津村明秀 つむら あきひで |
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基本情報 | |
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国籍 | ![]() |
性別 | 男性 |
出身地 | 千葉県船橋市 |
生年月日 | 1986年1月5日 |
騎手情報 | |
所属 | 日本中央競馬会(JRA) |
フリー(美浦T.C.) | |
初免許年 | 2004年 |
免許区分 | 平地(障害免許は2011年に返上) |
重賞勝利 | 18勝 |
騎手テンプレート |
競馬サークルの出身ではないが、競馬好きの父とテレビ観戦をしたり、競馬場に連れて行ってもらっていた。小学4年生時にナリタブライアンに騎乗する南井克巳騎手の姿を見て「かっこいい」「僕もこの舞台に立ってみたい」と感じて騎手を志し、小学5年時から乗馬を始めた。
2001年、競馬学校騎手課程第20期生として入学。同期には川田将雅・藤岡佑介・吉田隼人・丹内祐次らがいる。余談だが、競馬学校では通年なら10名前後が入学して1~2名が退学・留年するところ、入学15名+留年2名の大所帯だった第20期生にはかなりのスパルタ教育が行われ、最終的に8名しか卒業出来なかった。そのため20期生間のライバル意識はかなり強く、リーディング上位に名を連ねる者も多い。
2004年に騎手免許を取得し、美浦T.C.の鈴木伸尋厩舎への所属が決まった。
2004年、中京競馬場1R 3歳未勝利にブーゲンベリアに騎乗してデビュー(4着)。同月21日、中京競馬場5R をマグマヴィーナスで勝利し、16戦目で初勝利を挙げた。しかし同日の7R発走前に騎乗馬のマイティーキングに振り落とされて落馬し、左手を骨折する不運に見舞われた。同年は8勝を挙げて、民放競馬記者クラブ賞を受賞。
翌年以降は順調に勝ち星を伸ばしていき、2005年には36勝、2006年には22勝を挙げた他、タマモサポートに騎乗してラジオNIKKEI賞(GⅢ)を勝ち、重賞を初制覇する。
翌2007年には38勝を挙げたが、通算100勝を超え減量特典が無くなると失速。以降数年は年間10~30勝前後で推移していった。2010年には落馬による負傷で第2頸椎骨折・右肘挫傷の重症を負い、約5ヶ月間騎乗できないなど不運もあった。
2014年、重賞2勝を挙げると、徐々に成績を向上させていき、2017年には重賞2勝を含む、51勝を挙げて、リーディング19位と飛躍。以降は中堅騎手として年間40~50勝と安定した成績を残していった。
2023年、重賞2勝を含む56勝を挙げ、全国リーディングでも15位とキャリアハイの成績を残した。同年通算600勝を達成した際には「もっと勝たなければいけないと思っている」と今後の意気込みを語っていた。
2024年、ヴィクトリアマイル(GⅠ)ではテンハッピーローズに騎乗。単勝オッズ208.6倍のブービー14番人気と低評価ながら、直線で抜け出すとそのまま押し切ってGⅠ初勝利。デビュー21年目、47回目のGⅠ挑戦での悲願成就となった。インタビューでは涙ながらに「あきらめちゃ駄目だと毎年思ってやってきた」と語った他、家族に対して感謝を述べていた。
※太字はニコニコ大百科に記事のある競走馬、津村騎乗での重賞勝ち鞍のみ(一部例外アリ)記載
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最終更新:2025/03/30(日) 04:00
最終更新:2025/03/30(日) 03:00
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