城多董 単語

キダタダス

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城多董とは、幕末莽の志士の一人である。

概要

保3年(1832年)2月22日近江甲賀農のに生まれる。

来航に触発され、莽の志士として事に奔走。水口の儒者・中村園、確堂子に師事し、京都で活動。肥後熊本士・宮部鼎蔵長州士・久坂玄瑞と交流を持つ。

慶応元年(1865年)、居中の岩倉具視と面会。当初多は合体運動に関わっていた岩倉に対して疑念を持っていたが、対面するとその非さを認め、岩倉の股肱の臣・松尾相永柳の図子党の一員として活動するようになる。

慶応3年(1867年)、有栖川宮熾仁親王近侍。新政府においては金穀出納取締に任じられる。

維新後、元老院少書記官に任じられ、正六位に叙せられる。

明治17年(1884年)、岩倉心として活動した経験を元に『岩倉実記』編纂に携わる。

明治24年(1891年)10月3日死去。享年60。

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