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エイトクラウン

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エイトクラウンとは、1962年産まれの競走馬、繁殖牝馬。宝塚記念を牝馬で制した初めての馬である。

主な勝ち鞍
1964年:阪神3歳ステークス
1966年:鳴尾記念、宝塚記念

概要

父:ヒンドスタン
母:アルペンローザ
母父:Chamossiare(シャモセール)

父は7度リーディングサイアーに輝いた名種牡馬。代表産駒はシンザンやダイコーターなど。母父のChamossiareは1945年のセントレジャーを制し、種牡馬としても1964年に英愛でリーディングサイアーに輝いたこちらも名種牡馬。ちなみに、タイキシャトル(母母母母父)やサクラユタカオー、サクラスターオーなどの血統表にその名前を見る事ができる。

とまあ、このようにエイトクラウンは裏付けのある良血の牝馬であった。愛知トヨタ自動車の社長である山口昇の持ち馬となり、1964年8月にデビューする事となる。馬名は同年発売の高級車「クラウンエイト」が由来。クラウンエイトで当初馬名審査したところ、「商品と同じ名前は認められない」と却下されてしまっている。

快速娘、爆進中!

(馬齢は当時の表記を優先)

1964年8月の中京競馬場、ダートの1000m戦でデビュー。ここは9着と惨敗するも、中1週の同条件のレースで初勝利を挙げる。オープン戦の2着を挟み、10月の野路菊特別を勝利する。ここから連勝街道が始まり、4連勝で阪神3歳S(現:阪神JF)を当時のレコードタイムで制覇する。当時は牡馬との混合戦であるし、牡馬牝馬の格差もあったのでその価値は現在以上と言えるかもしれない。この結果より、最優秀3歳牝馬を受賞する事となる。

明けて4歳、3月のオープン戦を勝利し連勝を5に伸ばす。1番人気、単勝2.3倍も納得の成績で桜花賞に臨む事となったのだが……。

挫折

桜花賞、エイトクラウンは4着に敗れてしまう。

勝ったのは加賀武見騎手が騎乗した3番人気のハツユキ。この馬、レース前にフケ(発情)の兆候があり、走らないかもしれないと聞いた加賀が「発情した牝馬は馬群に近づく習性がある、ならば逃げてやろう」と逃げを打ち、そのまま逃げ切ってしまったのである。

続く4歳牝馬特別でもハツユキに完敗、どころか差はさらに広がり9着。ハツユキが回避(そのまま引退)したオークスでは距離も向かない、状態も落ちる…と最悪の状態。これでは競馬にならずブービーの16着であった。ちなみに、勝ったベロナの騎手はまたしても加賀武見。史上初の「異なる馬で2冠達成」を、それもどちらも逃げ切り勝ちで達成したのであった。

5ヶ月しっかり休養したエイトクラウンは10月、ダートのオープン戦から始動し、ここを人気に応えて勝利する。捲土重来、次走に選んだのは……菊花賞だった。

ない物には出られない

なぜか?これは仕方ない事情があったのだ。

現在なら秋華賞なり、マイルで実績があったのでマイルCSを選択したかもしれないが、当時はそんなレースはない(秋華賞は96年、マイルCSは84年新設)。ではエリザベス女王杯……どころか、その前身のビクトリアカップも存在しないのだ。現代ではメロディーレーンが挑戦してかなり話題になったが、当時は珍しくも何ともなく、この年はエイトクラウンだけでなく、セントライト記念を制したキクノスズランも牝馬ながら菊花賞に出走している。

先頭のダイコーターがゴールしてから遅れる事5.3秒、エイトクラウンはブービーの17着でゴールした。幸い(?)ダメージは大きくはなく、この年はさらに2戦走って5着、暮れに開催された愛知杯で2着となり、クラシックシーズンを終えた。

明けて5歳、オープン2戦を4着、3着と1番人気に応えられず、人気を落とした中京記念で5着。オープン戦に戻り3着を挟んで、4月に阪神の芝1800mで8戦ぶりに勝利を挙げる。さあ次はどこに出ようか?

①ヴィクトリアマイル:そんな物はない(2006年新設)

②大阪杯:適条件だがこの年は3月20日開催

③阪神牝馬S:当時もあったけど開催は年末

天皇賞・春←これに決定

結果はまたまたブービー。さらに続くマイルのオープン戦も4着に敗れてしまう。もう旬は過ぎてしまったのだろうか、彼女は時代が悪かった馬で終わってしまったのだろうか…

天才少女、復活

次走は鳴尾記念(この年は増築工事などの関係で京都開催)。ここで陣営は鞍上に内藤繁春を迎える。そう、これはビックリダイユウサクが有馬記念を制した際の調教師である。この前年ぐらいから勝利数が伸びており、当時は充実期にあった騎手だった。

近走は微妙だし、1800までしか勝ちのない馬に2400mは…と言う事で斤量は52kg(当時はハンデ戦)、人気も11頭中の7番人気なのも妥当だろう。しかし、軽い斤量も活かして2馬身差をつけて快勝。距離への不安も克服した事もあり、陣営は次走に宝塚記念を選択した。

とは言え、前走は斤量にも恵まれた事もあったので、人気が4番人気にとどまったのも無理はない。しかし、スピード型の先行馬である彼女にはありがたい最内枠。レースは4歳馬のシバハヤが逃げる中を理想通りの2番手追走。4コーナー手前で先頭に並びかけると早め先頭で直線に入る。こうなるとエイトクラウンのスピードを止められない。3馬身1/2差、レコードタイムでの完勝だった。時代や環境にも泣きながら走り続けた彼女に、3歳時以来のビッグタイトルは舞い込んで来たのであった。

この後の現役生活はオマケなのかもしれない。

3戦して2着が2回、翌年の1月、ダービーで寺山修司が10万円を突っ込んだニホンピローエースに敗れて引退、繁殖牝馬となった。

繁殖牝馬としても優秀で、代表産駒はナオキとクラウンピラードの2頭。ナオキは母に似てスピード型の馬に成長し、75年に鳴尾記念と宝塚記念を母子制覇を達成。母系のスタミナを受け継いだクラウンピラードはTTG世代と争い77年の天皇賞を春・秋ともに2着に入った。

1991年11月6日、この世を去った。彼女に続く牝馬2頭目の宝塚記念制覇は、2005年のスイープトウショウまで待たなければならない。

血統表

*ヒンドスタン
1946 黒鹿毛
Bois Roussel
1935 黒鹿毛
Vatout Prince Chimay
Vasthi
Plcky Liege Spearmint
Concertina
Sonibai
1939 黒鹿毛
Solario Gainsborough
Sun Worship
Udaipur Blandford
Uganda
*アルペンローザ
1951 栗毛
FNo.2-f
Chamossaire
1941 鹿毛
Precipitation Hurry On
Double Life
Snowberry Cameronian
Myrobella
Stargrass
1942 鹿毛
Noble Star Hapsburg
Hesper
Grass Widow Son-in-Law
Silver Grass
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

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関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • 1965年クラシック世代
  • 宝塚記念
  • ナオキ(競走馬)
  • 宝塚記念を制した後輩牝馬たち
    • スイープトウショウ
    • マリアライト
    • リスグラシュー
    • クロノジェネシス
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