那須資永(なす・すけなが ? ~ 1514)とは、下野国の戦国大名である。上那須家5代/那須家16代当主。白河政朝の次男。白河顕頼の弟。
祖父・白河直朝の代に築き上げた最盛期を更に勢力を広げたいという父・白河政朝の思惑と、当時那須氏は内紛により二分しており、下那須氏相手に有利となって大きな後ろ盾を得たい上那須氏の思惑が合致した形で那須資親の婿養子として上那須家の後継者として迎えられた。
当時は資親に男子はなく資永に本気で継がせようと考えていた。
しかし、1510年前後に実子・那須資久が誕生すると、他家の例に漏れず、養子より実子に継いでもらいたいという親の情が湧き、死の寸前の遺言で資永を討って資久に継がせるよう残してしまう。
とりあえずは福原城に拠って家督を継承することになってはいたが、山田城の那須資久に味方する軍勢は資永の5~10倍くらいだったという。(一説によると資久方300、資永方50)
箒川において決戦を行うも勝敗はつかず、夜になると福原城へと戻った。
幸か不幸か大雨が降りしきり、資久は家臣を山田城へと密かに派遣し、謀略をもって闇夜に乗じて資久の身柄を確保することに成功し、福原城へと拉致した。
8月3日に資永は資久を斬首して城に放火して自害して果てた。
敵対相手もろとも道連れにすることで一矢報いることに成功したが、結局は上那須家断絶という憂き目になった。
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最終更新:2025/12/10(水) 11:00
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