坂本龍一(さかもとりゅういち)とは、1952年1月17日東京都生まれの音楽家である。
東京藝術大学・音楽学部作曲科を経て同大学院の音響研究科修士課程に進む。この時期に飲み屋で知り合ったという音楽家の友部正人の「誰もぼくの絵を描けないだろう」にピアノで参加し、スタジオミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせる。その後、山下達郎・大瀧詠一・大貫妙子など多くの作品に参加、サーカスの「アメリカン・フィーリング」の編曲で日本レコード大賞編曲賞を受賞している。
1978年、細野晴臣のアルバム「はらいそ」に参加。その後、細野氏の誘いで高橋幸宏とともにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。同年10月には初のソロアルバム「千のナイフ」をリリース。
1983年、YMO散開。大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」に俳優および音楽でも参加。同作がカンヌ国際映画祭に出品された際、カンヌにて映画監督ベルナルド・ベルトルッチと出会い、その後、同監督の映画「ラストエンペラー」に俳優および音楽で参加。音楽は高い評価を受け、ゴールデングローブ賞・アカデミー賞作曲賞を受賞する。
1992年、バルセロナオリンピックの開会式のマスゲームの音楽「El Mar Mediterrani」を作曲し、指揮も行った。(同曲はその後アレンジが加えられCD化されている)
1993年、「再生」と称し期間限定でYMOを復活。アルバム「テクノドン」をリリースし、東京ドームにてライブも行った。
1995年、ダウンタウンの音楽ユニット「ゲイシャガールズ(GEISHA GIRLS)」をプロデュースした。
1999年、「ウラBTTB」リリース。これがインストゥルメンタルとして初のオリコンチャート1位を記録し、ミリオンセラーにもなった。
2001年、TBSの「地雷ZERO」プロジェクトに参加し、自ら作曲した「ZERO LANDMINE」を多くのミュージシャンと共に演奏した。同曲はN.M.L(No More Landimine)名義でCDリリースされた。同年にはボサノバトリオ「Morelembaum2/Sakamoto」を結成。翌年にはこうした活動や自身の音楽にボサノバを取り入れてきたことなどが評価され、日本とブラジルの友好化に寄与したとしてブラジル政府から国家勲章を授与されている。
2003年、六本木ヒルズのテーマソング「the land song-music for Artelligent City」を作曲。
2007年、YMOのメンバーが再び集結し、キリンビールのCMに出演。CMで使われた曲「RYDEEN 79/07」は配信限定でリリースされた。
父は河出書房の編集者であった坂本一亀で、三島由紀夫や中上健次などを担当した。自宅に作家が来ることもあり、坂本氏もたびたび目にしていたという。
「教授」というあだ名の命名者は高橋幸宏氏であると言われている。初めて坂本氏と出会った時、坂本氏は大学院生で、「大学教授にでもなるの?」と高橋氏が尋ねた事がきっかけであったとされている。なお、それ以前は漫画「あぶさん」の主人公に似ていると言われ、「あぶ」と呼ばれていた時期があった。
政治家・塩崎恭久とは高校の同級生で親友でもある。彼が新人議員の頃には愛媛まで応援に行った事があるとコラムで述べている。
バルセロナオリンピックの仕事で支払われたギャラはたった1ドルであった。これは基本的にボランティアなのだが、お金が発生しないと契約として成立しない為に1ドルとなっていたようである(現在のオリンピックがどうなっているのかは不明)。
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最終更新:2025/12/13(土) 07:00
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