ナオキとは、1969年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。栗毛の牡馬。
中京競馬場で無類の強さを発揮した、人呼んで「桶狭間の主」。史上初の宝塚記念母子制覇を達成したことでも知られる快速馬である。
主な勝ち鞍
1973年:中京記念
1974年:金杯(西)
1975年:中京記念、鳴尾記念、宝塚記念
※当記事では活躍した当時に合わせて旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。
父サウンドトラック、母エイトクラウン、母父ヒンドスタンという血統。
父サウンドトラックは現役時代ジュライステークスなど8戦7勝。全戦が芝5ハロンという短距離の専門家だった。他の産駒には阪神3歳ステークスを買ったロングワンなど、やはりスプリンターが大半を占めている。
母エイトクラウンは史上初めて宝塚記念を勝った牝馬。他には当時牡牝混合で中々牝馬が勝つことが出来なかった阪神3歳ステークスも勝利。しかも2戦ともレコード勝ちだった。
母父ヒンドスタンはシンザンを筆頭に当時長距離競走を中心としていた日本競馬に多くの活躍馬を送り出していた大種牡馬。その重厚なスタミナは母を通じて大きな力を与えていた。
1969年4月25日に母と同じく三石町の大塚牧場で誕生。母の馬主であった愛知トヨタ自動車株式会社の社長山口昇氏の法人名義桜山ホース株式会社の所有になり、オーナーの娘婿である山口直樹氏から「ナオキ」と命名された。
母と同じ栗東の田中康三厩舎に入厩し[1]、1971年8月の新馬戦で母エイトクラウンにも跨った佐々木昭次騎手を鞍上にデビュー。しかしなかなか勝ち上がることが出来ず、また思うように出走も出来なかった。結局4戦目となる翌年9月の未勝利戦を勝利したものの、クラシックには全くかかわることは出来なかった。10月に200万下を突破した次走は3着と足踏みしたものの年末から翌2月までにかけての中京開催で一気に3連勝。5歳3月に中京記念で重賞初挑戦すると6番人気を跳ね返してとんとん拍子に重賞初制覇を果たした。
次走の鳴尾記念では中京記念で破ったシンザンミサキに半馬身及ばず2着となったものの八大競走初挑戦となった天皇賞(春)では15頭立てでタイテエムの4着と好走、オープン戦の勝利を挟んで出走した宝塚記念でもハマノパレード、タイテエムの僅差3着として一線級の相手とも戦えるところを見せて夏の休養に入った。秋は10月から復帰してオープン戦を2戦1勝2着1回として天皇賞(秋)、有馬記念に挑戦したが、どちらも同期のタニノチカラ、ストロングエイトの6着に敗れている。
6歳となった1974年は金杯(西)から早くも復帰。実績が抜けていたことから1番人気の支持を受け、それに応えて3馬身差のレコード勝ち。しかし以前骨折した前脚に骨膜炎を負ってしまい戦線離脱を余儀なくされ、秋に難とか復帰したもののオープン戦を叩いて出走した天皇賞(秋)では17頭立て15着と大敗を喫し、6歳シーズンは不本意な形で終えることになった。
6歳を丸々棒に振ってしまったこともあり7歳となった1975年も現役を続行。2月の中京1600mのオープン戦で復帰すると重馬場を物ともせず勝利。次走の中京記念でも1番人気の支持を受けて2年振り2勝目を挙げた。更に2年前に敗れていた次走の鳴尾記念ではトップハンデを背負ってレコード勝ちし、母のエイトクラウンとの母仔制覇を達成。年始からの3連勝の実績をひっさげて今度こそと天皇賞(春)へ向かったが、折り合いを欠いて早々に先頭に立ってしまい、最終直線で早々に脱落し6着に敗れた。
地元阪神でオープン戦をレコード勝ちした後、ナオキは同じく2年ぶりの挑戦となる宝塚記念に7頭立て2番人気で出走。1番人気は天才福永洋一鞍上の天皇賞3着馬ニホンピロセダン。ナオキは発走直後から勢いよく先頭に飛び出して行き、実況の杉本アナウンサーは「ナオキ先頭です。これはもう仕方のないところでしょう。」と春天の走りを念頭に実況した。しかし小林騎手とナオキは今回は折り合いをつけてスローペースを演出し、それを察知して前目に付けてきたニホンピロセダンやイナボレスを最終直線でただ1頭突き放して2馬身半差を付けて優勝。鳴尾記念に続き母エイトクラウンとの史上初の宝塚記念母子制覇を達成した。
宝塚記念の後は中京競馬場を得意としていながら今まで縁が無かった高松宮杯に出走。しかしながらトップハンデが響いてか「華麗なる一族」の快速牝馬イットーや小倉三冠馬ロッコーイチに敗れ4着。中京競馬場では初めての敗北だった。夏の休養を挟んだ秋競馬でも60kgのトップハンデが常態化してなかなか思うような走りが出来ず、11月の天皇賞(秋)7着の後左脚の骨折が判明し引退した。通算成績30戦13勝。うち重賞5勝。中京競馬場では7戦6勝と無類の強さを誇った。
引退後は当時の内国産馬としては珍しくシンジケートが組まれて種牡馬入りした。デビューした産駒も200頭とかなりの人気を集めたが、全体的に成績が悪くあっさりシンジケートは解散。1983年からは宮城県に移動している。一応産駒の中からはチェリーテスコなど中央の重賞を勝つ産駒も出たが、種牡馬として大成功とまではいかなかった。1990年に種付けをしようとした際に痙攣して倒れ死亡。22歳没。
*サウンドトラック Sound Track 1957 栗毛 |
Whistler 1950 栗毛 |
Panorama | Sir Cosmo |
Happy Climax | |||
Farthing Damages | Fair Trial | ||
Futility | |||
Bridle Way 1952 鹿毛 |
Mustang | Mieuxce | |
Buzz Fuzz | |||
Straight Path | Straight Deal | ||
Double Rose | |||
エイトクラウン 1962 鹿毛 FNo.2-f |
*ヒンドスタン 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Sonibai | Solario | ||
Udaipur | |||
*アルペンローザ 1951 黒鹿毛 |
Chamossaire | Precipitation | |
Snowberry | |||
Stargrass | Noble Star | ||
Grass Widow |
クロス:Solario 5×5×4(12.50%)、Fairway=Pharos 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/06/05(水) 07:00
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