ランド(Lando)は、1990年生まれの
ドイツの競走馬・種牡馬。ドイツ調教馬として初、そして現時点では唯一のジャパンカップ制覇を成し遂げた、ドイツ競馬史上有数の名馬である。
通算成績23戦10勝[10-2-1-10]
主な勝ち鞍
2歳(1992年):ジュニオレン賞(
L)、ヴァンターファヴォリット賞(
L)
3歳(1993年):ドイチェスダービー(
G1)、バーデン大賞(
G1)
4歳(1994年):バーデン大賞(
G1)、ジョッキークラブ大賞(
G1)、ハンザ賞(
G2)
5歳(1995年):ミラノ大賞(
G1)、メルクフィンク銀行賞(
G1)、ジャパンカップ(
G1)
父:Acatenango、母:Laurea、母父:Sharpmanという血統。ドイツ競馬の「馬名の最初の1文字は母と同じものにする」というルール通り、彼にも母と同じ「L」から始まる名前が与えられた。
生産者のイットリンゲン牧場が所有し、ドイツのハインツ・イェンチ厩舎の管理馬となったランドはデビュー戦こそ落としたものの、2歳戦を3戦2勝の成績で終えて、ドイツの最優秀2歳馬に選出された。
3歳時は4月のリステッド競走から始動したが、重馬場に足を取られて、2歳時に対戦して破っていたKornado(キャリアを通して11回も対戦している)から7馬身以上も差を付けられた5着に敗退。ドイツの2000ギニーに当たるメールミュルヘンスレネン(GII)でも重馬場に祟られてKornadoの6着に終わり、続けて出走したウニオンレネン(GII)でも良馬場に恵まれながらみたびKornadoの後塵を拝して7着に敗れた。
このためドイチェスダービーでは単勝12番人気にまで評価を落としてしまったのだが、レースでは最後方から勝負どころで徐々に位置を上げていき、先行抜け出しを図った同厩の重賞馬Monsunを差し切って勝利。勝ち時計はレースレコードを2秒更新する素晴らしいものだった。
8月のオイロパ選手権(GIII)では5回目の対戦となるKornadoの2着に敗れたものの、9月に行われるドイツ競馬の大一番・バーデン大賞(GI)では、前年の2着馬でGI2勝のPlatiniをクビ差競り落として勝利。ドイチェスダービー・バーデン大賞とドイツの大レースを制したため年度代表馬の候補にもなったのだが、6戦2勝2着1回、他の3戦は6馬身以上離されての着外という不安定ぶりが仇となり、アラルポカル・オイロパ賞のGI2勝を含む8戦6勝2着2回という非常に堅実な成績を残したMonsunに年度代表馬の座を譲ることになってしまった。
4歳時は6月のGII・バーデン経済大賞から始動したが、前年に露呈した重馬場での弱さが改善されることはなく、不良馬場の中でKornadoの7着に敗退。しかし良馬場となったハンザ賞(GII)では巻き返しに成功し、前年のダービーで3着に破ったSternkonigを半馬身退けて勝利した。
ところがメルクフィンク銀行賞(GI)では伸びきれずにSternkonigの4着、アラルポカル(GI)でも勝ったRiver Northから9馬身3/4も離された5着に敗戦。これによりバーデン大賞では前2走で対戦して3着・2着と2回ともランドに先着していたMonsunに1番人気を譲ったが、レースでは鋭く伸びてMonsunを差し切り、2馬身差で勝利した。
この後ランドは初めて他国のレースに出走し、手始めに凱旋門賞に出走。ここでは流石に分が悪く*カーネギーの8着に終わったが、イタリアに転戦して出走したジョッキークラブ大賞(GI)では今までの末脚勝負と異なる先行策を取り、悠々と抜け出すとそのまま6馬身差で圧勝した。
バーデン大賞連覇が評価されたのか、ランドはこの年の年度代表馬に輝き、ドイツ・イタリアの最優秀古馬も受賞した。
5歳時も前年と同じバーデン経済大賞から始動し、ここではMonsunとKornadoに先着したまでは良かったが、やっぱり重馬場では持ち味を発揮出来ず3着。しかしイタリアに遠征したミラノ大賞(GI)をレコード勝ちすると、地元に戻って出走したメルクフィンク銀行賞でも、逃げた弟のダービー馬Larocheをかわして勝利した。
だが66年ぶり3頭目の3連覇を賭けて1番人気で出走したバーデン大賞では、馬場状態の悪さが響いて5馬身差で圧勝した2番人気Germanyの7着に敗退。Kornadoが4着となっており、これが最後の対戦となった同馬との対戦成績はランドの5勝6敗という負け越しに終わっている。
続けて凱旋門賞に出走し、またしても不良馬場に祟られたものの、12番人気ながら直線でよく伸びて*ラムタラの4着に入った。しかしアメリカで出走したブリーダーズカップ・ターフでは重馬場に見舞われた上にレース中に負傷し、3角で早々に失速してブービー12着に終わった。
この時の怪我はさほど重くなかったため、この馬は日本向きだという主戦のマイケル・ロバーツ騎手の進言を受けたランド陣営はそのまま1ヶ月後のジャパンカップに来日した。主な対戦相手は三冠馬ナリタブライアン、女傑*ヒシアマゾン、ブラジル・アメリカでGI7勝のSandpit、善戦マンの*タイキブリザードなどで、ランドは6番人気となった。
レースはタイキブリザードが逃げ、そのまま直線でも粘っていたが、馬場の真ん中から鋭く伸びたランドがこれを残り200m地点でかわして先頭を奪取。後ろからは前年の凱旋門賞2着馬Hernando(
)と末脚に賭けた*ヒシアマゾンが迫ってきたが、4角5番手から上がり3F2位の切れ味でまとめたランドはそれらを1馬身半退けてゴールし、ドイツ勢として初のジャパンカップ優勝馬となった。
ランドはこれを最後に引退。2年連続でドイツ年度代表馬およびドイツ・イタリア両国の最優秀古馬となった。
引退したランドは故郷のイットリンゲン牧場で種牡馬として繋養され、2005~10年にかけてはフランスでも繋養された。初年度産駒からドバイデューティーフリーなどGI3勝のPaoliniが出るなど初動も上々であり、その後もコンスタントにGI級の馬を送り出した。流石に両親ともドイツらしい重厚な血統を組み合わせられているだけあって産駒にはドイツのレースで活躍した馬が多かったが、PaoliniやEpalo(シンガポール航空国際カップ)のようにドイツ国外で活躍した馬もいる。
そんなわけでコンスタントに重賞級の馬を送り出していたランドだったが、2013年8月、疝痛の手術後に立ち上がった際に脚を骨折。この事故が元で安楽死措置が執られた。サイアーラインは現在でも続いており、孫世代からもイットリンゲン牧場生産の2019年独ダービー馬Laccarioなどが出ている。
| Acatenango 1982 栗毛 |
Surumu 1974 栗毛 |
Literat | Birkhahn |
| Lis | |||
| Surama | Reliance | ||
| Suncourt | |||
| Aggravate 1966 鹿毛 |
Aggressor | Combat | |
| Phaetonia | |||
| Raven Locks | Mr. Jinks | ||
| Gentlemen's Relish | |||
| Laurea 1983 鹿毛 FNo.7-b |
Sharpman 1976 栗毛 |
Sharpen Up | *エタン |
| Rocchetta | |||
| Miss Manon | *ボンモー | ||
| Miss Molly | |||
| Licata 1973 鹿毛 |
Dschingis Khan | Tamerlane | |
| Donna Diana | |||
| Liberty | Birkhahn | ||
| Lis |
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最終更新:2025/12/16(火) 10:00
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