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この記事は第563回の今週のオススメ記事に選ばれました! よりニコニコできるような時代を目指して編集していきましょう。 |
令和[1](れいわ[2] 、ローマ字表記:Reiwa[3] )とは、日本の元号の一つで、平成の次。南北朝時代を双方数に入れれば、248個目の元号[4] 。西暦2019年5月1日から使われる。アクセントは「れ」に置いても「いわ」においてもどちらでも良い。以下は、元号としての「令和」と時代としての「令和」を共に扱う。
政府の説明によれば、令和の出典は、日本の歌集である『万葉集』巻五の「梅花の歌三十二首 序文」にある以下の文章。「梅花の宴」として知られている場面の一部である。
書き下し文:時、初春の令月にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
現代語訳:時あたかも新春の好き月(よきつき)、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉(おしろい)のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている[5]
なお、出典が判明している元号の中で、日本古典に由来する元号は史上初めてである[6]。だがしかし、純粋な国書由来だとする政府発表に異議を唱える専門家も居る(→「万葉集以外の「令和」」に後述)。
10世紀以降の、出典が明らかになっているものに限ると、平成までの元号のいずれも漢籍から典拠が求められている[7] 。
保守層には、新元号発表前から、日本の古典である国書から元号を取ることを求める声があった[8]。
平成31年3月27日時点の報道によれば、「政府関係者によると、安倍首相はかねて『元号の出典は日本で書かれた書物がいい』と話しているということだが、日本の古典は、中国の古典を引用しているものが多いことから、日本と中国の古典の両方を出典とすることも検討しているという」と、首相記者会見とは違う理由を示している(→「解説」、「万葉集以外の「令和」」に後述)[9] 。
「平成」の元号制定担当者であった、的場順三によれば、「平成のときも、国文学者にお願いしたが、「源氏物語」「枕草子」「古今和歌集」となり、適当なものがなかった」という[10] 。
古代史専門家の1人は、「中国の古典に書かれた文言と、それを引用した日本の古典の表現を典拠に元号を選ぶのでは、日本の古典から取るという目的自体が失われる」という旨の意見を述べている [11] 。
中国古代史に詳しい学習院大学の鶴間和幸教授は、「『文選』というのは、当時の日本の古代の人たちは暗記するほど中国の詩を詠んでいたわけです。今回も純粋な大和言葉から作った元号ではなくて、明らかに中国の詩を典拠にして作った元号だということが言えます」と述べた[12]。
梅花の歌32首の序文の一部。万葉仮名で書かれた和歌ではなく、漢文調で書かれた文章である。「梅花の宴」の前置きとして大伴旅人がその場にいる人々の心情を詠んだものとされている[13] 。
梅の歌が詠まれた背景として、菅原道真の大宰府左遷の際の「飛梅伝説」のように、当時の日本では「花といえば梅」という風潮であった。それは、梅は春になると他の植物よりも早く花を咲かせることや、その匂いから「香りの梅」として、古今和歌集などの歌で題材になっていることからも分かる[14] 。万葉集が編まれたとされる頃は詩仙・詩聖と呼ばれた李白や杜甫を生み出した盛唐期であり、中国伝来の梅は、漢詩が中心だった当時の日本では詠まれやすかった。日本で「花といえば桜」となるのは、遣唐使が廃され日本固有の文化が育ち始める国風文化以降であり、西行法師の「願わくは花の下にて春しなんそのきさらぎの望月のころ」に代表される平安時代に入ってからである。
32首が詠まれた場所については、万葉集研究者の坂本勝によれば、「32首が詠まれたのは、九州で万葉集の歌の歴史でも当時では比較的新しい局面を切り開いた地域。ここでは大伴旅人や山上憶良らが歌の世界をリードしていたが、当時、大宰府は外交関係の出先機関で渡来の文化・文明にたっぷり触れながら新しい歌の世界を創っていったので、この32首は万葉集の中でも特徴のある部分」[15] 。
元号の典拠となった歌の意味は、「春の初めの良い月にさわやかな風が柔らかく吹いている その中で梅の花が 美しい女性が鏡の前で おしろいをつけているかのように 白く美しく咲き 宴席は高貴な人が身につける香り袋の香りのように薫っている」[16] 。天平2年(730年)正月十三日(太陽暦2月8日頃)、歌人で大宰師(太宰府長官)であった大伴旅人の邸宅にて開かれた宴で、主人と客人によって詠まれた歌32首に付された序文である。この序文には、「詩に落梅の篇を紀す。古と今とそれ何そ異ならむ(漢詩にも落梅の詩がある。昔と今、いかほどの違いがあるだろうか。)」と[17] 、中国と日本の時代を超えた紐帯が歌われている。
「梅花の宴」は、王羲之の影響を受けている[18] 。中国の貴族や文人の遊びである「曲水の宴」[19] がモチーフとなっている[20]。なお書史史上最高と謳われる『蘭亭序』は、中国の書聖である王羲之が催した「曲水の宴」について描かれている。対応するとされる『蘭亭序』の一節は以下の通り[21] 。
前述の鶴間氏のコメントの中で言及されていたように、万葉集以外では、『文選』巻十五に収録された張衡(張平子、後漢の政治家・科学者、78-139)の『帰田賦』に以下の一節がある。岩波書店の新日本古典文学大系『萬葉集(一)』には、「梅花の歌」の序文はこれを踏まえたものであることが補注されている[22][23]。後述の高森氏のように『文選』も公式に出典として挙げるべきとする声もある。
報道で「令和」の考案者と見られている、万葉集研究者の中西進によれば、「「梅花の宴」の序文は、蘭亭序の形式と同じ」「中国では唐の初めに漢詩に序をつけることが流行する。この傾向は万葉集の中にも入り込み、独特な表現様式を持つことになった」「唐風にならい、仏教を受容しつつ国家的整備を進めた時代精神が支えた」と指摘している[24]。新元号発表後は、取材に対して「ノーコメント」「元号は中西進という世俗の人間が決めるようなものではなく、天の声で決まるもの。考案者なんているはずがない」[25] と話しているが、中西氏の『万葉の秀歌』を出版しているちくま学芸文庫に、新元号発表後「「万葉集」は令(うるわ)しく平和に生きる日本人の原点です」というコメントを寄せている[26] 。4月14日、新元号に関する企画展で解説を務めたが、「(新元号を)つくるのは神や天」と改めて自分の関与を否定した上で[27] 、複数のインタビューに対して、万葉集の序文は日本の風土に根ざした独自の表現、新元号について「美しい風土に限りない感謝と尊敬を持ちながら、国民の一人として、令和という時代になることを喜んで迎えたい」[28] 、「元号の根幹にあるのは文化目標」「(令和の「和」について)『和をもって貴しとせよ』を思い浮かべる」「「大和の心」は万葉の精神にも流れ、平和憲法にもつながる」[29] 、「『ら』行音というのはいままであまり元号に使われてこなかったし、令和という発音がすごく響きがいい」「(「令」という字は)日本語の『麗しい』という言葉にあたる」「(「和」については)このあいだの戦争では日本人だけで300万人が死にました。そんなことが二度と繰り返されてはいけない」「(4年前に自分が詠んだ)「日の本(ひのもと)という七五調の小謡が令和の精神と合致する」「日本の基本的なものにつながるような地下水脈としてずっと日本の国土の下を流れているようなものが「令」という水であり、「和」という水であるという、それが元号となるかっこうならば、日本がわかりやすくて大好きになる国になると思います」[30] と答えた。
元号研究者の所功は、「和歌(やまとうた)を集成した『万葉集』が典拠されたことは想定外ながら感服するほかない。」「唐風文化の開花期である天平時代に、大宰府という中国大陸や朝鮮半島との外交館における梅花宴で、教養の高い官人たちが、漢詩でなく和歌を詠んでいることに思いを致すと、一層味わい深い。」「菅原道真が、同じ梅を題材にして、「梅は寒苦を経て清香を発す」という名句を思えば、天災などの苦難もみんなの助け合いで乗り越えてきた平成の日本人が、さらに今後も心を寄せ合って本当に美しい平和な日本を花咲かせよう、という理念を表明したことになる」[31] としている。
日本語研究者の金田一秀穂によれば、「「令」というのは、古い意味では“神様のお告げ”という意味。そして、“皆が仲良く“ということ」「冬から春にかけての気持ちがいい、新しい1年が始まっていく。新鮮さの表れ」[32]
東京大学の中世史研究者、本郷和人は「漢和辞典の最初は“命令”といった説明が出る」、「『巧言令色鮮し仁』という冷色という媚びへつらいは仁愛にもとるという意味の故事からすると、「令」というのは望ましくない」「「令」はせしむ。上から平和になりなさいと命令している」「「令旨」という皇太子の命令の意味と結びつきがあるので、天皇に関わるものとして相応しくない」[33][34] と解説している。
日本文学研究者の品田悦一は、(「梅花歌」の)「テキスト全体の底に権力者への嫌悪と敵愾心が潜められている」「「令和」の文字面は、テキスト全体を背負うことで安倍総理たちを強烈に皮肉っている」という論文を寄せている[35] 。
日本文学研究者のロバート・キャンベルは、「国書か漢籍かということはどうでもよく、国を超えて共有される言葉の力、イメージを喚起する元号だ。元号が孤立しているものではなく、北東アジア文化圏で共有された情操の世界とつながる言葉だ」「平和になるよう仕向けようという、ポジティブな言葉だと思った。」[36]「これまでの元号は為政者の立場からのものだったが、今回は、春を迎え、花を見るという、誰でもイメージできる喜びを表している。皆が共感でき、日本が発信できるイメージとしてはとてもいい」「張衡の帰田賦を元にした、時空を超えたオマージュ。中国の人の思いも取り込んでいると解釈したい。『日本のもの』と感じる必要はない」[37] としている。
万葉集研究者の坂本勝は、「日本の長い歴史を見ても異文化と出会って化学反応を起こして新しい文化を生み出してきた。『令和』はそういった深い歴史認識を感じさせるようないい元号」とコメントしている[38] 。
「令」の字には、命令といった言葉で一般に知られている「言いつける」や「律令」の意味の他に、令月(めでたい月)、令名(よい評判)など「よい」という意味がある。
元号に関して、「令」の字は、かつて「令徳」という元号案が1つ存在したが、「文久」「元治」に改元が行われた際に2度提出されるも共に不採用となっている[39] 。「元治」が採用された際には、「徳川に命令する」という意味が込められているという理由で江戸幕府から反発された[40] 。採用されるのは今回が初めて。「和」の字は、古くは和銅、直近では昭和など、これまでに計19回採用されている。
「令」という字は、最後の2画がカタカナの「マ」のようになっている字形もあるが、文化庁によれば、かねてから「意味や由来に違いはない。漢字の骨組みが同じであれば、どれを使ってもいい」としている[41] 。
官房長官記者会見で用いられた「令和」を書いたのは、内閣府辞令専門職の茂住修身。書家として「茂住菁邨」の号を持つ[42] 。
ネット上の有志によれば、今回の墨書は、欧陽詢という唐の時代の楷書の四大家の書体で書かれており、欧陽詢は太宗という書聖・王羲之を愛した皇帝に仕えていた。「梅花の宴」が王羲之の「蘭亭序」を模範としたように、書にも王羲之の系譜が表れている、とされる[43] 。
日本外務省は、英語で説明する際、「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう在外公館に指示した[44] 。
これに先んじた報道では、令和の言葉の意味について、フランスのAFP通信は「令は、『order(秩序)』や、『auspicious(さい先がよい、吉兆の、など)』のような意味だ。和は、『peace(平和)』や、『harmony(調和)』などと翻訳されることが多い」、イギリスのBBCは「秩序を意味する『order』と調和を意味する『harmony』を示している」、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは「レイは幸先の良い(auspicious)、ワは平和(peace)を意味する」と伝えている[45] 。
平成28年7月13日に、平成時代の今上天皇が、生前退位(譲位)の意向を皇太子に示されたことが、宮内庁関係者の話から、明らかになったと、NHKが報じた[46] 。8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」がNHK・民放各局で放送され、自身の口からも直接国民へお気持ちが伝えられた[47] 。
平成29年4月7日、政府が複数の学者に選考を依頼し、それぞれから複数の元号案を既に受けとっていることが分かったと、報道された[48] 。
12月8日、天皇陛下の退位日を、2019年4月30日と定める政令を、政府が閣議で決定した[49] 。
平成31年3月14日、政府は元号の考案を複数の有識者に正式に委嘱した[50] 。報道によれば、中西進(日本文学)、石川忠久(中国文学)、池田温(中国史)らだとされている[51]。
3月29日、政府筋によれば、安倍首相は「最終選考に残った複数の元号案を皇太子さまに伝えに行った」という[52]。
4月1日当日の、元号決定までの流れは、有識者による「元号に関する懇談会」、衆院議長公邸で衆参正副議長から意見を聴取、全閣僚会議、新元号を記した政令を閣議で決定、官房長官記者会見、首相談話で発表となっている[53] 。懇談会メンバーは、上田良一(アジア太平洋放送連合会長 / 第22代NHK会長)、大久保好男(民放連会長 / 日本テレビ社長)、鎌田薫(日本私立大学団体連合会会長 / 第16代早稲田大学総長)、榊原定征(経団連名誉会長 / 東レ相談役)、白石興二郎(日本新聞協会会長 / 読売新聞グループ本社会長)、寺田逸郎(第18代最高裁判所長官)、林真理子(作家)、宮崎緑(東京都教育委員 / 千葉商科大学国際教養学部部長)、山中伸弥(京都大学iPS細胞研究所所長)の9名[54] 。懇談会では、「出典を日本の古典にするよう求める意見が出された」という[55]。
衆参正副議長(衆議院からは大島理森・赤松広隆、参議院からは伊達忠一・郡司彰)からの聴取では「いずれも良さそうなので、内閣にお任せしてよい」などの意見が相次いだが、1人が「特定の季節を指すものはどうか」と疑問を呈した。これは、令和について野党出身の郡司彰参院副議長が発言したことが分かっている。
全閣僚会議で政府側は、原案に加え有識者懇と正副議長の意見の概要も説明。10閣僚が発言し、うち4人が「人々の思いを集めた万葉集というわが国独自の由来もある」などと令和に賛同した。一方、1閣僚は「令和は昭和とかぶるところがある」と指摘した。典拠については、9人が国書、1人が漢籍を支持した。
議論を終えるに当たり、菅義偉官房長官が首相に一任したいと提案。首相は「有識者、閣僚の意見を踏まえ、国書である万葉集を典拠とする令和としたい」と述べ、了承された[56] 。
安倍晋三首相は、談話で、「春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように一人ひとりが明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、決定した」と述べた[57] 。
4月19日、政府は新元号に「令和」を選定した4月1日の一連の会議の議事概要を公表した[58] 。
朝日新聞やNHKの報道によれば、政府が、「元号に関する懇談会」に提出した6つの原案は、選ばれた「令和」の他、「英弘(えいこう)」「久化(きゅうか)」「広至(こうじ)」「万和(ばんな)」「万保(ばんほ)」であることが分かっている。典拠は国書と漢籍が3つずつで、国書は「令和」の万葉集に加え、日本書紀と古事記[59][60] 。
出典はそれぞれ、「英弘」は古事記、「広至」は詩経(漢籍)と日本書紀、「万和」は文選(漢籍)、「万保」は漢籍、「久化」は漢籍とされている[61] [62] 。
「令和」の考案者は、万葉集の専門家である中西進ではないかと報じられている[63][64][65] 。
産経新聞の報道によれば、「「英弘」を安倍首相が推していた」「「令和」は3月中旬に、中西進らに追加委嘱した案」「懇談会で全員賛成したのは「令和」だけだった」だという[66] 。
政府は選考過程を公文書管理法の対象とすることを決定しており、最長で30年間非公開とされる[67] 。安倍首相は、4月1日にNHKの報道番組に出演し、 公開の時期について、「基本的に30年ということで検討していくのだろうと思う」と述べ、30年程度は公開を控える必要があるという考えを示している[68] 。
4月19日に、政府が公表した議事概要によれば、有識者全員が国書からの案を推挙した。主な意見として、「国書から選定することは、日本の文化、伝統に目を向ける一つのきっかけになる」「万葉集の時代は、グローバルな時代であったと思う。現代と通じるグローバルな時代の文化という切り口で考えれば、典拠が国書であるということもうまく説明できる」「美しく心を寄せ合って、文化を生んでいこうという象徴的な元号が定められるのは、日本とは何か、日本人とは何か、日本文化とは何かを考える大きな基盤になる」というものがあった[69] 。
「令和」の考案者については、公表されていないが、政府関係者は朝日新聞の取材に対して「「令和」の考案者は、中西進氏である」という旨を答えている[70] 。
民間では「新元号予想」が各企業やSNSなどで活発になされている。ソニー生命保険のアンケートでは「平和」「和平」「安久」[71] 、株式会社和泉屋主催のアンケートでは「安永」「安久」「永安」が上位に挙がっている[72] 。
安倍首相が自身の名前を元号に入れると考えていた人たちからは、安倍晋三の「安」の字が新元号に入るという予想が立てられた[73] 。
政府が有識者に委嘱した考案の中には、中国の古典の他、日本古典など国書が含まれているとされている[74]。
平成31年4月1日の当日、新元号決定の流れを、NHK、NNN、ANN、JNN、TXN、FNNが特別番組やワイドショー内のコーナーで報じた。
政府は、新元号発表と首相談話を、Twitter、Facebook
、YouTube
、Instagram
といったインターネットサイトを通じて中継した。
今回の元号は事前にリークされるというような問題はなく、予定通り記者会見で初めて発表された。
海外では、アメリカ、フランス、イギリス、中国、韓国、ロシアなどが伝えた[77] 。
新元号に好感を | 日本の古典が典拠であることを | |||
持てる | 持てない | 評価する | 評価しない | |
共同通信[106][107] | 73.7% | 15.7% | 84.6% | 7.5% |
読売新聞・NNN[108][109] | 62% | 31% | 88% | 5% |
毎日新聞[110] | 65% | 10% | 63% | 5% |
朝日新聞[111] | 62% | 12% | - | - |
産経新聞・FNN[112] | 87.0% | 6.5% | 75.8% | 1.6% |
改元はかつては、災害や政変による理由で行われてきたが、明治元年に、一世一元の詔が発布されて以降、天皇の代替わりによって改元する慣行が続いている。以来改元が行われているが、大正、昭和、平成の改元はいずれも崩御に伴うものであり、生前退位(譲位)に伴う改元は、光格天皇の退位で「文化」から「文政」に改元された1818年以来、201年ぶりである。
2019年(令和元年)5月1日は、皇太子徳仁親王が新天皇に即位され、10月22日には「即位礼正殿の儀」が催される。政府はこの年に限り両日を祝日とする祝日法改正案を提出し、2018年12月8日に参議院で可決成立した。祝日法の規定により、4月27日から5月6日までこの年は10連休となる[129] 。
令和 | 月 | 日 | 儀式・行事 |
---|---|---|---|
元年 | 5月 | 1日 | 剣璽等承継の儀 |
即位後朝見の儀[130] | |||
賢所の儀 | |||
皇霊殿神殿に奉告の儀 | |||
4日 | 一般参賀 | ||
8日 | 賢所に期日奉告の儀 | ||
皇霊殿神殿に期日奉告の儀 | |||
神宮神武天皇山稜及び昭和天皇以前四代の天皇山稜に勅使発遣の儀 | |||
10日 | 神宮に奉幣の儀 | ||
神宮神武天皇山稜及び昭和天皇以前四代の天皇山稜に奉幣の儀 | |||
13日 | 斉田点定の儀 |
||
10月 | 22日 | 即位礼当日賢所大前の儀 | |
即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀 | |||
即位礼正殿の儀[131] | |||
祝賀御列の儀(パレード) | |||
饗宴の儀(25日,29日,31日) | |||
23日 | 晩餐会(内閣総理大臣夫妻主催) | ||
26日 | 一般参賀 | ||
11月 | 8日 | 神宮に勅使発遣の儀 | |
12日 | 大嘗祭前二日御禊 | ||
大嘗祭前二日大祓 | |||
13日 | 大嘗祭前一日鎮魂の儀 | ||
大嘗祭前一日大嘗宮の儀鎮祭 | |||
14日 | 大嘗祭当日神宮に奉幣の儀 | ||
大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀 | |||
大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀 | |||
大嘗宮の儀 | |||
悠紀殿供饌の儀 | |||
15日 | 主基殿供饌の儀 | ||
16日 | 大嘗祭後一日大嘗宮鎮祭 | ||
大饗の儀[132] | |||
2年 | 4月 | 19日 | 立皇嗣の礼 |
謹んで申し上げます。天皇陛下におかれましては、本日、皇位を継承されました。国民を挙げて心からお慶び申し上げます。
ここに、英邁なる天皇陛下から、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜りました。
私たちは、天皇陛下を国及び国民統合の象徴と仰ぎ、激動する国際情勢の中で、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を、創り上げていく決意であります。
日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。
この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば、上皇陛下には御即位より、三十年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ、一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します[134] 。
「平成最後の○○」「令和最初の○○」「時代越し」の記事も参照。
令和に元号が変わる前日の4月30日から令和最初の日である5月1日にかけて、日本国内はお祝いの空気に包まれた。以下に主な出来事を示す。
令和時代の出来事を逐次追加
231 | 232 | 233 |
平成(へいせい) 1989~2019 |
令和(れいわ) 2019~ |
〇〇(〇〇) 〇〇〇〇~ |
掲示板
2873 ななしのよっしん
2025/02/25(火) 20:37:33 ID: bhMPJeObeN
といいつつ、その実いい年したおっさん(大体が氷河期)もすくなくないという
令和になってネットに触れたという意味では、実際そうなんだろうけど
2874 ななしのよっしん
2025/03/14(金) 22:50:12 ID: 4CJMIxc7pp
令和って日本の黒歴史である昭和を彷彿とする出来事が発生してるので早く改元したほうが良い
やっぱ日本の歴史で一番うまくいかなかった元号と同じ文字を使用するのは縁起が悪い
ちなみに平成は正の要素は少ないが敗戦という負の要素と比べると相対的にプラス
2875 ななしのよっしん
2025/03/14(金) 22:59:34 ID: YRSo+Fewbs
一度使った漢字は新しく元号作るときには使用禁止にしないか?
縁起が悪いからさ
提供: s
提供: キョンコ
提供: 蘭子
提供: たろう
提供: 柏木志保
急上昇ワード改
最終更新:2025/03/30(日) 14:00
最終更新:2025/03/30(日) 14:00
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