サミー・ソーサ(Sammy Sosa)とは、ドミニカ共和国出身の元プロ野球選手(外野手)である。
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ドミニカ共和国で生まれたソーサは、7歳の時に父を亡くし、靴磨きなどをして生計を支えていた。
1985年にドラフト外でテキサス・レンジャーズと契約し、1989年にメジャーデビュー。シーズン途中にシカゴ・ホワイトソックスにトレード移籍する。
1990年に153試合に出場し、7盗塁を記録。しかし翌年1991年は打撃不振に陥り、116試合の出場に留まった。1992年のシーズン開幕前にトレードでシカゴ・カブスに移籍する。
1993年に開花。カブス史上初の30-30(33本塁打、36盗塁)を達成。球団新記録の9打席連続ヒットや、球団タイ記録の1試合4盗塁を記録したのもこの年である。
1994年はチーム三冠王。1995年は2度目の30-30を達成。シルバースラッガーも初受賞するなど、カブスを代表するバッターになった。
1996年は38試合を残した段階で死球を受け、その試合を最後にソーサのシーズンが終わったが、124試合の出場で40本塁打を記録しており、フルシーズンなら50本は打っていたと思われる。またカブス史上初の。1イニング2本塁打も記録している。
1997年に通算1000本安打と200本塁打を達成したが、リーグトップ、カブス記録の174三振を喫した。この翌年からがソーサは凄かった。
1998年、この年までメジャーのホームラン記録はロジャー・マリスの61本塁打だったが、6月に20本塁打を放ち、マーク・マグワイアの対抗馬となり、9月13日にマリスの記録に並ぶ。この年はソーサが66本塁打、マグワイアがメジャー記録の70本塁打だったため、本塁打王の獲得はならなかったが、自身初のタイトルとなる打点王を獲得。シーズンMVPも受賞した。
1999年もマグワイアに本塁打王のタイトルを譲ったが、この年から制定されたハンク・アーロン賞の初代受賞者となった。
2000年は50本塁打に留まったが、マグワイアは怪我の影響で32本塁打に留まったため、本塁打王のタイトルを初めて獲得した。
2001年は3回目の60本塁打を達成したが、この年はバリー・ボンズが73本塁打を記録し、本塁打王のタイトル獲得はならなかった。
2003年6月3日のタンパベイ・デビルレイズ戦で折れたバットの中からコルクが見つかる。ソーサは練習用のバットを間違って使用してしまったと弁明したが、7試合の出場停止処分を受ける。この年には薬物疑惑も浮上し、この年以降成績が低下していった。
2005年にボルチモア・オリオールズに移籍したが、結果を残せずオフにFA。
2006年は所属球団がないまま、ワールドベースボールクラシック代表に選出される。
2007年にレンジャーズに復帰し、史上5人目の通算600本塁打を達成。しかし薬物疑惑が再び浮上し、オフにFA。現役続行に意欲を示していたが、所属球団なしのまま、現役を引退。
現在はドミニカで慈善活動を行っている。
| 通算:18年 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB | 2354 | 9896 | 8813 | 2408 | 609 | 1667 | 234 | 17 | 78 | 929 | 59 | 2306 | .273 | .344 |
なし
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最終更新:2025/12/11(木) 09:00
最終更新:2025/12/11(木) 08:00
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