夷陵の戦いとは、三国志後半の合戦であり、陸遜が放火魔の異名を付けられる事となった元の戦である。
遡る事数年前、関羽が呉の裏切りにより戦死。首は塩漬けとなり魏を経由して劉備の元へと戻ってきた。
劉備はこの義弟の死を大きく悲しみ、呉への復讐を誓った・・・・と言うのが大体のあらましである。
周りの臣下達はこれを諌めたが、劉備は聞き入れず呉へ進攻。ある程度までは有利に戦を進めるものの、
陣営が伸びきり連絡がままならなくなっていた所を陸遜の火計にかかり敗走。
劉備はそれから程なくして病没、ここに劉備三兄弟は全員没する事となる。
陸遜の台頭、蜀による荊州奪回が絶望的になった事などこの戦における歴史的意味は多々あれど、
やはりニコニコやそれに限らず現代の三国志ネタおいては「陸遜=放火魔」の図式を作り出したと言う事が一番大きいだろう。
とにかく陸遜に火のイメージがついて回るのは、この戦の結果によるものである。
全体的に、攻めて攻めて攻めた劉備が隙を突かれて敗北した、と言う形なので見所はあまり無い。
どちらかと言うと呉視点に立った方が面白い戦である。
なにより呉は、この戦に負けていればまず間違いなく三国で一番最初に滅亡していた。
その点を踏まえて見ると、また違った見え方があるかもしれない。
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最終更新:2025/12/13(土) 00:00
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