吉田沙保里とは、日本のレスリング選手である。ALSOK所属。
レスリングの階級はフリースタイル53kg級で、オリンピック3連覇中(2004アテネ・2008北京・2012ロンドン)、世界選手権13連覇中(2002・2003・2005~)、アジア大会4連覇中(2002~)、全日本選手権12連覇中(2002~、2002・2008・2009は最優秀選手として天皇杯受賞)である。2012年には国民栄誉賞を受賞している。
「霊長類最強の女」「女カレリン」などの異名を誇る。
父・栄勝がレスリング指導者であったため幼少からレスリングを始め、頭角を現す。1998年・1999年の世界カデット選手権、2000年・2001年の世界ジュニア選手権と連覇する。そして2002年のジャパンクイーンズカップ(現在は男子と統合されて全日本選抜選手権)で当時日本女子レスリングの女王として君臨していた山本聖子を破ると、破竹の勢いで日本選手権、世界選手権でも優勝して新時代の女子レスリング女王となった。その後10年以上経っても「新時代」のままなのは秘密である。
その後世界選手権は、2003年ニューヨーク・2005年ブダペスト・2006年広州・2007年バクー・2008年東京・2009年ヘルニング・2010年モスクワ・2011年イスタンブール・2012年ストラスコナカントリー・2013年ブタペスト・2014年タシュケント・2015年ラスベガスでそれぞれ優勝し、出場しなかった2004年を除いて11連覇している。
オリンピックにおいても初出場となった2004年アテネ大会を圧倒的な強さで優勝すると、2008年北京大会、2012年ロンドン大会と優勝して3連覇を達成している。
圧倒的な力を持つ吉田の中でも代表的な技とされるのが、予測可能回避不可能の高速タックルである。一般的にレスリングのタックルは崩し、すかしなど虚を突く動作が必要なため、ほんのわずかだが小さな前兆のモーションが生まれる。しかし吉田のおこなう高速タックルは、ほぼ完全なノーモーションでのタックルとなる。事前のモーションが無い上、タックルを始めた瞬間から相手の足をつかみ懐に飛び込むまでの時間が他の選手よりも圧倒的に早い。この二つの要素から成り立つ高速タックルが吉田の強さの象徴である。
強すぎる吉田は2010年ごろから世界中のライバルから研究しつくされ、たどり着いた結論が「自分から攻めず、守りに徹してカウンターのみを狙う。」であった。吉田のタックルは相手の動きに条件反射の様に飛び込むタックルであるため、通常の攻めの状態では間違いなくモロに入られてしまう。よって、はじめから守ればポイントを取られる事は無くカウンターを取れるだろうという結論に至ったのである。事実ロンドンオリンピックでは吉田の対戦相手は時間やポイントで焦っているときを除きまったく攻めに来ない状態であった。攻めに来ない相手にオリンピック前の大会で一度苦杯を飲んだ吉田は対策を練り、ロンドンオリンピックではその強さをいかんなく発揮して優勝したのである。
連勝記録や勝利数など目を見張るものがあり、あまりの強さに相手が守ることしかできなくなってしまう有様はかつて男子130kg級に絶対的王者として君臨したアレクサンドル・カレリンを彷彿とさせる。
負けがあるにしても受け皿の広い55kg級で他の選手と次元の違う強さを見せ、勝ち続ける姿は驚異的であった。
吉田がいるために他の階級に移った選手は少なくない。伊調馨は大学時代に吉田に苦戦し、63kg級に階級を上げからはこちらも「不敗」と称されるようになり、オリンピックでは吉田と並んでアテネ大会から3連覇中である。小原日登美などは極端な例で、彼女自身の階級がオリンピックになかった上、下の階級には妹がいたことがあって吉田のいる55kg級に挑戦したが破れ続け、オリンピック出場はかなわなかった。そして妹の引退後48kg級に移ってからロンドンオリンピックで優勝している。このように、世界レベルで優勝する実力を持っていても吉田には勝てずに階級を変更せざるを得ない選手がおり、自身の階級のみならず日本の女子レスリング全体を高レベルなものに押し上げていると言っても過言ではないだろう。
吉田の出場が確実視されている2016年リオデジャネイロオリンピックでは女子レスリングの階級が増え、55kg級が消滅して周辺の階級は48kg・53kg・58kgとなった。更に、2020年東京大会では、48kg・52kg・56kgにされることが国際レスリング連盟において提案されている。ところが、従来55kgの規定より若干少ない体重で勝ち続け、むしろ増量に苦しんできたという吉田にとっては53kgへの移行はむしろ好都合であり、選手人生にとって大きな壁となりうる階級変更ですら敵ではないようである。
事実、階級移行後初めての世界選手権となった2014年タシュケント大会でも優勝すると、2015年ラスベガス大会でも連覇している。
なお、全日本レスリング協会ウェブサイト内の吉田の1995年~2014年までの全成績を数え上げてみると、301勝14敗=勝率0.955555となる。負けの内訳は3敗の年が1年(2001)、2敗が4年(1997・1998・1999・2000)、1敗した年が3年(1996・2008・2012)であり、20年のうち13年は無敗であった。また、最後に敗北を喫したのは2012年5月の団体戦であるが、個人戦で最後にフォール負けを喫したのは2001年の全日本学生選手権における山本聖子戦であり、以後2015年世界選手権で優勝して個人戦200連勝を達成した。なお、21世紀に入ってからの競技成績(2014年まで)は231勝5敗=勝率0.978813である。
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最終更新:2025/12/13(土) 20:00
最終更新:2025/12/13(土) 19:00
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