スプートニクの恋人

文書１
〈人が撃たれたら、血は流れるものだ〉
　わたしは今、語れば長い運命のとりあえずの帰結として（運命にとりあえずという以外の帰結が果たして存在するだろうか、というのはなかなか興味深い問題ではあるのだけれど、それはさておき）、このギリシャの島にいる。ついこのあいだまでその名前さえ聞いたことのなかった小さな島に。時刻は……午前四時少し過ぎだ。もちろんまだ夜は明けていない。無垢なる山羊たちは平穏で集合的な眠りの中にもぐりこんでいる。––––

スプートニクの恋人とは、村上春樹による第9の長編小説である。

あまりにもすんなりとすべてを説明する説明なり概要なりには必ず落とし穴がある。それがぼくの経験則だ。誰かが言ったように、一冊の本で説明されることなら、説明されないほうがましだ。

『ねじまき鳥クロニクル』にて大きな転回を迎えた後に春樹が記した長編。20世紀最後の村上文学作品でもある。

原点回帰的なかなりシンプルなラブストーリーと言える一方、異性愛を主題に置きがちな春樹が主要人物にレズビアン・カップルを採用したり、小説家志望者のすみれを通して小説の中に多種多様な小説論や創作論が混在していたりと、かなり実験的な作りになっている。

私は日常的に文字のかたちであらすじを確認する。そうね？そのとおり！

小学校教師の「ぼく」は大学時代に知り合った小説家志望者のすみれに恋していたが、すみれは不思議な女性ミュウに恋していた。ミュウの元で働くことになったすみれから「ぼく」の元へ手紙が届く。彼女の声に導かれるままギリシャのとある小さな島にたどり着いたが––––

私は日常的に文字のかたちで作品にまつわるエピソードを確認する。そうね？そのとおり！

• 村上春樹批判の常套句のうちに、「か弱い乙女の自己犠牲」というモチーフがストーリーで濫用されている（『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』など）というフェミニズム由来のものがある。本作はおそらく春樹の長編としては突出して主体的な女性が物語を動かす方向性を持っており、春樹なりに現代の思考的潮流に応答した形を取ったといえる。

関連項目というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。

• 村上春樹
• レズ
• プーシキン

文書２
　現在の時刻は午後の2時半。外の世界は地獄のように暑く眩しい。岩と空と海が同じように白く輝き煌めいている。しばらく眺めていると、それらが互いの境界線を呑み込んでひとつの混沌へと溶けていくのがわかる。全ての意識あるものがむきだしの光を避けて、影のまどろみの中に沈み込んでいる。鳥さえ飛んでいない。