エルウェーウィン 単語


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エルウェーウィン

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エルウェーウィンL-Way Win)とは、1990年生まれの日本の競走馬。黒鹿毛の牡馬。

ほぼ4年にわたる長い長い長い長い雌伏を経て復活の重賞制覇を挙げた、1992年の3歳王者。

主な勝ち鞍
1992年:朝日杯3歳ステークス(GⅠ)
1996年:アルゼンチン共和国杯(GⅡ)

概要

Caerleon、母Rustic Lace、母父Rusticaroという血統のアイルランド産馬。
父カーリアンは2度の英愛リーディングサイアーに輝いた欧州の名種牡馬だが、産駒は日本にも適応し、シンコウラブリイ、ビワハイジ、フサイチコンコルドなどを送り出した。エルウェーウィンは6年目の産駒。
母はアイルランドで6戦1勝、G3で2着が1回。産駒は3頭しかいないらしく、第3仔のエルウェーウィンが最後の仔である。
母父ラスティカロはフランスでG3を4勝したCaro産駒。日本で走った直仔はおらず、母系でその血を引いた馬も日本では数えるほどである。

1990年2月24日、アイルランドで誕生。オーナーは「エルウェー」の冠名を用いた雑古隆夫。勝負服は大井の御神本訓史騎手の騎手服と同じ柄で、これは御神本騎手がエルウェーウィンのファンだったからだそうである。
ちなみに彼の馬名の英字表記には­ハイフン(-)が用いられているが、その後馬名にハイフンは使えなくなり、「エルウェー」冠の英字表記は「Elway」になった。

※この記事では馬齢表記は当時のもの(数え年、現表記+1歳)を使用します。

勝利への長い道

Light-Way-Win

アキヒロホマレやムービースターを管理した、栗東・坪憲章厩舎に入厩。1992年10月18日、京都・芝1600mの新馬戦で岸滋彦を鞍上にデビューしたエルウェーウィンは、単勝3.0倍の2番人気に支持されると、6番人気の伏兵マルカカルメンの追撃をハナ差凌ぎきってデビュー勝ちを飾る。

続いて当時は芝1800mの京都3歳ステークス(OP)に向かうと、早めの仕掛けで押し切りを図ったが、1番人気マルカツオウジャの猛追を受け、完全な横並びでゴール。結果は1着同着となった。

ハナ差、同着と超僅差続きとはいえ2戦2勝で、エルウェーウィンは朝日杯3歳ステークス(GⅠ)へと乗りこむことになった。鞍上は当然、引き続き岸滋彦……ではなく、南井克巳に乗り替わり。若手が大一番でベテランに乗り替わられた……のではなく、この朝日杯、岸騎手はもう1頭お手馬がいたため、そっちを選んだのである。そのお手馬とは他でもない、単勝1.3倍の断然の支持を受けていたビワハヤヒデ。来年のクラシック有力候補に対し、エルウェーウィンはマル外なのでクラシックへの出走権はないとあっては、さすがに岸騎手がハヤヒデを選ぶのも仕方あるまい。完全なハヤヒデ一強ムードの中、エルウェーウィンは12.2倍の3番人気に支持された。
しかしこれだけ抜けた馬がいれば、その馬をマークするという作戦が採りやすい。南井克巳はビワハヤヒデの真後ろにつけて徹底マークする。3角で早めに動いたビワハヤヒデに対し、デビューから2戦を超僅差で勝ってきたエルウェーウィンの勝負根性を信じた南井騎手は、「馬体を併せれば勝負になる」と4角で馬体を併せにいった。そして直線、抜け出した2頭が横並びの追い比べとなったが、エルウェーウィンが僅かに前に出る。ハヤヒデも必死に食い下がりゴールまで激しい叩き合いとなったが、写真判定の結果、僅かにハナ差エルウェーウィンが押し切っていた。

持ち前の勝負根性で「一強」を退け、3歳王者に輝いたエルウェーウィン。坪師、雑古オーナーとも嬉しいGⅠ初制覇となった。当時マル外にはクラシックの権利もなければ、マル外ダービーことNHKマイルカップすらなかったからこそ、この一戦を全力で獲りにきた、そのぶんだけのハナ差だったのかもしれない。

……そしてこの勝利は、同時に長い長い長い長い苦難の始まりであった。

Long-Long-Long-Way

エルウェーウィンの苦難の始まりは朝日杯後の内臓疲労と脚部不安であった。どうせクラシックには出られなかったとはいえ、丸1年近い長期休養で4歳シーズンをほぼ棒に振ってしまうことになる。11月にようやく復帰し、南井克巳とともに京都・芝2000mのトパーズステークス(OP)をハナ差2着として有馬記念(GⅠ)に果敢に乗りこんだが、ずるずると位置を下げてブービー13着惨敗。トウカイテイオーの復活劇の2着に敗れたビワハヤヒデとは、いつの間にかあまりに大きな差が開いてしまっていた。

明けて5歳となっても苦難は続く。岸滋彦が戻り1番人気に支持された関門橋ステークス(OP)は8着撃沈、読売マイラーズカップ(GⅡ)では上がり最速でノースフライトの3着に好走したが、そのあとまた9ヶ月の長期休養となる。
5歳12月に復帰してからの彼は、もはや栄光のGⅠ馬ではなく、過去の栄光も色褪せた流浪のオープン馬でしかなかった。収得賞金は3歳時に稼いだ、ギリギリオープン馬でいられる分しかなく、マイル~2000mのオープン特別を走る日々。完全に衰えたりやる気を無くしてボロ負け続きというわけではなく、先行しても後ろから差してもちょくちょく馬券には絡んだが、勝てない。勝てない。勝てない。
6歳となった1995年は7戦して3着が4回。7歳となってからはハイペースで出走を重ねたが、むしろ戦績は下り坂となり、着外の結果が重なっていく。

朝日杯で下したビワハヤヒデもとうにターフを去り、エルウェーウィンはもはや引退のタイミングを逃して希望もなく走り続けるしかなくなった、哀れな早熟3歳王者でしかなかった。

Long-Way-Win

そんな彼の苦難の日々に終止符が打たれたのは、7歳シーズンの実に15戦目アルゼンチン共和国杯(GⅡ)でのことであった。4歳時の有馬記念以来となる2500m戦。鞍上もそのとき以来の南井克巳を迎えたエルウェーウィンは、しかし既にGⅠ馬であることすらほぼ忘れられていた。朝日杯の勝利からほぼ丸4年が経ち、一線級とは言い難いメンバーのハンデ戦で斤量53kg、50.0倍の14番人気というのが当時の彼の立ち位置を雄弁に物語っている。
しかしこの日、4年間負け続けても消え去ることのなかった闘志が、老兵の魂を燃え上がらせた。最後方からレースを進めたエルウェーウィンと南井克巳は、4角から外を回って進出すると、府中の直線で末脚が炸裂。大外一気で前を呑み込んで突き抜け、後ろから追いすがるトウカイパレスを全く寄せ付けず、1馬身半差をつけて彼は4年ぶりに先頭でゴール板を駆け抜けた。

朝日杯以来、実に3年11ヶ月、1434日ぶりの重賞制覇。JRA史上最長間隔重賞勝利記録となった。奇しくもこの日の府中では、4年前に朝日杯で下したビワハヤヒデの弟、三冠馬ナリタブライアンの引退式が行われていた。南井が久々に彼に騎乗したのも、この引退式のために府中に来ていたからである。去りゆく三冠馬に、かつてその兄を倒した3歳王者としての矜持を見せつけるように、エルウェーウィンは復活を遂げたのだった。

その後

エルウェーウィンはその後、3年ぶりの有馬記念(GⅠ)に出走したが、さすがに壁は高くブービー13着。明けて8歳初戦のブラッドストーンステークス(OP)を2馬身半差で快勝し、老兵まだまだ衰えずというところを見せたが、間の悪いことにこの勝利のあと、再び脚部不安で10ヶ月の休養を余儀なくされる。

9歳となった1998年、彼はターフに戻ってきたが、長い苦難を乗り越えた老雄もさすがに寄る年波には勝てず、掲示板入りもならない惨敗が続き、6月の鳴尾記念(GⅡ)10着を最後に現役引退となった。通算40戦5勝 [5-2-7-26]。

引退後は静内スタリオンステーションで種牡馬入り。初年度こそ26頭の牝馬を集めたが、2年目は13頭、3年目からは2頭となり、5年目の2003年にはもう種付け数がゼロとなって、この年限りで種牡馬引退。産駒は25頭、中央で勝利を挙げた馬は2頭のみであった。

種牡馬引退後はオーナーと縁がある越田牧場で功労馬として繋養されたのち、2010年春にうらかわ優駿ビレッジAERUに移動し、ヒシマサルやケイティタイガーとともに過ごした。2011年3月には白老町のホースガーデンしらおいに移動してそちらで余生を過ごし、2016年4月7日に死亡した。26歳だった。

エルウェーウィンの最長間隔重賞勝利記録はその後、2006年にメジロマイヤーが1457日ぶりという記録を出して更新、さらに2010年にはダンスインザモアが5年8ヶ月ぶりという大幅な記録更新を果たしたが、どちらも間にオープン特別を勝っていたため、間に勝利を挟まない重賞勝利としては、エルウェーウィンの記録は実に四半世紀にわたって保持され続けた。
この記録が更新されるのは2021年、マカヒキの京都大賞典でのことになる。

血統表

Caerleon
1980 鹿毛
Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Foreseer
1989 黒鹿毛
Round Table Princequillo
Knights Daughter
Regal Gleam Hail to Reason
Miz Carol
Rustic Lace
1981 芦毛
FNo.4-g
Rusticaro
1975 芦毛
Caro *フォルティノ
Chambord
Rustica Ribot
Ruthin
Lacey Brief
1973 鹿毛
Roi Dagobert Sicambre
Dame d'Atour
Mizzen New Providence
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クロス:Bull Page 4×5(9.38%)

関連動画

ニコニコにはアルゼンチン共和国杯はおろかビワハヤヒデの朝日杯すら単独動画が無いのでYouTubeで探してください。

関連リンク

関連項目

  • 競馬
  • 競走馬の一覧
  • 1993年クラシック世代
  • ビワハヤヒデ
  • 岸滋彦 / 南井克巳
  • 外国産馬
  • マカヒキ
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