リンク栃木ブレックスとは、栃木県宇都宮市を本拠地とするバスケットボールクラブ、及びBリーグに所属するプロバスケットボールチームである。呼称は『栃木ブレックス』である。
概要
| 日本のバスケットボールクラブ/B1リーグ・東地区 |
| リンク栃木ブレックス |
| 基本情報 |
| 創設年 |
2007年 |
運営法人名
(所在地) |
株式会社栃木ブレックス
(栃木県宇都宮市) |
クラブカラー
(チームカラー) |
ネイビーブルー/黄 |
| ホームアリーナ |
ブレックスアリーナ宇都宮(宇都宮市総合体育館)[宇都宮市] |
| ホームタウン |
栃木県宇都宮市 |
| 前身 |
※無し |
| 備考 |
・株式会社リンクスポーツエンターテインメント(※2006年9月設立)からクラブを継承及び同社を現法人が吸収
・鹿沼市をマザータウンと位置付けている |
| 主要獲得タイトル |
B1リーグ:1回
日本バスケットボールリーグ(新JBL):1回
日本バスケットボールリーグ2部機構(JBL2):1回 |
| バスケットボールクラブ&チームテンプレート |
|
JBL2(日本バスケットボールリーグ2部機構)参入を機に誕生したバスケットボールクラブである。
愛称の「ブレックス(Brex)」は、"現状打破"を意味する「BREAK THROUGH」・"バスケットボール"の頭文字である「B」・そして"王者"を意味する「REX」、この3つの言葉から成る造語であり、『既成概念を打破し、バスケ界、引いてはスポーツ界、そして栃木県に風穴をあけつつ、バスケットボール界の頂点を目指す』という意思が込めている。
また、「リンク」は本来、親会社である「株式会社リンクアンドモチベーション」を指すネーミングライツであるのだが、現在では『栃木県の地域住民・企業・行政・協会を"リンク(連鎖)"させていくことで相互作用や相乗効果(シナジー)を生み出したい』との意味が後付けされている。
チームカラーは世界最高峰リーグである北米のNBAに所属するプロチーム「インディアナ・ペイサーズ」のチームカラーをそのまま踏襲している。何故そうなったのかというと、これはそもそも栃木県がインディアナ州と姉妹提携していることも深く関係している。そして、彼らを通じて、NBAを手本にしたいとの意思が込められてる。
創設の経緯
- 2004年、栃木県内にプロバスケットボールチームを設立する動きが始まる。
- 2006年、バスケットボール日本リーグ機構(旧JBL)が運営する『JBLスーパーリーグ』が新リーグ(後の日本バスケットボールリーグ(新JBL))へ移行させることに合わせて、新リーグ参入の申請を行うも却下される。この際に設立する動きが途絶えるも、JBLスーパーリーグの直下のリーグである『バスケットボール日本リーグ』も新リーグ(後の日本バスケットボールリーグ2部機構)へ移行が検討された為、再び設立に向けて動き出した。同年、リンクアンドモチベーションが現在に至るまでクラブの親会社となる。
- 2007年、大塚商会アルファーズ(現:B3リーグ所属)が旧JBLから脱退し関東実業団リーグに転籍するにあたり、大塚商会が所有するバスケットボール日本リーグ機構(旧JBL)の会員権を譲渡されたことにより、大塚商会に代わって旧JBLの所属チームとなる。但し、正式なリーグ参戦は旧JBLの2部リーグであった「バスケットボール日本リーグ」が同年、JBL2へ改組してからとなる。
トップチーム略歴
JBL2・新JBL参戦
- 2007年-2008年シーズン、JBL2に参戦。当時のチーム名は「栃木ブレックス」。レギュラーシーズン3位ながら、プレーオフを勝ち抜き、初参戦初優勝を遂げる。
- オールジャパン(天皇杯全日本総合バスケットボール選手権大会)は初出場でベスト16。
- 2008年-2009年シーズン、オーエスジーフェニックス東三河(現:三遠ネオフェニックス)が日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)へ転籍したため、空いた枠を埋める形で新JBLに初参戦。チーム名を現在の「リンク栃木ブレックス」に変更。年間成績は6位。
- 新しいヘッドコーチ(HC)に秋田県の高校バスケの名門・能代工業高校を率いた加藤三彦を招聘するも、成績不振も相まって途中解任。後任HCはトーマス・ウィスマン。
- オールジャパンはベスト8。
- 2009年-2010年シーズン、新JBL参戦2年目。レギュラーシーズンを2位で通過し、プレーオフを勝ち抜いて初の年間優勝を遂げる。日本のトップカテゴリで年間優勝を成し遂げた初のプロチームとなった。
- HCは引き続きトーマス・ウィスマン。
- オールジャパンは2年連続でベスト8。
- 2010年-2011年シーズン。新JBL参戦3年目。年間成績は前シーズンから大幅ダウンの6位。
- 新しいHCとしてジェイソン・ラベドーを招聘するも、成績低迷で途中解任。後任HCはブルース・パーマー。
- オールジャパンはベスト8。
- 2011年-2012年シーズン。新JBL参戦4年目。年間成績は2年連続で6位。
- ブルース・パーマーが前シーズンに引き続きHC続投も途中解任。後任HCは代行の形で青木和人。
- オールジャパンはベスト8。
- 2012年-2013年シーズン。新JBL参戦5年目。年間成績は3年連続で6位。
- 新しいHCとしてアンタナス・シレイカを招聘。途中解任されなかった。
- オールジャパンは安定のベスト8。
NBL参戦
- 2013年-2014年シーズン。新JBLがNBLに改組され、チームも同リーグに参戦。イースタン・カンファレンスに所属し、同カンファレンス3位で優勝プレーオフに進出するも、1回戦であるカンファレンス・セミファイナルで敗退。
- アンタナス・シレイカが前シーズンに引き続きHC続投。
- オールジャパンはベスト16。
- 2014年-2015年シーズン。イースタン・カンファレンス2位で優勝プレーオフに進出するも、セミファイナルで敗退。
- トーマス・ウィスマンが新HCとして再就任。
- オールジャパンはベスト8。
- 2015年-2016年シーズン。この年はカンファレンス制廃止となり全チーム総当りとなるも、レギュラーシーズン2位で優勝プレーオフに進出。しかし、セミファイナルで敗退。この時の相手が東芝ブレイブサンダース神奈川(現:東芝川崎ブレイブサンダース:以下「川崎」)であり、この時の因縁は密かに次のシーズンであるBリーグ初年度に持ち越されることとなる・・・。
- トーマス・ウィスマンHCが続投。
- オールジャパンは準優勝に終わる。しかし同大会過去最高記録となった。
Bリーグ参戦
- 2016年-2017年シーズン。トーマス・ウィスマンHCが続投。振り分けの結果、Bリーグ1部に参戦することが決定。そこから更に3地区に振り分けされた結果、東地区に所属することになった。旧NBL勢を始めとして強豪ひしめく同地区で首位を独走し同地区1位を確定。優勝プレーオフでは初戦で千葉、続く準決勝で三河を各々接戦の末下す。そして決勝は、昨シーズンのNBL優勝プレーオフのセミファイナルで自分たちを下した川崎との一騎打ち。これを激闘の末に川崎を下して、見事初代Bリーグ(B1リーグ)年間王者に輝いた。
その他
かつて存在したセカンドチーム
新JBL参入1年目からNBL参入1年目までの5年間、クラブは『TGI D-RISE』というセカンドチームを保有し、栃木県小山市をホームタウンとしていた。「TGI」とは当時の活動範囲だった"栃木(Tochigi)・群馬(Gunma)・茨城(Ibaraki)"の頭文字から取られており、「D」は"Development(夢)・Dream(夢)・Dynamic(活性化)"の3つを意味し、「RISE」はトップ選手への上昇を意味している。
1年目は栃木県内の大会参加を中心に活動し、2年目からJBL2に参入・3年間在籍し、JBL2を改組したナショナル・バスケットボール・デベロップメントリーグ(NBDL)で1年間活動した。その後、山形県に移転し独立、現在の『パスラボ山形ワイヴァンズ』のトップチームとなっている。その為、栃木と山形の両トップチームは「かつての兄弟チーム」の間柄となっている。
なお、ワイヴァンズ誕生の際には、運営法人である株式会社パスラボの設立に関して、ブレックスの旧:運営法人であったリンクスポーツエンターテインメントも出資していた。
現在、ブレックスとワイヴァンズ、両者の間に何らかの提携があるかは不明である。
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関連コミュニティ

関連項目
- Bリーグ
- 栃木県 - 宇都宮市
- リンクアンドモチベーション(※親会社)
- パスラボ山形ワイヴァンズ(※B2リーグ所属のプロチーム。かつての兄弟チーム)
- 大塚商会アルファーズ(※B3リーグ所属の実業団チーム。旧JBL時代に参加権利を栃木に譲渡した)
クラブ公式サイト
リンク栃木ブレックス 公式サイト
関連リンク
下野新聞 栃木ブレックス特集