走中止の憂き目に遭い、これが引退レースとなった。
通算成績は45戦25勝2着9回3着3回・GI11勝。900ポンド(約408kg)程度の小柄な馬体ながら、芦毛の馬体で果敢に先陣を切って頑健に走ったそのキャリアはまさに「鉄の女」という言葉が似合うと言えよう。
通算獲得賞金は302万1325ドルであり、これは当時の北米における牝馬の最高記録だった。
引退後は380万ドルという高額で購買されてケンタッキー州で繁殖入りした。2年続けてAlydarと交配されたが、同馬が死亡すると様々な種牡馬と交配された。1992年に米国競馬の殿堂入りを果たした。
産駒には白井最強が150万ドルで買って向こうのメディアに叩かれた*マチカネアイーダなど日本に輸入されて外国産馬として走った産駒もそこそこいたが、日本に輸入された産駒もアメリカで走った産駒も目立った活躍を挙げることが出来なかった。Seattle Slewとの間に1995年に産まれた*スリーピングインシアトルは初めてエクリプス賞年度代表馬同士の配合で産まれた馬となったが、不出走に終わっている。
繁殖成績の悪さが響いたのか、本馬が1998年に再びトレードされた際には75万ドルにまで価格が下落していた。2001年にカリフォルニア州に移動した後も繁殖生活を続けていたが、2003年の出産時に合併症を起こし21歳で死亡した。
1993年、サンタアニタパーク競馬場で創設されたレディーズシークレットHはブリーダーズカップの前哨戦として機能し、2007年にはGIに昇格したが、このレースの連覇をステップにブリーダーズカップを2勝したZenyattaが現れると、同レースをゼニヤッタSに改名するという案が浮上。もちろん批判を招き、同馬の現役続行もあって話は流れたが、3連覇を達成したZenyattaが正式に引退すると本当にゼニヤッタSに改名されてしまった。
この他に本馬の名前を冠したものとしては、モンマスパーク競馬場のカフェ「レディーズシークレットカフェ」や、馬主のクラインが住んでいたサンディエゴのランチョ・サンタフェにある道路「レディーズシークレット・ドライブ」があり、これらは現在も残っている。
さて、本馬の直仔は先述の通り目立った活躍を挙げることが出来なかったが、孫世代以降からはその秘められた才能が少しずつ開花しつつある。先述の*スリーピングインシアトルはフィリーズレビューを勝ったサウンドバリアーを出し、そのサウンドバリアーの娘には初版執筆時点でJRA重賞3勝を挙げヴィクトリアマイルでも2着のサウンドキアラがいる。また、外国産馬として日本で走り中央3勝を挙げた*グッドルックスからファルコンSを勝ったキョウワハピネスが、不出走馬の*レディダンジグの孫から函館記念を勝ったマイスタイルが出ている。
この他にも多くの牝馬が日本で牝系を少しずつ広げており、本馬の牝系はしばらくは絶滅することはなさそうである。その中からレディーズシークレットの母国・アメリカへ殴り込みをかける馬が出てくることに期待したいところである。
Secretariat 1970 栗毛 |
Bold Ruler 1954 黒鹿毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Miss Disco | Discovery | ||
Outdone | |||
Somethingroyal 1952 鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | |||
Imperatrice | Caruso | ||
Cinquuepace | |||
Great Lady M. 1975 芦毛 FNo.22-d |
Icecapade 1969 芦毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Shenanigans | Native Dancer | ||
Bold Irish | |||
Sovereign Lady 1969 芦毛 |
Young Emperor | Grey Sovereign | |
Young Empress | |||
Sweety Kid | Olympia | ||
Trustworthy | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nasrullah 3×5(12.5%)、Nearco 4×4(12.5%)
掲示板
提供: さくらねこ
提供: クロ
提供: 狩猫
提供: 奥沢美咲
提供: GUEST
急上昇ワード改
最終更新:2025/04/13(日) 19:00
最終更新:2025/04/13(日) 19:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。