杉山弥一郎とは桜田門外の変に関与した桜田十八士の一人である。
文政7年(1824年)、水戸藩鉄砲方・杉山弥十郎の子として生まれる。諱は当人。
水戸藩士ではなかったが剣術を学び、尊王攘夷の志士として活動。安政6年(1859年)に徳川斉昭が駒込藩邸に幽閉された際には単独で出府し警備についた。この時期金子孫二郎や高橋多一郎の知遇を得、井伊直弼暗殺計画に加わる。同志の益子金八と共に脱藩し、江戸で潜伏。3月3日の襲撃に参加し、負傷しながら同志の黒沢忠三郎、大関和七郎、森五六郎らと熊本藩上屋敷に自訴。その後村松藩に預けられた後、文久元年(1861年)7月26日、処刑。享年38。贈正五位。
2017年12月、彼が製造した火縄銃が長野県上田市の山家神社の宝物庫で発見されたと発表された。
長さ約1メートルで口径は19ミリ。所蔵の経緯やどのように使われたのかは分かっていない[1]。
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最終更新:2024/12/27(金) 07:00
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