北条実泰(1208~1263)とは、鎌倉時代に活躍した武将である。
北条義時と、おそらく伊賀朝光の娘・伊賀局の子で義時の六男。金沢流北条氏の祖。
1223年に将軍のそば近くに仕える祗候番に選ばれる。1224年には同母兄の北条政村と同様に伊賀氏の変に巻き込まれたと思われるが、詳細は不明である。
1230年に北条重時が六波羅探題として上洛した際、その後任として小侍所別当に就任した。ところが1234年に息子の金沢実時に別当の座を譲って突如として出家する。藤原定家の日記である『明月記』には精神の安定を崩したような振る舞いが噂として記されているが、実際のところは不明である。
とはいえ上の没年にもある通りその後30年近く生き、またこの出家で彼の金沢流北条氏に影響が及んだというわけでもなかったようだ。
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最終更新:2025/12/07(日) 04:00
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