今江敏晃(いまえ としあき、1983年8月26日-)は、京都府出身のゴリラプロ野球選手(内野手)である。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。
| 東北楽天ゴールデンイーグルス #8 | |
|---|---|
| 今江敏晃 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 京都府 |
| 生年月日 | 1983年8月26日 |
| 身長 体重 |
180cm 88kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 三塁手 |
| プロ入り | 2001年ドラフト3位 |
| 経歴 | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
| プロ野球選手テンプレート | |
2001年ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団。背番号は25。
ポジションは三塁手だが初様の為に三塁手を譲って二塁手を守ったこともある。元々は遊撃手。三塁手の守備では日本トップクラスで守備範囲が広い上にエラーが少なく2005年~2007年の3年連続三塁の守備率トップだった。
2005年にミスターロッテ、有藤道世がつけていた背番号8に変更。レギュラーに定着し打率.310、二塁打はリーグトップの35本を放つ。日本シリーズでは第1,2戦における8打席連続安打と、シリーズ打率.667という二つの日本シリーズ新記録を樹立、MVPを獲得するお祭り男ぶりで、ロッテ31年ぶりの日本一に大きく貢献した。
2006年はWBCに出場。世界大会であるために短期間ではあったがイチローとチームメイトになった。ところがその後の2006年、2007年は不調・ケガに見舞われ打率3割を大きく下回る苦しいシーズンとなった。
2006年契約更改で報道より多い1000万アップだった事を自らコメントした。選手自ら金額を言うと妬まれそうだが、本人は「これだけ貰う選手である、というプライドがある。そして球団に評価して貰ったということを伝えたかった」とコメントした、プロ意識の高さと男気を感じるゴリラ野球選手である。
2008年は9月7日までに117試合で打率.309、12本塁打と3年ぶりの3割と自身初の2桁本塁打と順調にきていたが、死球によるケガ(右尺骨骨折)で離脱。フルシーズンの成績とはならなかったものの、復調を感じさせるシーズンだった。しかし、2009年は再び成績を落とす。60打点を挙げたが、打率は.247と前年を大きく下回った。
2010年も9番で開幕を迎えたが、荻野貴司の離脱もあり2番を任され、打撃が好調であったことからシーズン後半は5番や6番での出場も増えた。最終的にリーグ3位の打率.331、3年ぶりの二桁となる10本塁打をマークし、完全復活となった。2005年同様日本シリーズで打ちまくり、2度目のシリーズMVPを獲得。
2011年は統一球の影響もあり打率.269、8本、21打点と成績を落とした。
2012年はキャプテンに就任。前半戦は好調だったものの持病の腰痛の悪化もあり、徐々に成績を下げ、8月以降はルーキーの鈴木大地との併用になることもあった。最終的には 打率.253、6本、47打点とさらに成績を下げた。
2013年も開幕当初は.250辺りをさまよい相変わらずの低空飛行だったが、他の選手を置くとなぜか成績が落ちてしまっていた魔の4番に今江を抜擢。すると別人のように打撃が絶好調となり、1か月もたたずに3割を超え、そのまま好調をキープ。ペナントレース終了間際でもロケットダッシュをかけ、最終的には.325でまさかの打率2位。本塁打も3年ぶりの二桁に10本に乗せ、3年ぶりに復活。
2014年は故障に悩まされ、打率.270、54打点と数字を落とした。
2015年は本塁打こそなかなか出なかったが、開幕から4番に座って3割前後の打率を残た。7月には調子を徐々に上げていたが、7月14日のオリックス・バファローズ戦の8回の打席で左手首に死球を受け、左尺骨骨折、左橈骨剥離骨折という重傷を負って登録を抹消され、復帰までにおよそ2ヶ月を要した。
9月10日に復帰を果たすが、復帰後の打率は.225と調子を落とし、本塁打も前半戦に記録した1本にとどまった。
CSファーストステージでは第1戦で大谷翔平の159km/hの直球をはじき返してタイムリーを記録した。オフにFA権を行使し、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。背番号8。
2016年は新天地にて中軸を期待されるも、故障と不振で2度二軍落ちを経験。二年連続で出場試合が100に届かなかった。8月26日のオリックスバファローズ戦で通算1500安打、10月5日の千葉ロッテマリーンズ戦では1500試合出場を達成。1500試合出場達成は慣れ親しんだQVCマリンフィールドでの達成となり、古巣のファンから往年を思わせる大歓声の「今江」コールで祝福された。
イチローの大ファンで、WBCでは川崎宗則とどっちがイチロー好きかを勝負したり、イチローの隣の席を奪い合ったりした。
そのWBCの韓国戦では三塁への送球を落球、決勝点の原因を作ってしまい「もう日本に帰っても生きていけない」と思ったという。しかし決勝では2点タイムリーヒットを放ち名誉挽回、WBC初代王者に貢献した。(5試合に出場し4打点)
PL学園時代部内で暴力事件を告発され、1年間の対外試合禁止処分で最後の夏を迎えられず引退したが、後に被害者は「今江先輩も同じに扱われるのは可哀想。今江先輩はいい先輩であり、全く事件には加担していなかった」と語っている。
まだ一軍レギュラーに定着できていない2004年に20歳で結婚、若者が勢いで結婚したのかと思われたが、奥さんは三十路で結婚適齢期だった(つまり10歳年上の姉さん女房)。野球界では年上夫人は良いとされている。
実際、結婚した翌年に今江はブレイクしている。
今江夫人は「ジャンクSPORTS」にプロ野球選手の妻として出演。今江がチャンスで打てずに帰宅した後、一人部屋で泣いていると語った。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ロッテ | 応援歌のピコカキコ一覧#98 | 8675 | |
| 楽天 | 応援歌のピコカキコ一覧#1382 | 14112 |
(2016年終了時点)
| 通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1500 | 5827 | 5323 | 580 | 1513 | 96 | 660 | 32 | 135 | 55 | 239 | 73 | 633 | 152 | .284 | .321 |
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最終更新:2025/12/07(日) 02:00
最終更新:2025/12/07(日) 01:00
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