812
811 ななしのよっしん
2024/12/01(日) 14:23:49 ID: DLcit3LmDR
初めて知ったんだが、義信が幽閉されている間も勝頼は
直ぐに後継者扱いされておらず、義信死後に消去法で後継者になったらしいですね。
信玄は義信と和解して、義信を嫡男に復帰させたかったけど
義信が病死してしまった。残された息子の内、次男は盲目。
三男は早生。四男の勝頼は庶流だから飛ばして、
油川夫人所生で嫡流扱いの五男仁科盛信に白羽の矢が立ちそうだったが当時は幼かったので勝頼と。
織田との姻戚同盟でも勝頼と遠山夫人(信長養女)との婚姻後、
嫡流同士の婚姻(信忠と松姫)が結び直されるという。
勝頼は武田の中で庶流としての扱いを徹底的に受けている。
これでは穴山氏を筆頭に武田庶流の国衆に内心軽んじられても不思議ではないと個人的に思った。
三条夫人所生の見性院なんて嫡流である自分が産んだ穴山勝千代の方が庶流の勝頼より武田家当主に相応しいんだと自負してそうに思う。
812 ななしのよっしん
2025/01/06(月) 14:59:42 ID: ydbzCxBn8y
信玄としては勝頼に母の血筋を活かして甲信の連絡路である諏訪を任せ続けたかったのでしょう
諏訪が安定しないと、謙信と戦うどころではないし
とはいえ諸々あってそうも行かなかったので、義信存命時から勝頼を自慢するお手紙を他勢力に送ってます
この辺りは流石信玄
また勝頼を侮ったと見なされがちな穴山信尹は当時の史料では勝頼に献身的で、一門衆の大幹部武田信豊や武田信実、一条信龍らも勝頼に忠実
山県昌景たちも同様
元亀の駿河侵攻が一度失敗して武田家が危機に陥った時に勝頼の大活躍もあって武田家は持ち直したので、この時勝頼は武田家の子という血筋だけでなく実績においても信頼できる主家という評価を彼らから受けたのかもしれません
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