ノイジーマジョリティとは、その名の通り言論空間において声の大きい多数派のことである。
サイレントマジョリティという単語から、対応してノイジーマイノリティーという単語が生み出されるのは自然の流れである。
しかし、これを組み替えた「サイレントマイノリティ」や「ノイジーマジョリティ」という言葉はあまり使われない。多数派の意見が少数派の意見に優先するのはごく当たり前のことで、用語を割り当てるには及ばないからだ。
だか、ここでノイジーマジョリティという単語に内在する意味対して検討を加えてみたい
ノイジーマイノリティーとサイレントマジョリティの間にはどういう問題があるだろうか。先に述べたように多数派の意見が少数派の意見に優先するのはごく当たり前のことである。しかしノイジーマイノリティーは声の大きさでサイレントマジョリティを圧倒し、本来優先される権利のない少数派の意見を通してしまう。すなわち、ノイジーというのは、「声の大きさによって本来認められるべきでない権利を行使する」ことが問題として指摘する単語なのである。
さて、何度でも言うが多数派の意見が少数派の意見に優先するのは通常ならごく当たり前のことである。にもかかわらず、権利を認められるべき多数派がノイジーである、すなわち「声の大きさによって本来認められるべきでない権利を行使する」ような場面が果たして存在するのであろうか。
多数決の制度をとっていると、過半数で結託してしまえば常に結託した側の意見が通り、残りの者の意見は全く無かったことになる。このことを、公平の観点からみれば二通りの見方ができる。ひとつは、制度自体は多数派にも少数派にも同じように適用されているのだから公平であるという考え方である。もうひとつは、可能なら意見は人数に比例して反映されるべきだという見地にたてば、少数派の意見がゼロになる多数決制度自体が不公平だとする考え方である。
後者の立場にたてば、二者択一の場合はやむを得ないとしても、ある程度選択肢に幅がある場合まで少数派の意見を排除していしまうのは公平でなく、多数派による行き過ぎた権利行使であると言える。
以上からノイジーマジョリティという単語から導き出される意味は「多数派であることを利用して、多数派に認められるべき範囲を超えた権利を行使する、あるいは主張しようとする集団」であるということになる。
ノイジーマジョリティの存在は、インターネットにおいて誰しもが気軽かつ自由に言論を発することが可能になってから、インターネットにおいては日常的によく見られるようになった。
代表的なのがブログやtwitterなどにおける犯罪自慢行為に対する炎上である。「犯罪を自慢することは悪いことである」という言論自体は間違いなく大多数の人が賛成する意見である。しかし相手が悪人だからといって、悪人に対して何をやっても許されるわけではない。制裁と称して個人情報などを暴くなどの行為は、炎上中における意見そのものが多数派に属していてもやりすぎである。
数も多い上に声も大きいためとにかく目立つ存在であり、群集心理から過激化もしやすく、過激な意見が多数派になる危険性もはらんでおり非常に厄介な存在でもある。
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最終更新:2025/12/13(土) 21:00
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